皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

秋篠宮悠仁様のトンボ論文

2023-12-31 07:53:43 | 皇室の話(3)
悠仁親王殿下のトンボ論文(赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―)について、
メデイアでの取り扱いというのが、
いかにも秋篠宮家バッシングの流れに合わせたもののように思われ、
さすがにうんざりとした気持ちになる。

論文は、国立科学博物館のサイトに掲載されており、誰でも見ることができるので、
関心のある人は、メデイアの評価だけではなく、論文自体を読んで見るべきであろう。

□今回の論文の性質
筆者も読んでみたのであるが、印象としては、しっかりとよく書けていると思うが、
何かものすごい頭脳の持ち主が書いたとか、そういう性質のものではないという感じである。

何よりも論文の核となっているのは、年月をかけた観察の継続であり、
その継続があれば、理知的な高校生であれば書けても不思議はないと思った。

逆に言えば、その継続がなければ、どんなにすごい頭脳の持ち主であろうとも、
この論文を書くことはできない。

そういう性質のものである。

□悠仁親王殿下が筆頭であることについて
この論文の作成には、専門家の方も携わっているとのことで、
そのような専門家を差し置いて悠仁親王殿下が筆頭となっているとしてバッシングする者もいるようだ。

もちろん、研究者の実績という観点で比較すれば、
高校生である悠仁親王殿下がそのような専門家にかなうはずはないであろう。

しかし、この論文に関して言えば、年月をかけた観察の継続が核であるのだから、
悠仁親王殿下が筆頭となるのは、当たり前なのではないか。

□この時期の論文の発表について
この時期の論文の発表について、大学推薦のための実績作りといったバッシングもあるようだ。

ただ、大学受験との関係で言えば、
高校3年生となり受験の時期を迎える前にこれまでの研究成果をとりまとめた、
というだけの話なのではないだろうか。

また、大学推薦のための実績作りというのも、
今回の論文は共著者、関係者への謝辞も明記され、相当にフェアなものになっていると思う。

この論文が実績として提示されたとして、
大学のそれなりの先生方はちゃんと正確に評価できるはずなので、
公正性という点でなんら問題はないはずである。

□観察場所について
観察場所が赤坂御用地であり、一般の人は入ることができない場所であることから、
そのような場所を観察できるということを特権的なものと捉え、バッシングする者もいるようである。

しかし、改めて思うに、そういうバッシングをする者というのは、
小学校の運動会の在り方のような物差しでもって、研究の世界を語ろうとしているようにしか見えない。

研究者の置かれた条件は、もとより千差万別である。
住んでいる場所、時代、教育環境などなど。
そういう様々な条件下の研究者が研究を行うことによって、学問の世界の豊かさは成り立つのではないのだろうか。
赤坂御用地が一般の人には入ることができない場所であるからこそ、
その場所に入ることのできる研究者の研究には、特別な意義があるとも言い得る。

それにしても、赤坂御用地を特権的な場所と捉える人というのは、
悠仁親王殿下がその他の場所には自由に行くことができないという側面について、
きちんと認識できているのだろうか。

赤坂御用地の近くには、例えば、明治神宮外苑の銀杏並木があり、多くの人で賑わうが、
そういう場所に悠仁親王殿下はふらっと出かけて自由に見て回るということはできない。
自由に見て回ることができるエリアというのは、赤坂御用地しかないのである。

普通の人間には、なかなか耐えがたいことであると思うのだが、悠仁親王殿下は、
そのような条件下、赤坂御用地という限られたエリアの中で、生きていく喜びというものを、
トンボなどの自然の観察の中に見出したのでは無かったのだろうか。

そうした子どもの頃からの観察の積み重ね、それはすなわち、喜びの積み重ねであり、
それを世の中の人々に分かち合おうとしてこその公表だったのではないか。

コメント
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