Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

全米男性会議 と フレッド・ヘイワード(4)【フレッドの体験(後編)】

2013-08-03 15:44:02 | 男性差別 I (概観・総論・横断的内容)
シリーズ『全米男性会議とフレッド・ヘイワード』の第4回です。

(関連キーワード : 弱者男性問題,男性差別問題,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放運動)

下村満子さん による 『男たちの意識革命』(朝日文庫,1986年)の中に収められている、『おれたちは女のための“カネ生み機械”じゃない』(pp.155~168)の内容を紹介していきます。

※ 過去記事(未読の場合、ぜひ併せてお読みください!)
 ・ 第1講(イントロダクション)
 ・ 第2講(第1回全米男性会議のこと)
 ・ 第3講(フレッドの体験(前編))

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1981年の第1回全米男性会議で基調講演を行った、フレッド・ヘイワードさん(当時35歳)は、アメリカの男性運動のリーダー的な存在でした。
前回 は、彼が男性運動に熱心に取り組むに至った経緯や理由を解き明かすことを目標に、彼のしてきた体験や抱いてきた思いを辿りはじめたのでした。
今回はその続きです。前回分 を未読の場合は、まずそちらをお読みになることをおすすめします。

◆ 女性解放運動の欺瞞 と フレッドの憤り

前回分 で確認したとおり、フレッドさんは、「女性解放が進めば自動的に男性解放も進む」と考えていました。そして、女性解放を声高に主張するフェミニストたちに、基本的には賛同するという立場をとっていました。
しかし、やがて方針転換を図ることになります。
その辺りの事情を、『男たちの意識革命』から引用します。

フレッドが、 「女性運動は、二セモノだ」 と感じ、 フェミニストたちに怒りを感じるようになったのは、同棲していたガールフレンドとの口論の末、別れることになってからだった。

彼に女性運動の欺瞞をまざまざと見せつけたのは、交際相手の女性でした。
いったい何があったのでしょうか。

『男たちの意識革命』の中では、フレッドさんの視点からみた事の顛末が綴られています。長くなりますが、引用します。

「ぼくたちは、そろそろ子供がほしいと感じていました。そして、われわれの関係を永続的なものにしたいと考えはじめました。彼女は、ぽくが大学院を出ているのだから、 自分も同じ教育を受ける必要があると、大学院に通っていました。そして「子供がほしいなら、今の仕事をやめて、もっと稼いでもらわなくちゃ。でないと、産んであげない」 というのです。自分の学資のほかに、 子供の育児費が増えるからだ、 というのです。私はムッとなって、「それなら、ぼくが家にいて子供を育てるから、キミが働きに出ればいい」といったのです。彼女はそれはいやだというのです。キャリアは持ちたいけれど、それは生活を支えるためではなく、生きがいのためで、子供を育てる費用は男が稼ぐべきだ、というのです。ぼくたちは、そのことで折り合いがつかず、結局別れたのです。」
フレッドが、仕事をすべて捨てて男性運動に身を投ずる決心をしたのはそのときであった。彼女を愛していただけに、憎しみもまた深かった。


以上です。少し話を整理してみましょう。
なお、交際相手の女性を、“女性A”と標記することにします。

・ フレッドさんと女性Aは子どもを授かりたいと考えはじめていた
・ 女性Aは大学院へ通っていた
 (理由 : 「大学院卒のフレッドさんと同じ教育を受ける必要がある」という考え)
・ 女性Aは「子どもが欲しいのなら転職してもっと稼いで来い」と主張
 (理由 : 自分の学資に加えて子どもの養育費も発生するから)
・ フレッドさんは「自分が子育ても家事もするから、貴女が働きに出ればいい」と主張
・ 女性Aはフレッドさんの主張を拒絶
・ 女性Aは 「キャリアは持ちたいがそれは生き甲斐のためである。生活のためではない」 と主張
・ 女性Aは 「子どもを育てる費用は男が稼ぐべきだ」 という考えの持ち主
・ フレッドさんは納得がいかず、結局、破局へと至った

これを入力しながら、僕は、あまりに身勝手な言説を繰り広げる女性Aに対して、わきあがってくる憤りを抑えることができませんでした。フレッドさんもきっと同じ思いをしたことでしょう。そして、破局して正解だったと思います。

ただ、あえて言えば、ここに書かれているのは、フレッドさんの視点からみたストーリーだけです。女性Aにはそれなりのもっともな言い分があるのかもしれません。
それを考えに入れても、やはり根本的なところで何かが欠けていると僕は感じました。
そして、これは何も女性Aに限ったことではなく、この手の女性の存在はもっと広範に見られると思います。

女性Aが、大学院で学びたいと考えたり、キャリアを持ちたいと考えたりすることは、自然な欲求だと思いますし、立派な向上心だと思います。
僕は、男女問わず、できる範囲で自分の望む生き方をするのがいい と考えています。女性Aの場合は、学問を修めてキャリアを積むという生き方を望んでいるので、そうして生きたらいいと思うわけです。

とはいえ、できる範囲で と付け加えた点に注意して欲しいのです。
それは、《 人は一人では生きていないし、生きていけない 》というところによります。
人間どうしが共存・共生していかなければならない以上、少なくとも以下に書いたようなことは必要なのではないかと思いますが、どうでしょう?

・ 自分の権利を主張するのならば、他者の権利も認める
・ 他者に義務を果たすことを求めるならば、自分も義務を果たす
・ 権利を主張するのならば、義務もきちんと果たす
・ 自由に選択するのならば、責任もきちんと取る
・ 自分の権利を満たすために他者の権利を侵害することは可能な限り避ける
・ 自分が利益を得るために他者に不利益を強いることは可能な限り避ける
・ 自分が欲求を満たすために他者に負担を強いることは可能な限り避ける
・ 他者の気持ちを蹂躙するようなことはしない
 (できるだけ、思いやりと感謝の気持ちで接する)
・ 互いに支えあう、助け合うという意識を持つ

人間というのは不完全な生き物ですし、これらのことを完全にできている人などそうそういないでしょう。僕だって出来ていないことがしばしばあります。ただ、その場合、後から振り返って反省したり、必要ならば謝ったりしますし、改善も試みたりはしています。

いずれにせよ、基本的に個人は自分の望むように生きればいいとはいえ、上述したとおり制約も受けると僕は考えています。

女性Aの主張は、この観点から見た場合、問題がいろいろありそうです。

まず第1に、自分の権利を主張しながら他者の権利を認めていません。
(他者に義務を果たすことを求めながら自分は義務を避けています)
女性Aは、「キャリアは持ちたいけれど、それは生活を支えるためではなく、生きがいのため」と曰い、生き甲斐のために 学問を修めてキャリアを積む権利を主張しています。
その一方で、フレッドさんに対しては、「子供を育てる費用は男が稼ぐべきだ」と曰うなど、彼が 生き甲斐のために 学問を修めてキャリアを積む権利を認めていません。生活費や養育費を稼ぐための 学問やキャリアは認めていますけれども、それは自分の利益のためでしょう。
「私には自己実現の権利があるけれど、あなたには無いの」とか、「あなたにはお金を稼ぐ義務があるけれど、私には無いの」と考えているのだとすれば、これほど傲慢で身勝手なこともありません。
女性は性役割から解放される権利があるけれど、男性は性役割を背負い続けなければならない というのは、不均衡です。
ここに女性Aの欺瞞、もっといえば、女性解放運動の欺瞞があるといえそうです。

第2に、自分が欲求を満たすために他者に負担を強いています。
(或いは、自分が利益を得るために他者に不利益を強いています)
女性Aは、自分の生き甲斐・自己実現のために学問を修めてキャリアを積みたいという欲求のために、フレッドさんに対して、生活費と学資と子どもの養育費を稼ぐという負担を強いています。
女性Aは、自分が生き甲斐や自己実現という利益を享受するために、フレッドさんには生活や子育てのために馬車馬の如く働く生活という不利益を強いています。
この矛盾に気づいているのか気づいていないのか。いずれにせよ問題です。

第3に、他者の気持ちを蹂躙しています。
女性Aは生活費や自分の学資、さらには子どもの養育費までも、フレッドさんに稼いでくることを要求しながら、自分は生き甲斐・自己実現のための学業・仕事に邁進しています。
この事実が問題と言うより、心根が問題です。先の主張を読む限り、女性Aはこのことを「当たり前」と考えているのは明らかですし、「フレッドの義務」とまで捉えているようです。
いったい、フレッドさんのことを何だと思っているのでしょうか。自分の奴隷か何かと勘違いしているのでしょうか。彼の気持ちを蹂躙しているという自覚はないのでしょうか。
人間は助け合い、支え合うものです。そして、そこには 思いやりと感謝 が根底にあって然るべきものなのです。
誰かが困っているのならば、思いやりの気持ちで助けてあげる。助けてもらった人は、その人に感謝する。誰しもが助けたり助けられたり、思いやったり感謝したりする。こうした《 お互いさま 》が、生きやすさにつながっていくのではないでしょうか。
女性Aは、フレッドさんの稼いできたお金で生活し、学問を修めているのならば、せめてフレッドさんに感謝すべきだと思います。
フレッドさんは思いやりを形として示しているわけですから。
それを当たり前のものだとふんぞり返っていては、人間性を疑われても文句は言えないと思います。

夫が稼いでくるのは当たり前と思っている妻、妻が家事をしてくれるのは当たり前と思っている夫。
これでは夫婦関係など円滑にいくわけが無いでしょう。
そうではなくて、「稼いでくれてありがとう」,「家事をしてくれてありがとう」という風に互いに思っていれば、夫が稼ぎ手で妻が専業主婦という夫婦でもうまくいくでしょうし、実際にうまくいっている夫婦は多いのではないでしょうか。
もちろん共働きでも同じようなことがいえるでしょう。
そしてそれは同性カップルでも、兄弟姉妹でも、友人同士でも、ご近所さん同士でも、同じだと思います。

感謝と、思いやり。忘れてしまいがちですが、大切にしていきたいものです。

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今回はここまでです。
次回は、いよいよ、第1回全米男性会議における、フレッドさんの基調講演を紹介していきます。
前回と今回で見てきた、フレッドの体験と味わってきた感情は、この基調講演に強く表れています。
そして、この基調講演は、大きな示唆に富んだものになっています。
女性解放運動が嵌り込んでしまった穴とは何なのか。そしてそこから教訓を読み取り、男性解放運動をどういう形で進めていけばいいのか。
そんなことを考えながら、記事を書こうと思っています。


※ 執筆計画(変更する場合あり)
 【1】イントロダクション 
 【2】第1回全米男性会議のこと 
 【3】フレッドの体験(前編) 
 【4】フレッドの体験(後編)
 【5】フレッドの基調講演(前編)
 【6】フレッドの基調講演(後編) 
 【7】男性解放運動の諸相
 【8】第1回全米男性会議の成果

※ 弱者男性問題,男性差別問題,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放運動 に関連した書籍・webサイトの紹介は、 こちら をご覧ください


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