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NNNドキュメント 「19人を殺した君と重い障がいのある私の対話」

2019年3月16日(月)
相模原殺傷事件(2016年)の裁判員裁判(横浜地裁)で
判決が言い渡されます。
その当日(前日の深夜ですが)に放映されたドキュメンタリーです。

放映は3月16日(月)0:55~ 15日(日)24:55~ですね。


NNNドキュメント 2020/3/15「19人を殺した君と重い障がいのある私の対話」



20秒の番宣動画があります。よろしかったら御覧下さい。

このドキュメンタリーは植松聖被告と面会した
脳性まひがあり手足を動かせない重度障がい者の八木さんの姿を
追ったドキュメンタリーです。

番組では、先ず事件の概要の説明から。
そして植松被告の主張
「意思疎通のとれない障がい者は生きる価値がない」

そして八木勝自(やぎかつじ・65歳)さんの紹介。
重度障がい者である八木さんが映ります。

八木さん
「このままで終わっていいのかなって思う。
 死刑になっても、この事件は終わらないし」

ここで障がいのある若者が海水浴場で
楽しく遊んでいる映像が映ります。
説明が無いのですが、多分八木さんの若い頃かなって。

君(植松)はなぜ障がい者を殺したのか。
人間の価値ってなんだ。
八木さんはそれが知りたかった・・・・

富山市 昨年(2019年)8月
北日本放送(富山県)に八木さんから連絡が入った。
話したいことがある、と相談された。
取材・ナレーションを務めた武道優美子さん(北日本放送アナウンサー)が
八木さんの自宅を訪問する。

当時の訪問時の映像。
市営住宅でひとり暮らしの八木さん。
重度障がい者の八木さんには、生活全てに介助が必要。
八木さんを介助する男性の姿も映ります。
武道さんと八木さんは5年前に取材で知り合った。

八木さんの生活を紹介する。
筒状の先端に引っ掛ける金具を取り付けた“八木さんの手”
この手を使い、八木さんは電動車椅子を操作する。
まや金具は取り外し可能なようで
先端にタッチペンを付けると、メールを打てる。
現在八木さんは障がい者の自立を支援するNPO法人の理事長を務めている。

八木さんが武道さんに話したかったこと、とは。
封筒が出てくる。差出人は植松聖。
八木さんは植松被告と手紙を交わしていた。
(植松被告の手紙が映る。
 様々な報道で指摘されているが、達筆です。
 加えて読みやすい&言葉も礼儀正しい)

八木さん
「あの人(植松被告)は
 悪いことをしたとは思っていないんです。
 不思議なのは あんな1時間に19人を殺害して
 そんな短時間にやる(殺す)心理が分からん。
 本当にできるものなのかと。
 そういうエネルギーが、どこにあるんだろうと」

去年(2019年)7月 八木さんは最初に植松被告に手紙を送った。
その手紙が画面に映ります。

『拝啓 植松被告様へ
 優性思想の特攻隊であるあなたを死刑などにせず娑婆(シャバ)へ
 連れ戻して罪を悔い改め、更生させようと思っている者より』

という言葉から始まる手紙です。

『私は首から下が自分の意思で動かせなくて、
 言語障害が多少ありますが 意思疎通のできる障がい者です。
 例い意思疎通ができない障がい者だろうと
 社会に出てきて、
 人々に対して様々な問題提起をして欲しいと思っています。
 これは現代の優性思想や能力主義の考え方が強すぎて
 私がどんなに努力しても、今の時代では、
 そういうことは一兆分の一も叶わないだろうと思っています。
 それがひとりの障がい者として またひとりの人間として
 非常に悔しく思っています・・・・』

(管理人より
 この先紹介します手紙ですが
 手紙の文面が映らず、ナレーションだけの部分があります。
 書き起こしますが、漢字や句読点などが
 手紙の通りではないかもしれません。
 御了承下さい)

八木さんは植松被告からの返信を期待していなかった。
しかし返信が来た。
半月ほどしてからの返信。
拘置されている横浜拘置支所からの手紙だ。

これは多くの報道で指摘されていますが
植松被告は、まぁ全てでは無いでしょうが
面会希望や手紙が来た場合、応じているとのことです。

植松被告の返信
『八木勝自様
 御手紙を拝読致しました。
 手足は不自由な生活は不便で腹立たしいと思います。
 八木さんの気持ちは分かりますが 考えに従う事はできません。
 誰も自分の金で意思疎通とれない方を支援することはできないからです。
 ・・・・・・』

手紙に一緒に入っていたのは、植松被告が描いたイラスト。
黒い鯉 背びれと尾びれに傷が描かれている。
(このイラストは、よく紹介されています)

手紙を受け取った八木さんの反応は?
八木さん
「私は植松を死刑にしたくないと思う。
 植松ひとりが悪いのかな。
 死刑にしてそういう問題を、ただそれだけで
 解決して良いのかなと思っている」

植松被告を死刑にしても
問題の本質は解決しないのではないか。
そう考える八木さんには、ある体験があった。

電車の乗る八木さんの映像。

八木さんの過去を振り返る。
1歳6ヶ月の頃、はしかに罹り手足に麻痺が残った。
もの心が付く前に父親が亡くなり
八木さんは6歳で養護施設へ入所。

子供時代の八木さんの写真が紹介されます。

その後自宅へ戻ったが、母親ひとりでは世話ができず
15歳で障がい者施設に入所。
そこで八木さんは、自分よりも重い障がいを持つ人がいることを知った。

八木さん
「160人収容で私が一番 軽度だった。
 言葉でしゃべるのは4人ほどだったかな。
 朝食は40人を4人の職員で食べさせにゃいかん。
 それを押さえ(職員の)股に(顔を)挟んで
 無理やり口を開けなければならない人とか
 いろいろと居て 流れ作業と言うか
 自由に(外へ)出してもらえなかったし
 中庭さえ・・・」

当時息苦しさを感じていた八木さんは思った。
施設で働いていた植松被告も、
自分と同じように追い詰められたのではないか、と。

八木さん
「異常な世界で 植松被告もその異常な世界に
 耐え切れなかったし施設にあと2~3年いたら
 (自分も)そう思ったかもしれない。
 植松被告みたいに「死んでしまえ」と思ったかもしれない。 
 欲求不満で」

この話題の背景に、施設にいや当時の八木さんの写真が
何枚か映ります。

障がい者は死んでしまえ
障がいのある自分でさえも抱きそうになった優性思想。
その思いを踏み止ませたのは環境の変化だった。
八木さんは23歳の時、地域で一人暮らしを始める。
周囲の反対を押し切って施設を飛び出した。

ここで・・・ドキュメンタリー映画のテロップが。
“『できんでいいが!』1982年度 あほう鳥社”
八木さんを追ったドキュメンタリー映画?かな?
そのようですね。
当時介助者や仲間と作ったドキュメンタリー映画、だそうです。

笑顔の八木さん。
冒頭で紹介された海で楽しそうにしている映像も
この映画から~みたいですね。

八木さんは、気付いたという。
どんな障がい者にも生きる喜びがある、と。

ドキュメンタリー映画に収録されている声。
当時27歳の八木さんの声です。
「障がい者を「かわいそう」とか「不幸」とか言うのは
 健全者の一方的な押し付けであって
 私たち障がい者から言えば、
 「できなくたっていいじゃないか」と言いたいのです」

八木さんは、障がい者の社会参加を進めたいと思っていた。
49歳の時 富山市でNPO法人「文福」を立ち上げた。
ここではスタッフの多くも障がい者である。
介助者の派遣や機関紙発行などで、自立を支援している。

「文福」の映像が映ります。
働く人々の姿。

八木さんは植松被告に、2通目の手紙を送る。

『前略 植松聖被告様
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人は長く生きていれば誰だって 1人や2人は殺したい人はいます。
 けれども人はそれをやってはいけないし
 ・・・・・・
 関係のない人を多数殺害することは当たり前の事ですが
 絶対に実行してはいけない
 ・・・・・・・・・・・・・
 植松被告様 本当はどうなのか。
 実際に接見したいと思っています・・・・・・・』

1週間後に返信が来た。

『八木勝自様
 御手紙を拝読いたしました・・・・・・・・
 八木さんは頑張れる人ですが、怒鳴ることしかできない方もいます。
 ・・・・・・・・これから意識のない重度障がい者は安楽死すべき、と考えております。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 遠方まで御足労頂き大変恐縮ですが
 有意義な御話を伺えたら幸いです・・・・・・・・』

植松被告は、接見に応じると言う。

八木さんと武道さんの会話
接見することで、八木さんが傷つくこともあるのでは?
八木さん
「それはお互いでしょう」

八木さんは、富山市から横浜へ向かう。

2019年9月6日 横浜拘置支所
八木さんは植松被告と接見する。
記者として武道さんも同行している。

取材を元に2人の会話を再現する・・・・・(映像機器等は持ち込み不可だからね)

接見室に現れた植松被告(当時29歳)
会話が始まる

「今日は植松さんに伝えたいことがあったから来ました」
「はい、お願いします」

イラストや再現ドラマ風に2人の様子を伝えています。
植松被告のリラックスした表情が、印象に残ります。
八木さんは、自分が施設で感じた息苦しさを伝えます。
植松被告も感じていたのではないか?と。
(文章の一部に?なものもありますが
 番組内で紹介されたものをできるだけ忠実にってことで)

「植松さんが職員として働いていた時
 他の職員の対応は、どうだったのですか?」
「悪い人ばかりじゃない。一生懸命働いている人もいる。
 やまゆり園はいい施設だと思っています。
 障がい者施設の中では」

「植松さんも手紙の文章を丁寧で、すごくいい青年だと思った。
 ただ、なぜこんな事をしたのかと疑問に思っていた。
 人間は殺される権利は無い(ここ色つきテロップで強調)」
「それは違う。僕は人間だと思っていません。
 八木さんは 人間とは何ぞや(テロップで強調)とお考えですか」

「一言で言えば 人間は生きている分、
 生きていても良いことはないです。
 だからみんな重度障がい者と一緒ではないですか」
「そこを一緒にする。それが間違いなんじゃないですか」

「どういう意味」
「八木さんとは意思疎通が取れてるじゃないですか。
 理性 良心があることが人間だと(自分は)考えているので」
 (↑この一文、色つきテロップで強調)

「私は、環境が人を変えると思っている。
 社会階級によって人間は変わっていく。
 施設を出て地域で暮らしてきて、良かったと思う」

植松被告の口調が変化する
「差別ではなく 区別です(テロップで強調)
 差別は偏見に基づく。区別とは違う。
 意思疎通取れない人は、有害だから」
「いや違う」
「意見が違うんじゃなくて」

「僕以外の障がい者は、殺していいと思ったか。
 でも私は世間に出て 違う考えになった。
 植松さんとは また逆なんです」
「意思疎通ができない人を守るという立ち位置は、改善すべきです」

「・・・・・やっぱりこういう形では会いたくなかった・・・・
 植松さんは死刑になると思うけど
 私は生きていて欲しいと思う。
 こういう形で生きていても仕方ない。
 もっと意味のある生き方をして欲しい」
「ありがとうございます」

武道さんも質問する(この会話はテロップで表示されています)
「人は誰でも高齢になって
 意思疎通がとれなくなる場合もあります。
 仮にあなたがそうなったら、殺されるべきだと思いますか」
「それは難しいですね。
 でも自死を選択すべきです」

会見時間は30分。
植松被告は深くお辞儀をして退室。

疲れきった八木さん。
どこかな?事務所のような場所でソファに横たわる。
八木さん
「予想の10倍から100倍ほど 深刻だなって思った。
 (自分の言葉が)響いてほしいと思う」

接見から1ヶ月・・・・
八木さんは富山市の福祉施設で報告会を行った。

八木さん
「意思疎通や会話ができない人は「人間ではない」と
 植松は(言った)」

植松被告の言葉を伝えていた時
聞いていた人々の中にいた女性=多根千鶴さんが声を挙げた。
(障がい者の女性です)
植松被告の言葉を聞いて、悔しくて憤慨している様子。
言葉が出てこないけど、表情で憤りが伝わります。

多根さんの母親
千鶴なりに、何かを感じている(ようだと)
そして自分も人間として、やっぱりより良く生きたいという心は
常に持っていると・・・(と思う)

そして植松被告の裁判についての説明が。
検察側は死刑を求刑。
弁護側は大麻の乱用による心身喪失状態にあったなどとして無罪を主張。

判決は今日
2020年3月16日・・・・・・・・


*********************

八木さんと植松被告の接見が、重いのは当然ですが、やはり重い。
八木さんが自身の経験
=施設にいた時に感じた、重度障がい者への思い。
また施設職員がどう考えて日々の仕事に従事していたのか、などは
う~ん、私には納得させるものがありましたね。

私が視聴したり、記事を読んだりした限りですが
植松被告に対する意見は様々です。
殺害された被害者の方々の御遺族が語ることは
とても重要であることに、間違いはありません。
しかし・・・・その一方で・・・・
当事者の方々の声は?という考えは、常に付き纏っていました。
私の中で。

今回この番組を視聴し、また記事にしようと思ったのは
八木さんは、まさしく当事者の一員であると思ったからです。

植松被告との接見で、何か得られたか?は分かりません。
八木さんは、何かもっと番組では語らなかったことが
あるのでは?と思っています。

この事件がなぜ、人の心をざわつかせるのか・・・・・・

それが、この事件の核心ではないでしょうか?
私はそう思います。
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