goo blog サービス終了のお知らせ 

落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

ブログ終了を控えて

2025-04-15 22:13:46 | 皇室の話(3)
gooブログのサービスが終了することになった。

このブログの記事も、いずれ消滅してしまう。

このブログは、すでに役割を終えた感じになっているが、

かつての東宮バッシングの異常性を目の当たりにした者の記録としては、

意味があったと思うのだ。

積極的に蒸し返すつもりはないのだけれど、

いい加減な皇室評論家によって、

軽々しく相対化されるようなことは、

我慢ならないところではある。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧宮家養子案対象者の意思確認の問題

2025-04-14 21:37:35 | 皇室の話(3)
令和7年4月14日16:55、サンデー毎日×エコノミストより配信の「国会審議なき縁組が可能 養子案は「暗黒」の制度 成城大教授・森暢平」と題する記事がある。

森暢平氏は、国会審議なき縁組ということを問題にしているようだけれども、養子の対象となる方々につき、国会の場で明らかにして、その適否を論じるべきという主張なのだろうか。

筆者としては、その主張については、無理があるのではないかと思う。


養子縁組を可能とする法的仕組みについて、筆者は具体的には把握していないけれども、おそらく皇室会議の議を経させることになるのではないかと思う。

民間の女性が皇族男子を婚姻して皇族の身分を得ることになる場合(皇室典範第10条)と同じような仕組みである。

皇室典範
第十条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。

皇族の身分を取得させるに際し、皇室会議の議を経ることを不要とするのであれば、さすがに問題だと思うけれども、そうはならないのではないか。

そして、具体的な人物の適否の問題について、皇室会議ではなく国会の場で審議というのは、それはあまりに過剰というべきだろう。


ただ、森氏の問題意識は、養子制度につき、対象になり得る者の存在とその意思につき、政府が確認していない状況について向けられたものなのだろう。

確かに以下の箇所における内閣官房参与の山﨑重孝氏の説明は、奇妙である。
-----引用個所-----
衆参両院の各党・会派による全体会議(3月10日)で、立憲民主党の馬淵澄夫は、1947年に皇籍離脱した旧11宮家の子孫の「現状」、そして皇籍復帰の「意思」について政府は確認しないのかと追及した。これに対し内閣官房参与の山﨑重孝は、「意思」の確認は制度ができる前には実施できないと答えた。現皇室典範では養子が禁止されており、今、「意思」確認をすることは、違法な行為を前提に聞くことになるためだという。将来の法改正後の「意思」を法改正前に聞くことが本当に許されないのかという疑問がわくが、それは措(お)き、「現状」の確認の方はどうか。
-----引用終了-----

「現皇室典範では養子が禁止されており、今、「意思」確認をすることは、違法な行為を前提に聞くことになるためだという」というのは、「違法」という文言の多義性をヴェールにした言い訳のように思えてしまう。

「違法な行為」といっても、法的な根拠がないというだけのことで、行為そのものが悪質(自然犯)というわけではないのではないか。

要するに、法的に規制されているという現状があるのであって、それを緩和するかどうかといった議論なわけであろう。

そして、規制緩和の議論をするに際しては、規制の対象者の意向というものは、むしろ踏まえるのが当然なのではないだろうか。

「現皇室典範では養子が禁止されており」ということがどうしても気になるのであれば、禁止が解除された場合についてという仮定の下で意思を確認すればよいだけの話なのではないだろうか。

もちろん、誰に確認したか、誰がどのような意思表示をしたかについて、どこまで明らかにすることが適切かといった問題はある。
プライバシー、生活の平穏の確保といった要請もあるであろう。

しかし、法的な仕組みを作ってしまった後に、事実上、養子になってもらうように追い込むというのは、それはそれで問題であろう。

事前に意思の確認を行い、もしも対象者がいないのであればそのことを明らかにし、別な選択肢の方に検討を切り替えるべきではないのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり自民党はダメだね(いったいどなたの養子になっていただくのさ)

2025-04-09 00:01:35 | 皇室の話(3)
前回の記事の続きであるが、自民党・麻生太郎最高顧問の発言で、「方策として、まず、皇族に禁じられている養子を行えるようにし、皇統に属する男系男子、いわゆる旧11宮家の子孫の方々に皇族になっていただくことは極めて重要だ。」とある。

旧宮家の子孫の養子案なのだが、この案については、養子になるにふさわしい資質・意思を有する「子孫」が、本当に存在するのかという問題については、以前より指摘されてきたところである。

ただ、そのような「子孫」が本当に存在するかという問題も大きいけれども、養子縁組というのは養親となる側の存在も必要となる。
果たして、養親となってくださる方が、現皇室の中におられるのだろうか。

まさか、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下の養子ということはあり得ないと思う。
皇嗣同妃両殿下についても、悠仁親王殿下、佳子内親王殿下がおられるのだから、あり得ないだろう。

候補となり得るのは、常陸宮同妃両殿下だろうか。
しかし、かなり御高齢であり、今更そんなことを望まれるだろうか。

あとは、宮家としては、三笠宮家と高円宮家があるけれども、今の三笠宮家はそれどころではないであろう。
そもそも、いずれの宮家においても男子皇族の当主はおられない。

自民党・麻生太郎最高顧問によれば、女性皇族は、婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることとした場合でも、配偶者・子どもは皇族としないという考えなのであろう。
であれば、女王殿下方が養親となって、その養子を皇族とするというのは、筋が通らない。

まさか、妃殿下方は民間出身なのであるから、その単独養子を皇族とするというのも、おかしな話である。

男系男子を重視しておられた寛仁親王殿下が御存命であったならば、もしかしたらという可能性があったかもしれないが、現状では、養親となり得る方はおられないというのが実態なのではないか。

案としては、破綻しているのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党はダメだね(皇位継承問題)

2025-04-08 23:54:50 | 皇室の話(3)
令和7年4月7日20:50、朝日新聞より配信の「自民・麻生太郎最高顧問 安定した皇位継承「今国会中に法成立を」と題する記事がある。

この問題については、立場を変える発言をしてしまうと、あっと言う間に支持を失ってしまうであろうから、同じことを言い続けるというのも分からなくはないが、もう少し真面目に考えたらどうなのだろう。

----引用開始----
 皇族数の確保は喫緊の課題だ。方策として、まず、皇族に禁じられている養子を行えるようにし、皇統に属する男系男子、いわゆる旧11宮家の子孫の方々に皇族になっていただくことは極めて重要だ。
 (女性皇族が)婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることも考えなければならない。ただし、配偶者・子どもは皇族としないことが重要だ。皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族にする方策もあるが、自民党として引き続き検討していきたい。
----引用終了----

最初に「皇族数の確保は喫緊の課題だ」と言っているのだけれども、皇族数の確保につき、どういう観点で重視しているのだろうか。

1 皇位継承資格者である皇族の数の確保が重要ということなのか。
2 皇族と家庭を共にするメンバーとしての皇族の数の確保が重要ということなのか。

もし、1と2の両方の観点で重要ということならば、「(女性皇族が)婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることも考えなければならない。ただし、配偶者・子どもは皇族としないことが重要だ。」ということには結びつかないはずだ。

近代より前は、皇族としての身分の得喪は必ずしも婚姻によっては生じないようであったが、明治の旧皇室典範以降、夫婦と子供で同じ身分ということになっていたはずである。

女性皇族につき、婚姻後も皇族のままとするのであれば、配偶者と子も皇族としなければ、近代以降の皇族の概念は、いったい何だったか、ということになるのではないか。

また、女性皇族の結婚相手につき、民間の身分のままということで、本当にうまくいくのだろうか。
結婚相手が民間の身分のままであれば、営利活動、政治活動、宗教活動は自由ということになる。
世間的な常識人の範疇であったとしても、これらの自由の行使は皇族の配偶者という立場では問題になることがあるのではないか。
「そんなことは無いはずだ」というのは、そういう立場に立った人間に対し、際限のない自制を求めるということになるのだろうけれど、皇族としての身分の保障なくして個人の自制心に依存するというのは、制度設計としてあまりにお粗末なのではないだろうか。

そもそも、なぜ皇族の数が、ここまで減ることになってしまったのか。
そのことをもっとちゃんと考えて、策を講じる議論をするべきなのではないのか。

筆者としては、やはり、皇族としての人生が、非常に生きづらいものであり、その生きづらさはますます加速しているという問題があると思う。

もちろん、衣・食・住については、とても手厚い。
しかし、プライバシーの確保という点では、悪化の一途である。
特に、未成年の頃から、非常な注目を集めてしまい、あれこれと論じられてしまうという最近の状況は異常である。
皇室の歴史の中でも、極めて異常な状況になっているということは、もっと意識されるべきであり、どうせ皇室に関する法制度の議論をするのであれば、皇室のプライバシー確保のための法的措置につき、検討をして欲しいものである。

このプライバシーの確保の問題には、異性との交際という問題もあり、若い皇族の方々にとって、この問題はとてつもなく大きいのではないだろうか。

世襲、世襲と言いながら、これだけ異性とのお付き合いが難しくなってしまった時代というのは、かつて無かったのではないだろうか。
小さいころから、あまりに注目され過ぎてしまっている。

大人になって、公的な御活動が始まると、それに応じて公的な存在という側面が強くなっていくであろうから、出会いも難しくなっていくであろう。
できれば、成人する前に、自分と自分の人生に相応しい伴侶を見つけられるようにするのがベストだろう。

そのためには、制度上の手当だけでは不十分であり、皇族という特殊な人生に対する世間の意識改革も必要になるであろう。
そういう面においてこそ、政治家としての役割があるのではないのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悠仁親王殿下は立派で魅力的

2025-03-08 22:17:27 | 皇室の話(3)
令和7年3月3日、悠仁親王殿下のご成年をお迎えになっての記者会見が行われた。

筆者が想像していたよりも、ずっと立派で、とても素敵だった。

皇位継承資格者としての存在感、惹きつけるような魅力に満ちている。

お父上よりも。


元木昌彦氏は、「「愛子天皇論」を爽やかに吹き飛ばしたが…「成年会見」を見事に終えた悠仁さまの"これから"が心配される理由」なんていう記事を書いている。

筆者としては、「愛子天皇論」が吹き飛ばされたとは全然思っていないが、今回の記者会見で、悠仁親王殿下が皇位継承することについての疑問とか不安のような感覚は、すっかり無くなってしまった。

筆者は、皇位継承の議論としては、女性・女系拡大の立場であるし、愛子内親王殿下は素晴らしい素質があると思うけれども、「愛子天皇論」は見果てぬ夢なのだろうか。

小林よしのりさんたちは、どう考えているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の御代、天皇と皇太子の深い溝

2025-01-15 00:13:58 | 皇室の話(3)
令和7年1月11日付け東京新聞に、「<書評>『比翼の象徴 明仁・美智子伝(上)(中)(下)』井上亮(まこと) 著」と題する記事が掲載されている。

井上亮著「比翼の象徴 明仁・美智子伝(上)(中)(下)」についての平山周吉氏による書評なのだが、その中に以下の記載がある。

-----引用開始-----
天皇(現上皇)と皇太子(現天皇)夫妻との間に深い溝ができた原因には、天皇の一言があった。その匿名証言。「愛子さまが生まれたあと、天皇陛下は雅子さまに『次は男の子をお願いします』と言われた。陛下に悪気はないんだ。正直でストレートな方だから。でも妃殿下には重くのしかかってしまった」
-----引用終了------

筆者はまだ「比翼の象徴」を読んではいないのだが、おそらくそういうことなんだろうと思っていたことについて、かなりズバリと書いてあるようだ。
「深い溝」についても、これまでの建前としては、そんなことがなかったかのように扱われていたと思うのだが、「深い溝」ができたことを前提として、その原因として語られている。
そして、この「深い溝」というものが、かつての東宮バッシングにつながっていったのだろう。

それにしても、「次は男の子をお願いします」というのは、平成の天皇陛下におかれても、皇位継承者は男子であるべきというお考えだったということなのだろうか。
平成皇室の象徴像につき、かなり修正の必要があるように感じられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇后陛下の神性

2024-12-10 00:29:07 | 皇室の話(3)
令和6年12月9日は皇后陛下の御誕生日であり、皇后陛下のお誕生日に際してのご近影とご感想が、宮内庁HPにて掲載されている。

あまり主観的な印象を述べても意味はないのかもしれないが、それでもそのお姿に、ますますの神性を感じてしまう。

ここで神性とは何かについては、人それぞれの考えがあるのかもしれないが、筆者の感じた神性が何かということを突き詰めると、
・この御方であれば、私の悩みや苦しみを分かってくださる
・この御方であれば、私の心を受け止めてくださる
といった感覚のようなものと言えるだろうか。

誰よりも深い知恵と慈悲

直接コンタクトできるわけでもないのだが、ご近影を拝するだけで、そういう感覚に包まれてしまい、妙に励まされる気持ちになってしまう。

有り難いことである。

世界には様々な神があって、神性の感じ方も様々であるかもしれないが、多くの日本人の心に響くのは、このような知恵と慈悲の深さということなのではないかと思う。

ご感想の文章も、読んでいて明るい気持ちになってしまう。
優しく柔らかいリズム感があるからなのだろうか。
読んでいると、不思議と、その場で語りかけられているような気持になってしまう。

語りかけ、ということであれば、直接的な方式は記者会見ということになるかもしれないが、文章でも十分に実現できているところがすごい。

これは、言葉を扱う能力の高さということもあるだろうけれども、読み手である国民一人一人に向き合おうとするお心をお持ちであることによるのだろう。

令和の皇室は偉大である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋篠宮殿下のバッドサイン

2024-12-09 20:29:02 | 皇室の話(3)
令和6年11月25日、秋篠宮皇嗣殿下のお誕生日に際しての記者会見が行われた。

この会見については、すでに様々な報道が行われているが、以下の箇所が注目されている。
-----引用開始-----
殿下
そういう状況であると、何か宮内庁に求めるといってもですね、やはり以前とは大分状況が違うとは思いますし、例えば何かで宮内庁が抗議をしたとします。でも、それがどちらの方向に振れるかが分からないわけですよね。そういう中で、何か要求する、何か頼むというのは、私はなかなか難しいのかなというふうに思っています。恐らく、あれは何ていうのでしょうね、「いいね」じゃない方の、逆の、あれをとにかくクリックするぐらい、それ以外私はなかなか思い付かないですね。
-----引用終了-----

映像では、バッドサインのジェスチャーまで披露。



バッドサインを「とにかくクリック」で対応されているのだろうか。
想像すると、何だか面白い。

今回の会見では「いじめ的情報」という発言にも注目が集まったが、情報の受け止めの仕方が、何とも気になる。

-----引用開始-----
そうすると、いい情報悪い情報ということは抜きにして、誰もが情報発信できる時代です。したがって先ほどお話しした当事者にとるといじめ的情報、これについて果たして全体のうちのどれぐらいの人たちが、そういうものを出していて、またその割合がどうなのか、そういうものを俯瞰ふかんしてみないとどういうふうに受け止めるかっていうのは難しいと思いますし、俯瞰ふかんできる状態じゃないと、受け止める側もきちんとした判断にならないのではないかと思っています。
-----引用終了-----

殿下が情報に着目するのは、その量ということであって、中身の質ではないようなのだ。
バッシング的情報、いじめ的情報につき、とんでもない量が押し寄せてくるのであれば、確かにそれは大変にしんどいことだろう。

ただ、中身について、的外れの中傷にすぎないのか、それとも意味のある批判が含まれているのか。
どうせ読んでしまうなら、そこまで読み分けるべきではないのだろうか。
それとも、全部ひっくるめて、嫌な情報ということなのか。

しかし、今回の会見で改めて思ったのは、中傷とか、嫌みのような批評の仕方というのは、良くないということである。

これから本当に必要なのは、客観的な根拠と確かな論理による普遍性のある批判を真剣に行うということであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民が皇室に望むもの

2024-11-19 03:22:11 | 皇室の話(3)
令和6年11月15日に三笠宮妃百合子殿下が薨去された。

多くの新聞紙等で、妃殿下のことが報じられているが、
その中で、例えば、11月16日読売新聞の「貫かれた皇族の品位」という記事がある。

そこに以下の記載がある。
-----引用開始-----
百合子さまは宮邸での一人暮らしでも、皇族としての品位を貫かれた。
 老朽化した宮邸を改修した時、自分の浴室の段差を解消する工事より、職員用の施設の修繕をするように望まれたと聞いた。夏の静養に入られるのは、明治天皇の命日7月30日の祭祀が終わってから。親しくしてもらった義姉秩父宮勢津子妃の8月25日の命日や9月9日の誕生日には墓参できるよう、静養を終えて帰京することを常とされたという。
-----引用終了-----

これを読んだとき、国民が皇室に望んでいるのはこういうことだと改めて実感した。
御公務でいろいろな場にお出ましになられなくても、こういう方がおられるということだけで、ただただ十分に有難い。

ただ、こういう在り方を望むというのは、皇室に対する押しつけ、国民のエゴになってしまうのだろうか。

この記事の以下の箇所も、とても印象的である。
-----引用開始-----
百合子さまに仕えたある宮内庁職員は、宮中のしきたりを重んじた大正天皇の后貞明皇后の薫陶を守られていると感じていた。「つつましやかだが一本筋が通った方だった。戦前の皇室の空気をまとったたたずまいに学ぶことが多かった」と、敬意をこめてふり返った。
-----引用終了-----

「つつましやかだが一本筋が通った」
これを生涯続けるというのは難しい。
偉大なことであると思う。

「戦前の皇室の空気をまとったたたずまい」
失わていくというのは、寂しいことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男系継承の意義についての曖昧な議論

2024-11-07 23:47:15 | 皇室の話(3)
前回、「男系派の国会議員はちゃんと仕事をしなさい」で男系継承の意義についての説得力ある説明ということを述べたが、これまでの男系派の主張を見ていると、その内容については概ね以下の分類ができるのではないかと思う。

1 長く継続してきたことの重みがある
 126代にわたって継続してきたということ自体を重視する考え方である。これについては、客観的な事実として主張しやすく、それなりの説得力があると思う。
 ただ、なぜ男系で継続しなければならないのかについて、本質的な答えにはなっていない。
 また、継続してきたことによって生じた、いわば事後に成立した価値観ということであり、歴代のその時代ごとの日本人の信念であるとは言えない。
 要するに遺産を大事にしようという話である。竹田恒泰氏は法隆寺の木造という譬えで、この立場を説明している。

2 皇位の本質的なものは男系でなければ継承できない
 筆者も男系派であったころ、何とかこの観点での説明ができないかと随分考えたものである。
 八木秀次氏のY染色体の話は、この観点での説明に根拠を与えるものであるように思われ、飛びついた人も多かっただろう。
 ただ、Y染色体のことを昔の日本人が知っているはずもなく、また、Y染色体を持ち出すと神話とのつながりが破綻するし、また、神武天皇のY染色体は一子相伝というわけではないので、やはり皇位の本質的なものとは言えない。

3 歴代の皇室・日本人は男系継承を信念としてきた
 1と合わせ、過去の女性天皇が即位後に結婚したことはないということも論拠にしたりしている。
 ただ、皇室・日本人が男系継承を信念としてきたということであれば、何らかの文献にその旨の記載があってもよさそうなものだが、それがない。

4 天皇としての役割は男性でないと果たせない
 これが本音なのかもしれない。昔よく取り上げられたのは、称徳天皇(孝謙天皇)という女性天皇による道鏡問題である。
 また、宮中祭祀のことを持ち出して、女性では穢れの問題があるので支障ありと主張したりする。
 ただ、男性天皇でも武烈天皇のように、問題のある行動(史料の上ではだが)をしている人はいる。
 また、祭祀の問題についても、過去の女性天皇が祭祀をしておられたことを踏まえると、やはり説得力がない。そもそも皇祖神が女性神である。


結局のところ、1を根拠にしつつ、2があるんじゃないか、3のように言えるんじゃないかといった具合であり、本音では4もあるが表立って展開する度胸もなく、曖昧な議論になっているというのが現状であろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする