シリーズ『全米男性会議とフレッド・ヘイワード』の第5回です。
(関連キーワード : 弱者男性問題,男性差別問題,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放運動)
下村満子さん による 『男たちの意識革命』(朝日文庫,1986年)の中に収められている、『おれたちは女のための“カネ生み機械”じゃない』(pp.155~168)の内容を紹介していきます。
※ 過去記事(未読の場合、ぜひ併せてお読みください!)
・ 第1講(イントロダクション)
・ 第2講(第1回全米男性会議のこと)
・ 第3講(フレッドの体験(前編))
・ 第4講(フレッドの体験(後編))
--------------------
今回は、いよいよ、第1回全米男性会議におけるフレッドさんの基調講演を取り上げます。
第3講 と 第4講 で見てきたような、フレッドさんの体験とそれに付随するさまざまな思い・考えが、基調講演には反映されています。
◆ 女性解放運動の嵌った落とし穴 ~性差別に反対しながら性差別をする矛盾~
基調講演の中で、フレッドさんは、女性解放運動が嵌り込んだ落とし穴について言及します。
それは、簡単に言ってしまえば、「性差別に反対する運動のはずなのに、自らが性差別の担い手となっている」という落とし穴です。
彼の言葉で読んでみましょう。
……いまや、男性解放のときはきたのです。性差別に反対するといって女性たちが始めた運動は、みずから性差別のおとし穴に落ち込んだのです。今日、だれよりも性差別主義に徹しているのは女性自身なのです。
第3講 と 第4講 で見てきたように、フレッドさんは、当初は女性解放運動に賛同していました。しかし、その欺瞞をまざまざと見せつけられ、方針を大きく変えたのでした。
では、いったい、どのような点で女性解放運動は性差別主義的なのだと主張しているのでしょうか。
続きを読んでみましょう。
女性解放運動は、男性をすべて敵として、あらゆる社会的害悪の根源は男にあるときめつける性差別者の運動 となっています。戦争も犯罪も不況も政治も大企業の巨大な権力行使も、すべて男が原因なのだと。そして 『女の価値観』『女の力』『女の視点』のみが、そうした悪を解決できる のだ、といいます。
『女だけが本当の痛みを知っている』『女だけが本当の愛を知っている』と 『女』を他と区別してその優越性を強調 し、『男は特権を乱用している』『男はすべてレイプスト (強姦者)』『男は支配欲のかたまりだ』『男は女を性欲の対象としてしかみない』などと、 すべてのマイナスイメージを男に押しつける のです。これが性差別でなくて何でしょうか!
いかがでしょうか。
女性解放運動は、
・ 男性全体を敵視している(根底には男性嫌悪と男性憎悪がある)
・ 「男がすべて悪い」という教条主義に頑ななまでに囚われている(思考停止とレッテル貼り)
・ 《 女の○○ 》を過剰なまでに賞賛している(一方で、《 男の○○ 》は完全否定)
・ 女性の優越性を強調している(相対的に男性の劣等性を強調している)
・ すべてのマイナスイメージを男性に押し付けている
というわけです。
女性が 「女性である」というだけで 見下されたり、劣等である(能力が低い等)と決め付けられたりすれば、それは問題でしょう。
では、女性が 「女性である」というだけで 賞賛されたり、優等であると決め付けられるのはいいのでしょうか?
あるいは、男性が 「男性である」というだけで 憎悪され否定され劣等である決め付けられるのはいいのでしょうか?
僕はこれらも問題だと思います。プラスイメージとマイナスイメージ、あるいは、男性と女性を入れ替えて考えれば、同じことだからです。
しかし、女性解放運動は、残念ながら、これらのことを平然と行っているわけです。性差別に反対するといいながら平然と性差別を行っているのです。
フレッドさんはそこを問題点として捉え、指摘しているのです。
そして、これは、今の日本にも通じるところがあると思うのですが、どうでしょうか。
◆ 新聞での取り扱われ方
ところで、彼のスピーチは当時のアメリカでどのような扱われ方をしたのでしょうか。
新聞を例にとって考えてみましょう。
[問題]
第1回全米男性会議における、フレッドさんの基調講演を、当時のアメリカの新聞はどのように扱ったと思いますか?
ア.ほとんどの新聞が、記事に引用する等して取り上げた
イ.半分くらいの新聞が、記事に引用する等して取り上げた
ウ.わずかな新聞のみが、記事に引用する等して取り上げた
エ.この講演を取り上げた新聞は無かった
どうしてそう思いますか?
--------------------
第2講 で確認したとおり、政府から一切資金援助を受けることすらできなかった全米男性会議。
果たして、その基調講演はどのように取り扱われたのか気になるところです。
その答えがわかる部分を引用してみます。
彼のスピーチは好評だった。全米のほとんどの新聞が、フレッドのスピーチを記事に引用した。
というわけで、正解はアでした。
フレッドさんの魂のこもった熱い演説は、多くの新聞で取り上げられ、広く知られることになったのでした。
◆ 女性解放運動は「男女平等」など目指していない!
フレッドさんの基調講演は、まだまだ続きます。
第4講 で見たとおり、彼は、交際相手の女性とのトラブルを通じて、女性解放運動の欺瞞を見せ付けられたのでした。
彼は、女性解放運動は「男女平等」を掲げているものの、実のところそれを目指してなどいないのだと主張します。
さっそく、該当部分を読んでみましょう。
フェミニストたちは、男女平等の旗をかかげて勇ましく行進してきました。 男も家事や育児の責任を分担せよ 、といったのです。
そこで、男たちが、OK、わかった、公平にやろうぜ。家事も手伝うし、子育てもやろう。 そのかわりキミたちも、男がこれまで引き受けてきたことを分担してくれ。 生活費や子供の養育費の半分はキミが稼ぐべきだし、兵役の義務も分担してほしい。子供だって母親だからといって独占する権利はない。
そういうと、女性たちは、あわてて「ちょっと待って」という。兵役の義務はいやよ。 女は男と生理が違うし、子供を産む体なのよ。家計だって、男が本来責任を持つべきものよ。女が仕事をするのは、人間らしく生きるためなの。それに子供は、私が、私の肉体が産んだものなんだから、私のものよ。男に子供をうぼう権利はないわ。男のすべきことは、養育費を払うことよ、という。
ぼくが女性運動は、似非だといったのは、そういう意味なのです。
《 家庭にいて家事や育児をする 》のが、伝統的な女性の性役割であるとするならば、《 働いてお金を稼ぎ家族を養う 》のが、伝統的な男性の性役割といえるでしょう。
人間が多様である以上、このような性役割を苦痛に感じる人は 男女を問わず 存在します。
キャリアを積んでバリバリ働きたい女性にとって、伝統的な女性の性役割が重荷であり苦痛だと思います。
同様に、家事や育児が好きな男性や、虚弱な男性,ゆとりのある生き方を望む男性にとって、伝統的な男性の性役割は重荷であり苦痛なのです。
「すべての女性が家事や育児を好むわけではない」のと同様に、「すべての男性があくせく働いてお金を稼ぐことを好むわけではない」のです。
フェミニストたちは、「男も家事や育児の責任を分担せよ」と強圧的に曰うかもしれません。僕は 男性が家事や育児に積極的に参画できるようになることに強く賛成 ですが、スタンスは違います。結論は同じでも、そこに至る思考プロセスが違うのです。
フェミニストの場合、家事や育児を《 苦役 》として捉えているように感じます。 「嫌で嫌でたまらない家事や育児を男性にもやらせたい」 という動機から、男性の家事や育児への参画を主張しているように見えます。また、働いてお金を稼ぐことを《 楽しみ 》や《 価値あること 》と考えているようにも感じます。だから、その場から女性が疎外されているのが許せないのでしょう。こう考えれば納得がいきます。
一方、僕は、 「これまでは男性が家事や育児の場から疎外されてきた」 という認識を持っています。そして、男性が馬車馬のごとく働きお金を稼ぐという《 苦役 》から解き放たれ、ゆとりを持ち、家事や育児にも楽しく関われるような、そんな社会になればいいと思っているのです。
男性が家事や育児をしたり、伝統的に女性の仕事とされてきた仕事(たとえば保育や看護など)をすることに対する根強い抵抗は、いまだに社会(もちろん男女は問わず社会全体を指す)にあります。これは残念なことです。
僕はよく台所の手伝いなどをする少年でした。父も母も祖父もそんな僕をほめてくれましたが、唯一、祖母だけは、否定的でした。男の子が台所で作業しているのが気に入らなかったのです。それで、僕を台所から追い出そうとしました。洗濯を手伝っていたときも同じようなことになりました。祖母は僕のことを「男の子らしくない」とか「女の腐ったの」などと侮辱することもありました。いうまでもありませんが、祖母は、《 女性 》です。
※ 参考リンク : 「トイレがない」「更衣室がない」 男性保育士のハードな労働環境は「男性差別」か?
(男性保育士や男性看護師は、何かと大変なようですよ・・・)
もう少し、フレッドさんの講演を読み進めましょう。
ぼくはついこの間、女医さんとデートしました。眼科医で、ぼくなんかより何倍もの収入がある女性です。彼女は自分の生き方に大変誇りを持っているようで、女性の独立と平等を説き、女性運動のもたらしたすばらしさを強調しました。ところが食事が終わって、勘定書がきたとき、彼女は何の躊躇もなくそれをぼくに渡したのです。ぼくが払うのが当然というように。
女性運動は、確かにこれまでの伝統的な女性の生き方を変えたかもしれない。だが、 そうした“解放された女たち”も男に対してはこれまでどおりの伝統的生き方を強いるのです。金を払う役割、異性に対し最初に話しかける役割、デートを申し込み、最初のキスをし……こうした役割をすべて男に期待するのです
さて、フレッドさんも述べている通り、女性解放運動は、伝統的な女性の性役割を重荷・苦痛と感じている女性を解放することはあっても、伝統的な男性の性役割を重荷・苦痛と感じている男性を解放することはありません。
これはある意味では当然のことなのかもしれません。なぜなら《 女性解放運動 》なのですから。そもそも、「男性のことなんか知ったことじゃない」というスタンスなのだと思います。
ところが、そのような運動が《 男女平等 》を掲げるから、話がややこしくなるのです。よく知らない人たちは、女性解放運動を推進すれば、(それだけで)男女平等が実現すると思ってしまいかねません。
しかし、現実にはそうではありません。
伝統的な女性の性役割を重荷・苦痛と感じている女性を解放するための《 女性解放運動 》と並列に、
伝統的な男性の性役割を重荷・苦痛と感じている男性を解放するための《 男性解放運動 》が必要 です。
この2つがそろってこそ、初めて男女平等が実現すると思います。
《 男性解放運動 》は、《 女性解放運動 》のオマケなどでは断じてありません。別のものとして進めていく必要があると思います。
ただし、男性解放運動は、女性解放運動の教訓によく学び、同じ失敗はしないことが大切でしょう。たとえば、男性全体を敵視・嫌悪・憎悪し、性差別主義に陥った女性解放運動に学び、男性解放運動は、女性全体を敵視・嫌悪・憎悪することは避ける必要があるでしょう。
--------------------
今回はここまでです。
次回も引き続き、第1回全米男性会議における、フレッドさんの基調講演を紹介していきます。
どうぞお楽しみに。
※ 執筆計画(変更する場合あり)
【1】イントロダクション
【2】第1回全米男性会議のこと
【3】フレッドの体験(前編)
【4】フレッドの体験(後編)
【5】フレッドの基調講演(前編)
【6】フレッドの基調講演(後編)
【7】男性解放運動の諸相
【8】第1回全米男性会議の成果
※ 弱者男性問題,男性差別問題,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放運動 に関連した書籍・webサイトの紹介は、 こちら をご覧ください
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下村満子さん による 『男たちの意識革命』(朝日文庫,1986年)の中に収められている、『おれたちは女のための“カネ生み機械”じゃない』(pp.155~168)の内容を紹介していきます。
※ 過去記事(未読の場合、ぜひ併せてお読みください!)
・ 第1講(イントロダクション)
・ 第2講(第1回全米男性会議のこと)
・ 第3講(フレッドの体験(前編))
・ 第4講(フレッドの体験(後編))
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今回は、いよいよ、第1回全米男性会議におけるフレッドさんの基調講演を取り上げます。
第3講 と 第4講 で見てきたような、フレッドさんの体験とそれに付随するさまざまな思い・考えが、基調講演には反映されています。
◆ 女性解放運動の嵌った落とし穴 ~性差別に反対しながら性差別をする矛盾~
基調講演の中で、フレッドさんは、女性解放運動が嵌り込んだ落とし穴について言及します。
それは、簡単に言ってしまえば、「性差別に反対する運動のはずなのに、自らが性差別の担い手となっている」という落とし穴です。
彼の言葉で読んでみましょう。
……いまや、男性解放のときはきたのです。性差別に反対するといって女性たちが始めた運動は、みずから性差別のおとし穴に落ち込んだのです。今日、だれよりも性差別主義に徹しているのは女性自身なのです。
第3講 と 第4講 で見てきたように、フレッドさんは、当初は女性解放運動に賛同していました。しかし、その欺瞞をまざまざと見せつけられ、方針を大きく変えたのでした。
では、いったい、どのような点で女性解放運動は性差別主義的なのだと主張しているのでしょうか。
続きを読んでみましょう。
女性解放運動は、男性をすべて敵として、あらゆる社会的害悪の根源は男にあるときめつける性差別者の運動 となっています。戦争も犯罪も不況も政治も大企業の巨大な権力行使も、すべて男が原因なのだと。そして 『女の価値観』『女の力』『女の視点』のみが、そうした悪を解決できる のだ、といいます。
『女だけが本当の痛みを知っている』『女だけが本当の愛を知っている』と 『女』を他と区別してその優越性を強調 し、『男は特権を乱用している』『男はすべてレイプスト (強姦者)』『男は支配欲のかたまりだ』『男は女を性欲の対象としてしかみない』などと、 すべてのマイナスイメージを男に押しつける のです。これが性差別でなくて何でしょうか!
いかがでしょうか。
女性解放運動は、
・ 男性全体を敵視している(根底には男性嫌悪と男性憎悪がある)
・ 「男がすべて悪い」という教条主義に頑ななまでに囚われている(思考停止とレッテル貼り)
・ 《 女の○○ 》を過剰なまでに賞賛している(一方で、《 男の○○ 》は完全否定)
・ 女性の優越性を強調している(相対的に男性の劣等性を強調している)
・ すべてのマイナスイメージを男性に押し付けている
というわけです。
女性が 「女性である」というだけで 見下されたり、劣等である(能力が低い等)と決め付けられたりすれば、それは問題でしょう。
では、女性が 「女性である」というだけで 賞賛されたり、優等であると決め付けられるのはいいのでしょうか?
あるいは、男性が 「男性である」というだけで 憎悪され否定され劣等である決め付けられるのはいいのでしょうか?
僕はこれらも問題だと思います。プラスイメージとマイナスイメージ、あるいは、男性と女性を入れ替えて考えれば、同じことだからです。
しかし、女性解放運動は、残念ながら、これらのことを平然と行っているわけです。性差別に反対するといいながら平然と性差別を行っているのです。
フレッドさんはそこを問題点として捉え、指摘しているのです。
そして、これは、今の日本にも通じるところがあると思うのですが、どうでしょうか。
◆ 新聞での取り扱われ方
ところで、彼のスピーチは当時のアメリカでどのような扱われ方をしたのでしょうか。
新聞を例にとって考えてみましょう。
[問題]
第1回全米男性会議における、フレッドさんの基調講演を、当時のアメリカの新聞はどのように扱ったと思いますか?
ア.ほとんどの新聞が、記事に引用する等して取り上げた
イ.半分くらいの新聞が、記事に引用する等して取り上げた
ウ.わずかな新聞のみが、記事に引用する等して取り上げた
エ.この講演を取り上げた新聞は無かった
どうしてそう思いますか?
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第2講 で確認したとおり、政府から一切資金援助を受けることすらできなかった全米男性会議。
果たして、その基調講演はどのように取り扱われたのか気になるところです。
その答えがわかる部分を引用してみます。
彼のスピーチは好評だった。全米のほとんどの新聞が、フレッドのスピーチを記事に引用した。
というわけで、正解はアでした。
フレッドさんの魂のこもった熱い演説は、多くの新聞で取り上げられ、広く知られることになったのでした。
◆ 女性解放運動は「男女平等」など目指していない!
フレッドさんの基調講演は、まだまだ続きます。
第4講 で見たとおり、彼は、交際相手の女性とのトラブルを通じて、女性解放運動の欺瞞を見せ付けられたのでした。
彼は、女性解放運動は「男女平等」を掲げているものの、実のところそれを目指してなどいないのだと主張します。
さっそく、該当部分を読んでみましょう。
フェミニストたちは、男女平等の旗をかかげて勇ましく行進してきました。 男も家事や育児の責任を分担せよ 、といったのです。
そこで、男たちが、OK、わかった、公平にやろうぜ。家事も手伝うし、子育てもやろう。 そのかわりキミたちも、男がこれまで引き受けてきたことを分担してくれ。 生活費や子供の養育費の半分はキミが稼ぐべきだし、兵役の義務も分担してほしい。子供だって母親だからといって独占する権利はない。
そういうと、女性たちは、あわてて「ちょっと待って」という。兵役の義務はいやよ。 女は男と生理が違うし、子供を産む体なのよ。家計だって、男が本来責任を持つべきものよ。女が仕事をするのは、人間らしく生きるためなの。それに子供は、私が、私の肉体が産んだものなんだから、私のものよ。男に子供をうぼう権利はないわ。男のすべきことは、養育費を払うことよ、という。
ぼくが女性運動は、似非だといったのは、そういう意味なのです。
《 家庭にいて家事や育児をする 》のが、伝統的な女性の性役割であるとするならば、《 働いてお金を稼ぎ家族を養う 》のが、伝統的な男性の性役割といえるでしょう。
人間が多様である以上、このような性役割を苦痛に感じる人は 男女を問わず 存在します。
キャリアを積んでバリバリ働きたい女性にとって、伝統的な女性の性役割が重荷であり苦痛だと思います。
同様に、家事や育児が好きな男性や、虚弱な男性,ゆとりのある生き方を望む男性にとって、伝統的な男性の性役割は重荷であり苦痛なのです。
「すべての女性が家事や育児を好むわけではない」のと同様に、「すべての男性があくせく働いてお金を稼ぐことを好むわけではない」のです。
フェミニストたちは、「男も家事や育児の責任を分担せよ」と強圧的に曰うかもしれません。僕は 男性が家事や育児に積極的に参画できるようになることに強く賛成 ですが、スタンスは違います。結論は同じでも、そこに至る思考プロセスが違うのです。
フェミニストの場合、家事や育児を《 苦役 》として捉えているように感じます。 「嫌で嫌でたまらない家事や育児を男性にもやらせたい」 という動機から、男性の家事や育児への参画を主張しているように見えます。また、働いてお金を稼ぐことを《 楽しみ 》や《 価値あること 》と考えているようにも感じます。だから、その場から女性が疎外されているのが許せないのでしょう。こう考えれば納得がいきます。
一方、僕は、 「これまでは男性が家事や育児の場から疎外されてきた」 という認識を持っています。そして、男性が馬車馬のごとく働きお金を稼ぐという《 苦役 》から解き放たれ、ゆとりを持ち、家事や育児にも楽しく関われるような、そんな社会になればいいと思っているのです。
男性が家事や育児をしたり、伝統的に女性の仕事とされてきた仕事(たとえば保育や看護など)をすることに対する根強い抵抗は、いまだに社会(もちろん男女は問わず社会全体を指す)にあります。これは残念なことです。
僕はよく台所の手伝いなどをする少年でした。父も母も祖父もそんな僕をほめてくれましたが、唯一、祖母だけは、否定的でした。男の子が台所で作業しているのが気に入らなかったのです。それで、僕を台所から追い出そうとしました。洗濯を手伝っていたときも同じようなことになりました。祖母は僕のことを「男の子らしくない」とか「女の腐ったの」などと侮辱することもありました。いうまでもありませんが、祖母は、《 女性 》です。
※ 参考リンク : 「トイレがない」「更衣室がない」 男性保育士のハードな労働環境は「男性差別」か?
(男性保育士や男性看護師は、何かと大変なようですよ・・・)
もう少し、フレッドさんの講演を読み進めましょう。
ぼくはついこの間、女医さんとデートしました。眼科医で、ぼくなんかより何倍もの収入がある女性です。彼女は自分の生き方に大変誇りを持っているようで、女性の独立と平等を説き、女性運動のもたらしたすばらしさを強調しました。ところが食事が終わって、勘定書がきたとき、彼女は何の躊躇もなくそれをぼくに渡したのです。ぼくが払うのが当然というように。
女性運動は、確かにこれまでの伝統的な女性の生き方を変えたかもしれない。だが、 そうした“解放された女たち”も男に対してはこれまでどおりの伝統的生き方を強いるのです。金を払う役割、異性に対し最初に話しかける役割、デートを申し込み、最初のキスをし……こうした役割をすべて男に期待するのです
さて、フレッドさんも述べている通り、女性解放運動は、伝統的な女性の性役割を重荷・苦痛と感じている女性を解放することはあっても、伝統的な男性の性役割を重荷・苦痛と感じている男性を解放することはありません。
これはある意味では当然のことなのかもしれません。なぜなら《 女性解放運動 》なのですから。そもそも、「男性のことなんか知ったことじゃない」というスタンスなのだと思います。
ところが、そのような運動が《 男女平等 》を掲げるから、話がややこしくなるのです。よく知らない人たちは、女性解放運動を推進すれば、(それだけで)男女平等が実現すると思ってしまいかねません。
しかし、現実にはそうではありません。
伝統的な女性の性役割を重荷・苦痛と感じている女性を解放するための《 女性解放運動 》と並列に、
伝統的な男性の性役割を重荷・苦痛と感じている男性を解放するための《 男性解放運動 》が必要 です。
この2つがそろってこそ、初めて男女平等が実現すると思います。
《 男性解放運動 》は、《 女性解放運動 》のオマケなどでは断じてありません。別のものとして進めていく必要があると思います。
ただし、男性解放運動は、女性解放運動の教訓によく学び、同じ失敗はしないことが大切でしょう。たとえば、男性全体を敵視・嫌悪・憎悪し、性差別主義に陥った女性解放運動に学び、男性解放運動は、女性全体を敵視・嫌悪・憎悪することは避ける必要があるでしょう。
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今回はここまでです。
次回も引き続き、第1回全米男性会議における、フレッドさんの基調講演を紹介していきます。
どうぞお楽しみに。
※ 執筆計画(変更する場合あり)
【1】イントロダクション
【2】第1回全米男性会議のこと
【3】フレッドの体験(前編)
【4】フレッドの体験(後編)
【5】フレッドの基調講演(前編)
【6】フレッドの基調講演(後編)
【7】男性解放運動の諸相
【8】第1回全米男性会議の成果
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せっかくコメントを頂いたのに、お返事が大変遅くなってしまい、ごめんなさい。
> この講演を読む限り、30年以上経った現在においても、状況はほとんど変わっていないのだな、と思わざるを得ません。
本当にそうですよね。30年たっても根本的には変わっていないというのが現実なのだと思います。
> 男性が仕事を独占していた時代には、男性が妻子を養うことで、男性から女性への所得の再分配が実現していました。
確かにそうですね。このあり方(夫が稼ぎ、妻子を養う)の是非はともかく、それなりにうまく機能していたのだと思います。
> 女性側が下方婚や専業主夫を受け入れるように価値観を変えていかない限り、このままでは男性側の不利益が増えるだけです。
ここなんですよね。
でも、そんなことは本当にあり得るのだろうかとも、思ってしまいます。
> 自分達は女性を抑圧から解放せよと言う一方で、男性には平気で抑圧を押し付ける。
まったくですね。
己のしていることの矛盾と暴力性を、少しは自覚してもらいたいなあと思いますね。
抑圧を批判し、暴力に反対しながら、自ら抑圧と暴力の担い手になっているという現状を直視してもらいたいと思います。
> 社会進出のように権利を獲得する場面では「性差による能力差などない」と言い、
> 義務を負わなくてはならない場面では性差を持ち出して「男が女を支えよ」という矛盾には辟易します。
まさに、ダブルスタンダードですね。
僕としては基本的に「性差による能力差はない」というのを支持していて、「男性 / 女性 だから」という理由での差をつけての取り扱いは、極力排除していけばいいと思っています。
(その代わり、個人の能力差・体力差等にはできる範囲で配慮していく必要があるとも考えています。性差よりも個人差のほうが大きいので、性別で一括して考えるよりも、各人をそれぞれ見ていったほうが公正だと思うのです)
でも、フェミニズムは、「男性 / 女性だから」という理由での差をつけての取り扱いのうち、
自分たちにとって都合の悪いものは無くせと主張する一方、
自分たちにとって都合のよい部分は残し、さらに強化しようとしているように見受けられます。
これでは、公正ではありませんし、あまりに自己本位だと感じます。
こんなダブルスタンダードを堂々としながら、《 男女平等 》を掲げているのだから、訳がわかりません。
> しかしそうであるなら、「フェミニズムは男性も性役割から解放する」などという言い分を信じることはできません。
> このようなことを言う人には、「ではフェミニズムが男性を『加害者』という立場から開放したことがありますか?」
と問いたい気分です。
フェミニズムは男性も解放するという風に、僕自身も思っていた時代がありました。
でも、色々と知れば知るほど、そんなことは無いのだということに気づかされて、今に至るわけです。
そういう点では、この講演のフレッドさんと、僕自身は、重なる部分が多いなあと感じます。
僕は決してフェミニズムを全否定する立場ではないけれど、少なくとも今のままでは、《 女権拡張 》ではあれど、《 男女平等 》にはなり得ないと思うので、残念な気持ちと憂いと憤りと諦念があります。
状況はほとんど変わっていないのだな、と思わざるを得ません。
女性の社会進出を進めた結果、女性にも男性並の収入を得る人も出てきましたが、
それでも多くの女性は、自分より高収入の男性に頼りたいようです。
結局、社会進出という果実は得たい、でもパートナーを養う義務は果たしたくない、というわけですね。
男性が仕事を独占していた時代には、男性が妻子を養うことで、男性から女性への所得の再分配が実現していました。
女性の社会進出を進めれば、雇用全体が拡大しない限り仕事にあぶれる男性も出てくるわけですが、
社会進出した女性がそういう男性を養うわけではありません。
女性側が下方婚や専業主夫を受け入れるように価値観を変えていかない限り、
このままでは男性側の不利益が増えるだけです。
ツイッター上でも、
「男なんだから男らしく自分から告白しろ」だの、
「男女には非対称性があり、女性は弱いのだから男が女を守るべき」
などと平気で言うフェミニストがいるのを見ると、心底呆れてしまいます。
自分達は女性を抑圧から解放せよと言う一方で、男性には平気で抑圧を押し付ける。
こういうフレッド氏の元パートナーのような女性は、少なくないのかもしれません。
社会進出のように権利を獲得する場面では「性差による能力差などない」と言い、
義務を負わなくてはならない場面では性差を持ち出して「男が女を支えよ」という矛盾には辟易します。
これも、あくまで「女性解放」をしたいだけの当人からすれば、それが当然なのかもしれません。
しかしそうであるなら、「フェミニズムは男性も性役割から解放する」などという言い分を信じることはできません。
このようなことを言う人には、「ではフェミニズムが男性を『加害者』という立場から開放したことがありますか?」
と問いたい気分です。
やはりフェミニズムと男性の解放とは別枠で考えないといけないことなのでしょうね。