先日他のところに書いたのだがこれは育児日記のこっちの話だったなぁ・・・と
こっちにものせておくことした。
「今日学校で○○君がトマトを食べられたからみんなで拍手したんだよ」と
帰ってきて子供が話してくれた。
「そう、それはすごいわね」と言ったもののなんだか複雑。
だってうちの子にしてみればそんなもの食べられて当たり前なのだ。
この件に関しては本人は気にしてる様子も疑問に思っている様子もなったが
好き嫌いのある子がそれを食べられるようになればみんなで拍手してくれるのに
もともと好き嫌いなく何でも残さず食べる子には拍手はないんだよね。
三人育てていていつもこの点で悩む。
ほめて育てろ!というが複数子供がいるときは褒めるのって難しい。
その子なりに努力した点は大いに褒めるべきことなのだろうが
以前から努力していてそれが普通のようにできてる子が隣にいたりする。
どっちも偉い!と言っておくが前から頑張っていたほうがそれじゃ不服とさびしそうな顔をしたりする。
比較すべき問題じゃないのに結局「もっとすごい」的なことを言わざるを得なかったりする。
そうなると今日頑張ってやっとできた子はあまり褒められた気がしなくなる・・・
子供が一人だけならいいのだ。
絶対的な問題でその子が昨日より今日のほうができてるだけでべた褒めできるのだ。
でも複数いたら相対評価になりかねない。
親がそういうつもりがなくても受け取る子供がそう感じてる時がある。
そうなるとだめな点だけ注意してるほうがラクなのだ。
楽というより丸く収まる・・・というか・・・
でも子育ては褒めて育てるのがいいらしい。
声高にその点ばかりを強調している評論家(?)の方は
些細なことで褒められている子の横でなんとなーく納得いかない気持ちでいる子供がいることをご存知なのだろうか?
その子の気持ちをどうやって納得させるのか手立てをご存知なのだろうか?
兄弟の場合は成長の段階に応じて褒めれば言い訳で
子供も上の子が「そのくらいのことで・・・」と思ったとしても
「あなたもこの年のころにできた時は褒められたはずよ」で済むはずだ。
でも我が家のような三つ子や同じ学年の子が集まる学校の教室となるとそれは通用しない。
今回の話は先生がどんなフォローをするのかとても興味があるのだが
果たしてそのことに気づいているのかな?とも思う。
私は毎日毎日このことで頭を悩ませ、葛藤してるのだが・・・
こっちにものせておくことした。
「今日学校で○○君がトマトを食べられたからみんなで拍手したんだよ」と
帰ってきて子供が話してくれた。
「そう、それはすごいわね」と言ったもののなんだか複雑。
だってうちの子にしてみればそんなもの食べられて当たり前なのだ。
この件に関しては本人は気にしてる様子も疑問に思っている様子もなったが
好き嫌いのある子がそれを食べられるようになればみんなで拍手してくれるのに
もともと好き嫌いなく何でも残さず食べる子には拍手はないんだよね。
三人育てていていつもこの点で悩む。
ほめて育てろ!というが複数子供がいるときは褒めるのって難しい。
その子なりに努力した点は大いに褒めるべきことなのだろうが
以前から努力していてそれが普通のようにできてる子が隣にいたりする。
どっちも偉い!と言っておくが前から頑張っていたほうがそれじゃ不服とさびしそうな顔をしたりする。
比較すべき問題じゃないのに結局「もっとすごい」的なことを言わざるを得なかったりする。
そうなると今日頑張ってやっとできた子はあまり褒められた気がしなくなる・・・
子供が一人だけならいいのだ。
絶対的な問題でその子が昨日より今日のほうができてるだけでべた褒めできるのだ。
でも複数いたら相対評価になりかねない。
親がそういうつもりがなくても受け取る子供がそう感じてる時がある。
そうなるとだめな点だけ注意してるほうがラクなのだ。
楽というより丸く収まる・・・というか・・・
でも子育ては褒めて育てるのがいいらしい。
声高にその点ばかりを強調している評論家(?)の方は
些細なことで褒められている子の横でなんとなーく納得いかない気持ちでいる子供がいることをご存知なのだろうか?
その子の気持ちをどうやって納得させるのか手立てをご存知なのだろうか?
兄弟の場合は成長の段階に応じて褒めれば言い訳で
子供も上の子が「そのくらいのことで・・・」と思ったとしても
「あなたもこの年のころにできた時は褒められたはずよ」で済むはずだ。
でも我が家のような三つ子や同じ学年の子が集まる学校の教室となるとそれは通用しない。
今回の話は先生がどんなフォローをするのかとても興味があるのだが
果たしてそのことに気づいているのかな?とも思う。
私は毎日毎日このことで頭を悩ませ、葛藤してるのだが・・・