Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

全米男性会議 と フレッド・ヘイワード(3)【フレッドの体験(前編)】

2013-07-28 23:52:49 | 男性差別 I (概観・総論・横断的内容)
シリーズ『全米男性会議とフレッド・ヘイワード』の第3回です。

下村満子さん による 『男たちの意識革命』(朝日文庫,1986年)の中に収められている、『おれたちは女のための“カネ生み機械”じゃない』(pp.155~168)の内容を紹介していきます。

※ 過去記事(未読の場合、ぜひ併せてお読みください!)
 ・ 第1講(イントロダクション)
 ・ 第2講(第1回全米男性会議のこと)

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1981年の第1回全米男性会議で基調講演を行った、フレッド・ヘイワードさん(当時35歳)は、アメリカの男性運動のリーダー的な存在でした。
今回は、彼が男性運動に熱心に取り組むに至った経緯や理由を解き明かすことを目標に、彼のしてきた体験や抱いてきた思いを辿ってみることにしましょう。
このことは、男性問題そのものの考察にも役立つのではないかと期待しています。
僕自身も、この記事を書くことを通して、考えを深めていければと思っています。


◆ 生命を軽んじられる性 / 犠牲を強いられる性 としての「男性」の自覚

(1)朝鮮戦争での米兵の死のニュースから

フレッドさんが6歳のころ、ちょうど朝鮮戦争が行われていました。この戦争は朝鮮半島の2つの国(=大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国)の間での戦争ですが、アメリカ軍も大韓民国軍と一緒に戦闘に参加していました。
そして、多数の兵士が生命を落としていきました。
そんなニュースを見ていたフレッド少年は、とても悲しい思いをしました。彼は6歳にして、生命を軽んじられる性 / 犠牲を強いられる性 という、「男性」という性が孕む1つの(ネガティブな)側面に気づいてしまったのです。
このあたりのことが、『男たちの意識革命』の中にも綴られていますので引用します。

ちょうど朝鮮戦争のただ中で、ラジオの二ュースは連日、戦死した米兵の数を伝えていた。フレッドは、子供心にも、ぼんやりと、「男というものは、死ななければならないのだ」ということを感じた。「死ぬことと殺すことが、男の役目なのだ」と。そして、とても悲しい気持ちになったことを覚えている、という。

ぼくたちは、そんな小さなときから、無意識のうちにそうした「男の在り方」のメッセージをただき込まれるのです。親が、社会が、映画、テレビドラマ、小説、歴史の本 ―― あらゆるものを通じて、「男というものは、その命をいろいろなもののために捨てなければならない」と教えるのです。国のために、イデオロギーのために、宗教のために、女のために、子供のために ――。


ここでいう、《 親 》には父親・母親双方が含まれますし、《 社会 》には男性・女性双方が含まれることは言うまでもないでしょう。

かつて徴兵制を採用していた国のほとんどで、徴兵の対象となるのは男性のみでした。現在なお徴兵制が残っている国においても、一部の例外を除いては、やはり徴兵されるのは男性のみです。
志願制であっても軍隊はほとんどが男性で構成されるものというのは事実でしょう。また、軍隊以外でも、肉体を酷使する仕事や、危険を伴う仕事に就くのはやはりほとんど男性でしょう。
人質事件でも災害でも、救助は「女性」・「子ども」・「老人」が優先となり、「成人男性」は最後まで取り残されます。犠牲となって生命を落とすリスクは一番高くなります。
そして重要なのは、このようなことを大抵の人は 意識することもなく当たり前のこととして 実行しているのだということです。
稀にここに疑問をもつ人が現れますが、それを公にしても、たいていは奇人・変人の戯言として流されてしまいます。
いずれにせよ、「男性」という性に生まれついた人間は、もれなく、生命を軽んじられる役割,犠牲を強いられる役割を、ほとんど無意識のうちに背負い・背負わされているのです。そこに当人の意思など、介入する余地はないのです。

(2)母と姉とのこと ~異性間の暴力に見る《 非対称性 》~

フレッドさんには姉がいて、幼いころの彼は姉からよく殴られていたようです。
もっとも、姉弟間の喧嘩ですから、他愛もないものともいえそうではあります。
ここでは、この喧嘩に関して、彼の母が発した言葉に着目してみましょう。
再び『男たちの意識革命』からの引用です。

ことに男は、命をかけて女を守らなければならない、と教えられます。ぼくには姉が一人います。小さいとき、ケンカになると、姉はよくぼくをなぐりました。でも、ぼくが成長して、姉との腕ずくのケンカで決して負けない年齢になったとき、母はぼくに 「男の子は決して女の子をなぐってはいけない」 と厳しく言い渡したのです。 「女の子が男をなぐるのはいいけれど、男が女をなぐってはいけないのだ」と。


ここで大切なのは、フレッドさんの母親が特殊な考えの持ち主であるというわけでは決してないということです。
むしろ、彼女の発言は、ある種の《 社会通念 》であり、《 慣習 》なのです。
彼女は正義感をみなぎらせながら、「当たり前のことを言っただけ」なのだと思います。
僕としてはこのことをとても悲しく・憤ろしく思いますが、しかしこれが現実なのだということをよく知っています。

「男性」という性は、暴力の対象にすることを許容された性 なのだと思います。
別の言い方をすれば、「男性は《 暴力の対象にしても問題視されない性 》という役割を背負っている」と言ってもいいと思います。
そして、これは、先述したとおり、男性が《 生命を軽んじられる性 》であることとも結びついてきます。

異性間の暴力には、厳然とした非対称性があります。
すなわち、 男性から女性への暴力は認められない 一方で女性から男性への暴力は認められてしまう(認められてしまいがち) という非対称性です。
これは男性が《 暴力の対象にしても問題視されない性 》であることに由来し、無意識・無批判のうちに社会通念・慣習として根付いていると思います。
さらにひどいことに、女性から暴力を受ける男性は、「情けない男」というレッテルを貼られてさらなる攻撃を受けることになります。これではまったく救いがないと思うのですが、どうでしょうか?

僕の意見としては、こうした問題を、意識的・批判的にきちんと考えていく必要が大いにあると考えています。
ただし、前途は多難だと思います。それは、これが 《 法 》の問題ではなく《 慣習 》の問題である というところによります。
《 法 》は、意識的・批判的に従われるものであり、万一法から外れた場合には所定の罰則を受けることになります。また、改正したりする手続きも決まっていて、道筋をつくりやすいといえそうです。
一方、《 社会通念 》とか《 慣習 》というのは恐ろしいもので、そこから外れることだけでなく、疑問を表明することすらも難しいのです。なぜなら、慣習から外れた行動をとったり、慣習への疑問を表明する者は、白眼視された後に集団から排除されてしまうからです。
この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら「なんとバカげたことを考えているんだこいつは」とか「あまりにエキセントリックすぎて意味がわからない」とか思っているかもしれません。
ただ、慣習はまったく変わらないものではもちろん無く、じわじわと変わっていくものだと思います。

少し話が膨らみましたが、戦争のニュースや家族とのかかわりの中から、フレッド少年は、生命を軽んじられる性 / 犠牲を強いられる性 としての「男性」を自覚したのでした。

◆ 弱く脆く無力な存在としての男性

生命を軽んじられる性 / 犠牲を強いられる性 としての「男性」を自覚したフレッド少年の目には、男性という存在は、実に弱くて脆くて無力なものとして映りました。そして、男性が疎んじられると同時に女性が尊ばれるのが人間社会であり、男性の価値は相対的に女性よりも低く扱われているのだと認識するに至りました。
この辺りのことが、『男たちの意識革命』には、以下のように記されています。

女は男より価値ある存在なのだ。より尊いのだ。フレッドはそう信じるようになった。だから、女性たちが口々に「女性は二流市民」であり「男たちに力で支配されてきたのだ」というのをきいたときは、ぴっくりした。彼はそれまで、男は実に弱くてもろい無力な存在で、女の奴隷にすぎないと感じていたからだ。

この部分に、僕は共感します。
少年期の僕はほぼ同じようなことを思っていたからです。
そして、今でも、この見立ては間違っていないと思っています。男性には、弱くて脆くて無力な存在としての側面が確実にありますし、こと生命的な価値に関して言えば、男性は相対的に女性よりも低いのは、前節で述べた内容を踏まえれば明らかだと思います。

こういう認識を持っている人間にとって、女性解放運動の言うところの「女性は二流市民」だとか「(女性は)男たちに力で支配されてきた」だとかいうのは、なかなか理解できる視点ではありません。
フレッド少年が大いに驚いたように、僕もまた衝撃を受けましたし、理解するのには時間がかかりました。

◆ 女性解放運動への当初のスタンス

さて、女性解放運動の視点に大いに驚いたフレッドさんでしたが、その後彼はどういうスタンスを取ったのでしょう。
少し予想してみてください。

[ 問題 ]
フレッドさんは、当初、女性解放運動に対してどういうスタンスをとっていたと思いますか?

ア.「賛同する」・「支持する」という立場をとった(積極的賛同)
イ.「反対はしない」という立場をとった(消極的賛同または中立)
ウ.「反対する」という立場をとった
エ.その他(      )

どうしてそう思いましたか?
彼はなぜそのスタンスを取ったのかも考えてみましょう


この問題の答えにあたる部分を、『男たちの意識革命』から引用します。

だから、フレッドは、基本的に、女性運動に賛同していた。女性がこれまでの固定された役割に甘んじるのをやめ、多様な生き方の選択をすることには、大いに賛成だった。それはまさにフレッド自身も望んでいた生き方だった。

というわけで、正解はア(積極的賛同)でした。
その理由は、「女性が固定された役割から脱却して多様な生き方を選択すれば、男性も同時に解放される」という考えからだったようです。
フレッドさんは、男性の解放を強く望む立場から、女性解放運動に賛同したわけです。

このことを、異性愛者間の恋愛を例にとって述べています。
その部分を引用して紹介します。

女性の愛を求めるときも、男は常に、相手が自分を受け入れてくれるかどうかという不安におののきながらも、そのリスクをおしてイニシアチプをとり、女性の前にひざまずかなければならない。女性から一言のもとにデートをことわられたときのショックとみじめさは、たとえようもない。しかし、そうした屈辱に耐えて自ら行動を起こさなければ、男は女性を手に入れることができないのだ。
それにひきかえ、女は、ただ受け身で待っていればいい。リスクを冒すことも、屈辱を味わうこともなく、近づいてきた男を選り分ければいいのだ。いやだったら「ノー」 といえばいいし、気に入ったら「OK」といえばいいのだ。フレッドはそれがうらやましかった。しかし、フェミニストたちは、そうした状況を「女性は男のセックス・オブジェクト (性欲の対象) とされている」と説明して「もう、そんな受け身の生き方はいやだ」と叫んでいた。
同じことでも、立場がちがうと、こうも受けとめ方がちがうものなのか、とフレッドは驚いた。しかし、女性が自らリスクを覚悟で男に積極的に近づいてきてくれれば、男はずいぶん楽になるだろうと思った。男は内心オロオロしながら女性の前でカラ威張りするというストレスから解放されるのだから。


当時のフレッドさんは、「女性解放が進めば自動的に男性解放も進む」と考えていたことがわかりますね。
そして、女性解放を声高に主張するフェミニストたちに、基本的には賛同するという立場をとっていたようです。

これは、中高生のころの僕に重なる部分があります。
僕は同性愛者なので、上で紹介したような恋愛の話などは直接的に当事者になることはありません。
しかし、生命を軽んじられる性 / 犠牲を強いられる性 としての「男性」を強く意識させられて悩んでいましたし、「女子に苛められる男子」だった僕は、異性間の暴力における《 非対称性 》に苦しんでいました。
そして、こうしたことは、女性の自立や、当時クローズアップされていた《 ジェンダーフリー 》が促進されることできれいさっぱり解決すると、(愚かにも)本気で信じていたのでした。
実際にはそんなに簡単なものではないということも知らずに。
男性の解放というのが、どれほどまでに難儀ないばらの道であるかも知らずに。

ところで、当初は女性解放運動に賛同のスタンスをとっていたフレッドさんですが、やがて方針転換を図ることになります。
その辺りの事情を、『男たちの意識革命』から引用します。

フレッドが、 「女性運動は、二セモノだ」 と感じ、 フェミニストたちに怒りを感じるようになったのは、同棲していたガールフレンドとの口論の末、別れることになってからだった。

彼に女性運動の欺瞞をまざまざと見せつけたのは、交際相手の女性でした。
いったい何があったのでしょうか。
次回はここにスポットを当てていくことにしましょう。

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※ 執筆計画(変更する場合あり)
 【1】イントロダクション 
 【2】第1回全米男性会議のこと 
 【3】フレッドの体験(前編) 
 【4】フレッドの体験(後編) 
 【5】フレッドの基調講演(前編)
 【6】フレッドの基調講演(後編) 
 【7】男性解放運動の諸相
 【8】第1回全米男性会議の成果

※ 弱者男性問題,男性差別問題,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放運動 に関連した書籍・webサイトの紹介は、 こちら をご覧ください


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