皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇太子妃殿下の苦境を考える

2005-01-28 01:54:00 | 皇室の話
 来月には、皇太子殿下のお誕生日の記者会見がある。
 そこでは、どのようなご発言があるのだろうか。
 昨年の5月の記者会見以降、皇室について、様々なことが論じられたが、皇太子殿下、皇太子妃殿下の苦境を、きちんと把握できた説明が、果たしてどれくらいあったであろうか。
 そのような説明がなされていなかったとしたら、それは、皇太子殿下にとって、余りに無念であろう。
 論じられ方としては、皇太子同妃両殿下を擁護するもの、また、批判するもの、皇室内部の軋轢について、あれこれと憶測するもの、様々なパターンのあったところであるが、筆者の感想としては、いまいち、ピンと来るものはなかった。
 様々な議論について見てみると、皇室の周囲には、一種の異様な空間が形成されていることに気づく。
 それは、噂好きな人たちの存在である。
 よく雑誌などにて、匿名の皇室事情通が登場する。
 ここで、気を付けなければならないのは、そのような者が通じているのは、皇室の実際の姿ではなく、皇室をめぐる噂であるということである。
 そして、「このような噂がありますよ」ということが、複雑に伝聞され、噂によって構成される、独特な空間が形成されるのである。
 また、皇室というのは、とかく、噂の対象になりやすい。
 なぜならば、一つには、自分たちとは異なる特殊な存在であること、そして、二つには、これがなかなかポイントなのであるが、基本的に善良であることが求められる存在であり、まず反撃してこない存在であること、このような要素を備えてしまっているからである。
 そして、噂というものは、勝手な想像や、刺激の欲求というものを託されるものであり、本人がどのように傷つこうと、そんなことはお構いなしである。そして、そこには罪悪感はなく、しばしば中傷という形になるのである。
 これは何かに似ていないであろうか。
 筆者には、これは、一つのいじめの構造そのものであると思われる。
 皇太子妃殿下の境遇と比較することは不遜であるかもしれないが、筆者にも、そのような経験がある。
 この際、身を削る思いにて、敢えて筆者自身の経験を書くことにする。
 筆者自身のことを余り紹介しても仕方がないかもしれないが、若干の説明をすると、何ら特権はないものの、形だけは幹部候補として、ある組織に所属している。その組織には、私のような幹部候補というものはごく少数であり、周囲からは、異質な存在となってしまっている。そして、見た目には、如何にもお人好しであり、少々のことでは、攻撃してきそうもない。ただ、コミュニケーションは得意ではなく、味方となる者は少ないようだ。こんなところであろうか。
 さて、このような境遇にある者が、どれほどの中傷の的になるものであるか。世間において、同じような境遇におられる方も多いと思うが、分かる人には分かるであろう。
 実に、様々な噂がなされるのである。
 「あんな奴、使い物にならないのではないか」、ろくに話をしたこともない者が、いきなりこのように喋っていることもあった。
 ただ、それは、あまりショックではなかった。
 本当にショックであったのは、「あいつは俺たちのことをバカにしている。だから、挨拶もしようとしないんだぞ」という噂が広まったときである。
 筆者は外向的な性格ではない。声もそれほど大きくはない。だから、挨拶をしないということについて、何らかの、元になる事実があったのかもしれない。ただ、「あいつは俺たちのことをバカにしている」というのは、全く意外なことであった。
 むしろ、内気、小心であり、今までの人生においても、そのように、周囲から評価されてきた。もちろん、他人からの見た目と自己像とは、食い違うことがあるかもしれないのだが、そのことを考慮しても、明らかに本当の自分とは違う人格が、無理に作られ当てはめられて、攻撃の対象とされていたのである。
 そして、その作られた人格というものは、実に良くできたもので、自分の外形的なイメージ(鼻持ちならない幹部候補)には、如何にもフィットしてしまう部分があったのである。
 結局、ある程度付き合いのある人には、そのような作られた人格というものが虚偽のものであったことについて、段々と理解してもらえたのであるが、私の名前だけは知っているが実際に話したことはないというような人たちの間において、その噂は、何年も続いてしまったものである。
 さて、中傷の的になってしまった者の苦しみとして非常にやっかいなことは、その苦しみを周囲に理解してもらうことが、如何にもできそうにないと、自分自身でも思われてしまうことである。
 中傷を行う者にはそれほどの罪悪感はない。むしろ、自分が正しいとさえ思っているかもしれず、また、その中傷の内容には、正論的な要素がある場合もあろう。多くは、第三者からは、些細なことと映るのではないか。
 そのため、本人としては、非常に辛く何とか助けを求めたいが、それではその苦しみは何ですかと、改めて聞かれてしまうと、理解してもらえそうにないと絶望し、結局何も言えなくなってしまうのである。
 この辺の話というのは、子供の頃に、いじめを受けた人であれば分かるであろう。
 親や先生に相談しても、なかなか理解してもらえない辛さというものが。
 皇太子妃殿下の苦しみがこのような性質のものであるとすれば、生活が保障されているのに贅沢だというような批判は、あまり当を得ないであろう。
 いじめを苦にして自分自身を傷つけてしまう多くの者を見れば分かると思うが、生活レベルというものは関係がない。生活苦という問題ではないのである。
 また、ゆっくり休んでもらいたいという励ましも、それは確かにありがたいことではあるけれども、どこまで、救いとなるか。
 このような状況に置かれた場合、一つの切り抜け方としては、自分の得意分野で活躍し、自分の価値というものを、自分自身で確認し、また、周囲に知らしめることである。
 しかしながら、皇太子妃殿下の場合、そのご公務は、自分一人の判断ではできないものであり、また、多くの関係者の協力を、恐らく独特なる噂の空間を形成しているとも思われる関係者の協力を、得なければならないのである。
 このような状況では、皇太子妃殿下の心が救われる道というものは、なかなかあるものではない。
 心ない噂により、どれほど本人が傷つくか、そのことを、周りが自覚するしかないのだが。
 ただ、一つ確実に言えるのは、皇太子妃とはこのようでなければならないとか、様々な指摘を行う者もいるが、そのような者の中に、実際に皇太子妃殿下のお立場に立った者など、存在しない。今のこの時代において、皇太子妃殿下のお立場におられるのは妃殿下ご自身であり、皇太子妃の在り方については、妃殿下ご自身で作っていけばいいのである。
 そして、周囲の噂というものは、変わるときには一斉に変わるものである。今は悪意に満ちた噂でも、それが逆転するときが必ず来る。
 ただ、それも、噂は噂であり、幸せなことではないのかもしれないが。

* 以上については、全くの的はずれの可能性も勿論あり、このような内容が、それ自体勝手な憶測となってしまってはいけないのだが、皇太子妃殿下を助けるためには、皇太子妃殿下のお立場に立って、その苦境を理解しようとすることが必要ではないかと考え、筆者として、リアリティの感じられる説明を、一生懸命考えてみたものである。
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皇太子妃殿下のご公務復帰

2005-01-04 00:12:04 | 皇室の話
 皇太子妃殿下が、1月2日の皇居一般参賀にお出ましになられた。
 これから、少しずつ、ご公務に復帰されるのではないだろうか。
 いいことである。
 なお、お出ましになられたのは、最初の一回のみであったが、焦らないことが何よりも肝心である。
 一般には、お出ましについて、例えば午前だけでもとか、7回全部をこなされることも、それ自体は、大したことがないように思われるかもしれない。
 しかし、皇太子妃殿下のご不調が、焦燥感に由来するものであるとすれば、不用意に広げてしまうと、もっと、もっとと、心の中で、やらなければならないご公務の範囲が拡大し、歯止めが利かなくなってしまうであろう。
 見守る側としても、気長に、余裕を持って、待たなければならない。
 なお、皇太子妃殿下に対する、最近の世間の意識については、筆者としても、なかなか心配なものがある。
 心の不調については、周囲の理解を得ることが難しいものだ。
 しかし、人間の体というものは、心身ともに、実に精妙なバランスによって、成り立っている。
 そして、そのようなバランスを崩してしまうということは、誰にでも起こりうることであり、そして、その人が立派な人間であるとか、そうでないとか、そういうこととは、本来関係が無い話である。
 例えば、盲腸になった人に対して、道徳的な評価を問題にしても、意味はないであろう。
 しかし、心の不調については、何かそのような評価と結びつけて、サボタージュのように受け止められる傾向があるようである。
 筆者から見れば、もともと焦燥感故に不調になられた皇太子妃殿下がそのように批判されることについては、言いようのない悲劇のように感じられる。
 昨年5月の皇太子殿下の記者会見における「人格を否定するような動き」というご発言について、
真相がよく分からないとも言われるが、雑誌などのメディア、ネットにおいて、それこそ、皇太子妃殿下の人格を否定するような表現が、溢れているではないか。
 このような無数の悪意に対して立ち向かうには、殿下も妃殿下も、あまりに孤独すぎる。
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