もうすぐ 敬老の日ですね。
沖永良部島各地区では 9月16日(月)
前の15日~16日にかけて敬老者の
長寿を祝う「敬老会」が各字公民館等で
開催されます。
また、老人保健施設などでは それよりも早く
入所者家族・施設職員などが一体となり
敬老会が催されます。 施設や各字敬老会
には町長などが参加し長寿のお祝いの言葉を
述べて一人一人の長年のご貢献に謝意を
あらわすのが高齢になっています。
そこで、敬老の日の始まりについて インターネットで
調べてみましたので ある1つの説をご紹介します。
【
ウイキペディアより】
敬老の日の始まり[編集]
兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された(「こどもの日」「成人の日」があるのに敬老の日がないのはおかしいと声を上げ続けたという)。このため、「母の日」のように日本国外から輸入されたような記念日と違い、日本以外の国にはない。ただし、五節句のひとつである9月9日の重陽と主旨が類似している。
「聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日」や「欽明天皇が養老の滝に御幸した日」である等の俗説もあるが、どちらも確かではない。
1958年(昭和33年)には郵政省(当時)から、「としよりの日」の特殊郵便が発行されている。復帰前の沖縄でも「としよりの日」の名称のままでおなじ9月15日に祝日が制定され、1968年(昭和43年)、記念切手が発行された。
なお、提唱の町「八千代町」では小中学生が地域の年長者に向けて日々の感謝と敬意を表して手紙を書くという慣習を小学校に導入し、夏休みの宿題として読書感想文と並んで実施されるという誇らしい行為[誰?]が行事化されていた。(合併後は、不明。)
■その他敬老の日に因んだ記事
http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/10_keiro.html
http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/09/keiro.htm