気分はいつも、私次第

BS世界のドキュメンタリー 『マリーアントワネット 秘密のベルサイユ 後編』<1>

はい、後編です(ゼイゼイ)


先ず前編のおさらいを、サラ~ッと。
そして専門家の話からスタートです。

専門家の話
ヴェルサイユは、全ての人に開かれていた。
入りたい人は、自由に入ることができた。
必要なのは、帽子と剣だけ・・・

↑コレ、信じられないが本当らしいです。
私が読んだ文献にも、そう書かれていました。
つまり~庶民でも帽子と剣が着用されていれば
ルイ16世の食事風景を見学できた~ってこと、らしいです。
庭園は、入り放題?だったのか??

続いて、専門家の話
しかしアントワネットは、許可された人しか
プチ・トリアノンに入ることを許さなかった。
王妃の特別なコイン・・・これが許可証になっていた。
拒否された人々(宮廷人だよね)は、プライドを傷つけられ
その恨みは、アントワネットへと向かった・・・当然だが。

そしてアントワネットは、新たな遊びを思いつく。
プチ・トリアノン 王妃の劇場・・・・劇場でお芝居をするのだ。
アントワネット自身、ダンスや音楽が大好きで
ウィーンの子供時代には、
家族専用の劇場で、兄姉たちを舞台に立っていたのだ。

専門家の話
劇場は一見豪華に見えるが、実は案外質素な造りで。
木造仕立てで、彫像などは紙で造られている・・・・
「壁に宝石が埋め込まれている」などの噂は、デタラメ。
「豪華」に「見える」だけの劇場だが、最新技術があった。
舞台転換用の最新設備・・・・

実際映像で、この転換を見せていますが、かなり本格的です。
今見ても「オォ」と思うのだから
当時は感動モノだったと思いますよ。
背景も、本格的です。

この劇場に、パリの有名な劇団を呼んでお芝居を見ていた。
そしてついには、アントワネット自身が舞台に・・・・
お仲間の貴族たちと一緒に、演じるのだ。

専門家の話
この演じる宮廷人の中には、ルイ16世の弟2人もいた。
観客はアントワネットが招待した100人限定・・・・
観客が少ない時は、使用人たちも隙間から覗くことが許されていたと。

しかし招待されない貴族たちは、当然不愉快になる。

専門家の話
常に王妃に付き添っているべき、宮廷の重要人物や女官たちが
締め出されていた。
この結果、フランス王妃はトリアノンにいる間は
公式の場から姿を消してしまう、という事態になってしまったのだ。
前例の無いこと・・・・

アントワネットは、この離宮の中に
もうひとつの宮廷を作ってしまった。
付き従う女性たちは、家柄や役職ではなく
アントワネットとの相性の良さが規準で、選ばれることに。
その結果、アントワネットは宮廷で孤立を深めることになる。

専門家の話
アントワネットは、この離宮で自分の世界を作った。
そして王妃の名において、自分独自の規則を作った。
これは・・・・国王だけが持つ権限である。
これを王権の分裂、と見た人たちが大勢いたのだ。
そしてその後の出来事への誘い水に・・・・

再現ドラマでは、
ピクニックに興じるアントワネットと仲間たちが映し出されます。
緩やかな簡素なドレス・・・・でも締め付けがなく楽だ。
皆が芝生の上の敷物に輪になって座り、身分も関係ない。
ワイン(?)を楽しみ、フルーツをほおばり
楽しく談笑している様子が・・・・

悪意ある噂が蔓延する。
王妃はポリニャック夫人と、同性愛の関係にある。
そのイラストも紹介されます。
女性2人のキスシーンや、ベッドインの姿が。
手が相手の女性の股間に触れているイラストも数枚。
(結構際どいです。扇情的ですね)

しかし外界のことを気にしないアントワネットは
このような中傷に気付かなかったのか?
気付いても、無視したのか・・・
トリアノンに守られている・・・ここなら安心だ・・・

専門家の話
アントワネットは、自然に帰ろう、という主義であった。
衣装担当のベルタンは、王妃の意に沿ってドレスをデザインした。
コットンやモスリンの、スリップドレス。
シンプルで簡素・・・・

しかし簡素なドレスも、アントワネットが着ることで物議が。

1783年 サロンで展示されたアントワネットの肖像画。
このシンプルなドレスと、帽子、花一輪持って・・・って姿です。

専門家の話
王妃が肖像画を描かれる時は
本来王家の装束を身につけなければならない。
毛皮、勺、王冠・・・・
シンプルなドレスの肖像画は、瞬く間に市民の反感を買う。
貧しいレモネード売り娘をアントワネットに見立てたイラストが出回る。
絵はサロンから撤収。
新たに、豪華なドレス姿のアントワネットの肖像画が展示される。

専門家の話
庶民は矛盾している。
以前王妃の髪粉の原料が小麦粉だから、と非難していたのに
今度は質素な服装が、王室の品位を怪我している、と非難する。

しかし人々は、アントワネットを非難しながらも真似をする。
このシンプルなドレスが流行する。
しかしこのドレスには、輸入されたコットンが使われていたため
国内のシルク産業が、打撃を受けてしまう。

シルクは、フランスの一大産業。
これまでヴェルサイユでは、シルクがメインで使われていた。
また市民階級でも、大いに使用されていた。それが・・・
基幹産業の危機。
市民の間に、「オーストリアがフランスの産業をダメにしている」
という話が出始めた。
そして現代に残っているシルク専門店は数軒に・・・

1780年11月 ウィーンからの手紙が途絶えた。
母マリア・テレジアの崩御。
これで、アントワネットはウィーンから見張られることがなくなった。
同時に、導き手も失ったのだ。

1781年 2番目の子が誕生する。王子だ。
結婚から11年・・・・世継ぎの誕生である。名はルイ・ジョセフ。

専門家の話
この王子が、アントワネットを救った。
王妃の義務を果たしたことで、批判されない立場になった。
名実共にフランス王妃となったアントワネット。
彼女が再び企てたのは・・・・

小さな村を造るのだ。人口的な整備された村。
庭園の中の、まるで劇場のような小さな村。
建築家は、この村がアントワネットの理想だと理解していた。
プチ・トリアノン 王妃の村里(ハムレット)

映像では、村の様子が映し出されます。
まるで映画のセットのような村。美しい村。
おとぎ話に出てくるような・・・・
勿論、本当の村でもいないし、村の生活もない。
アントワネットの理想の、作り物の村。
過ごしたのは、僅か3年ほど・・・・

そして、修復の様子が映し出されます。
また村が描かれた当時の絵画が紹介されます。

フェルセンが、アントワネットのもとに帰ってくる。
王妃としての義務を果たした後だからこそ、
2人は恋人同士になれたのだと。
(一応ラヴシーン風、あり)

プチ・トリアノンの修復・・・・かなり詳しく。
フランス革命、ナポレオン時代の修復・・・・
その後打ち捨てられた・・・・
この建物は、殆ど打ち捨てられた時代が長いのだ。

マリー・ルイーズ時代の姿の記録が残っているので、
この記録を元に、修復作業を行っているそうです。
でもそれはアントワネットの精神を損なうものではない、と。



長くなりました。後編<2>へ続きます・・・・(ペコリ)
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ドキュメンタリー」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事