ニッチャメンの我道行願~我が道を行きたい。

「我が道を行きたい」とちょっと弱気な、
でも「我が道を行く」と強気な所もある日記です。

『X-GUN 西尾』

一人暮らし

2005年02月15日 01時37分35秒 | Weblog
こんばんわ、ニッチャメンです。
今日は東北6県でやる、この春東京や仙台に出てくる
学生や社会人の人に向けた、情報番組のラジオの収録に行ってきました。

打ち合わせの時に、一人暮らしを始めた時の話をして
「俺らは最初、葛飾区のアパートに隣同士で住んでたんです」って
言ったらディレクターの方が「まだそのアパートってあるんですかね?
本番までに見てきますよ。大家さんに話も聞けたらおもしろいし」と
言ってくれました。
そして今日本番の前に台本を見せてもらってる時に
「行って来ましたよ、葛飾のアパート。まだちゃんとありましたよ」と
写真を見せてくれました。
懐かしいなぁと見ているとディレクターが
「大家さんの奥さんも『よく覚えてますよ、西尾さんて体の大きな人ね』と覚えてくれてましたよ。
で、奥さんに『コメントを取らせてもらいたいんですが』って言ったら
『主人が亡くなったばっかりなんで、ちょっと控えさせてもらえませんか?』
って言われましてね…」と。
俺は驚いて「えっ?大家さん亡くなったんですか?」と聞き返してしまいました。
なんかすごく寂しくなって来てね。あの大家さんがって。
すごくいい大家さんやったからね。
家を渋谷のアパマンで決めて、嵯峨根と二人で見に行った時
部屋を見終わった後、大家さんが「家にちょっと上がってきな」って言ってくれて
「京都からごくろうさんだね、お兄ちゃん達お腹空いてんだろ?」って
近所の中華屋でチャーハンの出前を取ってくれてね。
京都から引っ越してきた時もそう。「大変だっただろ?」ってご飯ご馳走になったなぁ。
家賃が遅れても何にも言わないし、次の月まとめて持っていったら
「お兄ちゃんも大変だもんな。遅れて払ってくれてもいいからね」って言ってくれたし。
ちょこちょことテレビに出れるようになった時は「お兄ちゃん昨日テレビに出てたろ?
そういう仕事やってたのか。大変だろうけどがんばんなね」って声をかけてくれたし。
ちょっと収入が増えてきて、風呂付の部屋に引っ越す時に言いに行ったら
「えっ?引っ越すのかい?寂しくなるねぇ。でも仕事が調子よくなって来たって事だもんな。
たまには遊びにおいでよ、な。」と優しく言ってくれました。

当時大家さんはいくつぐらいやったんかなぁ?
1990年に京都から出てきて、あのアパートに3,4年住んでたから、
あれからだいたい12年くらい経ったんか。
俺も歳を取ってるんやなぁ。
6畳一間、2万7千円のアパートから始まって、
1歩1歩進んで来て、今はちょっと足踏みしてるのかも知れないけど、
頑張ってやってます。

ご冥福をお祈りします。