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日本会議唐津支部 事務局ブログ

日本会議は平成9年創立。唐津支部は平成24年に設立し、誇りある国づくりと豊かな唐津地域の発展をめざしています。

公開討論会の報告 ~日本と支那(中国)大陸との関係について~ その1

2013年03月13日 | 活動報告

■公開討論会(3月例会):日本と支那(中国)大陸との関係について 報告1/2
 3月11日午後7時から、
国歌斉唱、東日本大震災で犠牲になられた人々への黙禱、主催者挨拶(岩本支部長)のあと、討論会に入りました。司会は森田副支部長。
 以下、討論会の一部を(松永事務局長の文責で)お知らせします。

□問題提起
1.
日支関係の歴史/支那事変ごろの奇々怪々な事件について 宮崎達三郎:日本会議佐賀監事/師友会:理事 佐賀市>

・1500年にわたる日支関係の要点説明
 聖徳太子のころより、(さまざまな民族が入れ替わりに王朝を立てた)支那大陸国家とは対等外交を貫いてきた・・・
(※戦後、支那大陸やその覇権国家を指して使われている「中国」という用語は、実は百年前に「華民」ができてから使われている略語にすぎない。)

・支那事変の発端となった盧溝橋事件
 事変当時の日本では、誰が最初に発砲したかはまったく分からなかったが、戦後いろいろと分かってきた。
 最初に日本・中華民国軍の両方に向けて発砲したのは、中国共産党の一味=劉少奇の指揮する抗日救国学生の一隊。支那大陸の支配をめざしていたソ連共産党:コミンテルン+中国共産党の工作・指示によるものである。
 
「わが党(※中国共産党)を滅亡させようと第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるをえなくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく、蒋介石南京反動政府と日本帝国主義であった」・・・<
「戦士政治課本」より。※昭和24(1949)年10月、中支洛陽市に於いて、教育の為に配布せられたもの。葛西純一氏の証言による。>

2.大東亜戦争における日支和平工作 <
彌吉博幸:日本会議組織強化副部長/フリージャーナリスト 佐賀市)

(1)幕末に芽生えたアジア連携の思想:アジア主義
・幕末・明治のアジア状況
・幕末、中国、朝鮮等と同盟して列強の植民地支配に対抗する大アジア主義の思想が生まれる。

(2)日支友好の志
・日清戦争1894-1895 ・北清事変1900 ・戊戍の変法1898 ・日露戦争1904-0905 ・日露戦争後:日本と清国の協力は進み両者はかなり親密になる… ・辛亥革命

(3)支那事変、満州事変
・満州事変1931 ・第一次上海事変1932 ・北支事変、第二次上海事変1937

(4)大東亜戦争をポツダム和平から救う繆斌和平工作
・宣戦布告 ・二つの中華民国政府 ・南京政府も推進した東亜連盟運動 ・東亜連盟運動と重慶政府との関係

(5)中国との付き合い方
 中国に不用心に投資をしたり、技術給与をしてはいけない。また、領土外交問題で不当に譲歩してはいけない。土地を売ってはいけない。在日中国人を役所に雇ったり、日本の参政権を与えてはいけない。チベット、ウィグル、モンゴル、満州の人々への弾圧を決して許してはならない。
 しかし、すべての中国人が友達になるのに値しないわけではない。
 中国との友好を願った先人の想いを汲んで、正しい友好関係を築き上げてゆかなくてはならない。

~つづく~
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (Unknown)
2013-03-15 05:50:53
奇々怪々な事件。
「張作霖爆殺事件」もこれまで言われている河本大作の犯行ではなかった、ソ連の謀略だった可能性もあるという。

ある人曰く、大東亜戦争の本質は、防共戦。
わたしもそうではないかと思う。
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