IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

米軍基地からマウンドに向かった野球選手

2006-05-06 15:00:51 | 政治
いやぁ、ビックリしました。午後に突然入ってきたポーター・ゴスCIA長官の辞任発表。政権高官が辞任を発表する場合、その前日や、少なくとも発表の数時間前には具体的な情報が入ってくるものだけど、今日は文字通り突然の辞任発表だった。昼過ぎに一部のメディアが速報で「1時45分頃からブッシュ大統領による人事面での発表が行われる」と報じ、それから間もなくしてゴス長官の辞任が発表されている。辞任発表から約9時間が経過して、こちらの国内メディアはゴス長官とジョン・ネグロポンテ国家情報長官との間に存在した軋轢が辞任の背景にあると報じている。また、ゴス長官は各省の情報機関を統括する国家情報長官のポストを狙っていたが、これをネグロポンテ氏に「奪われた」ため、ブッシュ大統領との関係もギクシャクしていたと一部のメディアは報じている。就任から約1年半で辞任を発表したゴス長官。来週には詳しい情報が入っているかもしれないので、機会を見つけてアップデートしておきます。さて、今日は昨日のブログでも少し触れたケネディ議員の交通事故で新たな展開があったので、そのニュースを。

4日未明にワシントン市内で交通事故を起こした民主党のパトリック・ケネディ議員だが、5日午後に記者会見を開き、事故の詳細についてはっきりと覚えていないと語っている。ケネディ議員はまた、自身の処方箋薬の服用が中毒状態になっていると認め、厚生施設で治療を受ける予定がある事を明らかにしている。薬物中毒の治療はミネソタ州ローチェスターにあるマヨ・クリニックで行われる模様だ。記者会見の中でケネディ議員は昨年末のクリスマス休暇に同クリニックで治療を受けていたと語り、治療後は極めて良好な状態を保っていたと強調している。また、この記者会見の中で、ケネディ議員が薬物中毒とうつ病に苦しんでいた事実も明らかになっている。「もちろん、治療後にはいい日もあれば悪い日もありました。でも、クリニックから戻ってきてからは、できる限り前向きに努めようとしてきました、ケネディ議員はそう語っている。

ケネディ家は以前からアルコール・薬物中毒の歴史を持っており、パトリック・ケネディ議員も例外ではなかった。議員は学生時代にすでにリハビリ施設で治療を受けている。また彼の奇行も以前から指摘されており、2000年5月には空港で警備担当者と乱闘騒ぎを起こしている。4日未明の事故について、ケネディ議員は何が起こったのか全く覚えていない状態で、それが再びリハビリ施設で治療を受ける動機になったと語っている。「ベッドから抜け出した事や、警官に車を停車するよう言われた事すらも覚えていないのです。そんな風に人生を送りたくはないし、そんな形でロード・アイランド州の有権者を代表したくはありません」、ケネディ議員はそう語った。記者会見の終了後、ケネディ議員は辞任の意思について尋ねられたが、「戦い続けるつもりです」とだけ語り、会場をあとにしている。

第35代大統領の甥であり、マサチューセッツ州選出のベテラン議員を父に持つケネディ議員は4日午前3時前、運転するムスタングを連邦議会近くに設けられたバリケードに衝突させている。CBSニュースが5日に報じたところによると、4日の衝突を含めて、ケネディ議員はこの3週間で2度の交通事故を起こしており、最初の事故は地元ロード・アイランド州ポーツマスで発生している。今回の事故ではケネディ議員が嘔吐感を止める薬と(ケネディ議員は以前から胃腸炎に悩まされていたと主張している)睡眠薬を同時に服用していた事が議員本人の口から明らかになっているが、事故直後に警察官によって自宅に送り届けてもらい、通常の事故なら必ず行われるアルコール検査も実施されなかったため、議員が特別な扱いを受けたのではという疑惑も浮上している。地元警察は5日、ケネディ議員がよく顔を見せる連邦議会近くのバー「ホーク・アンド・ドーブ」で聞き込みを行ったが、4日未明にケネディ議員がバーにいたと語る目撃者はいなかった模様だ。

デービッド・オルティスの2ベースヒットなどでボルチモア・オリオールズに6-3で勝利したボストン・レッドソックスだけど、勝率の差でとうとうニューヨーク・ヤンキースに首位を明け渡してしまった。今シーズンのアメリカンリーグ東地区、ボストン、ニューヨーク、トロントの3チームがしのぎを削る格好となっていて、ボルチモアとタンパ・ベイは早くも例年通りの指定席に落ち着き始めている。レッド・ソックスで思い出したんだけど、少し前にボストン在住の友人とレオ・カイリーという選手の話をした。僕が知る限り、現役バリバリのメジャーリーガーが日本でプレーしたのはカイリーが最初のはずで(それまでにもマイナーとメジャーを行ったり来たりした選手はいただろうけど)、レッドソックスですでに7勝を記録していたカイリー投手は1953年、進駐軍兵士として勤務していた横須賀から先発登板の日だけ球場に通ってプレーしている(所属チームはロッテの前身となる毎日)。6試合を投げて6勝0敗。防御率は1.80だった。ただ、現役の米軍兵士を日本のプロ野球で使うのはマズイという批判が噴出して、カイリーは6試目を最後に日本での野球生活をストップしている。当時の記録フィルムがあれば、ぜひ見てみたいんだけどなぁ。

写真:5日午後にワシントンで記者会見を行った民主党のパトリック・ケネディ下院議員 (AP通信より)