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支那を中国と呼ぶな、支那は支那である

2012-07-24 02:18:04 | 様々な話題
今回のエントリの本題に入る前に、貴方は「中国」と聞いて何を連想しますか?。
日本の「中国地方」ですか?、「中華民国(台湾)」のですか?、「中華人民共和国(中共)」ですか?。
最近は、中華人民共和国の事を中国と呼び、歴史に疎い輩は、何で日本なのに中国と呼ばれる地方が有るのだろう?。と、日本の中国地方の事を揶揄するのが居る。
勿論、冗談としてネタで言っている人も居るのだろうが、どうやら本当に中国と言う言葉の意味を理解していない輩も居る様だな(笑)。

日本では、安土桃山時代の天正10年(西暦1582年)に備中高松城で戦(いくさ)をしていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、「本能寺の変」で明智光秀に討たれた主君・織田信長の仇を討つ為、毛利軍と速やかに和睦を結び、光秀の居る京へ全軍を移動させた事を「中国大返し」と言う様に、中国とは古くから日本の中国地方の事を表す言葉なのである。
因みに、当時の支那は明王朝の時代だから「明」と呼ばれていた。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、その他の有力な武将が覇権を争っていた頃は戦国時代と呼ばれ、歴史物小説等の愛好者のみならず、一般的にも人気がある時代なので、「中国大返し」と聞けば、豊臣秀吉、織田信長、明智光秀の名前が直ぐに浮かぶだろう。
中国地方にある中国新聞、中国電力、中国銀行と言った中国と言う名称を使っている企業の事を、日本なのに何で中国なんだよ!。と、真面目な顔して言う輩は、日本の歴史に関する知識が欠落している訳だな。

支那が明王朝の時代と言えば先日の産経新聞に、明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記されており、支那が主張する根拠が崩れると言うニュースが有ったな。
これは、尖閣諸島の大正島に付いて、明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節が、皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていた事が、長崎純心大の石井望准教授の調査で判明したと言うもの。

支那は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属」と主張しているが、その根拠が出鱈目だった事になる。
尖閣の帰属に関しては、1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した支那の漁民を助けて貰ったとして、中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った感謝状に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていた事も明らかになっている。

まぁ、あれだ。尖閣諸島に付いて書くと長くなるので話を本題に戻すのだが、支那は「明」以降、「清」「中華民国」「中華人民共和国」と変遷しているのだが、支那の事を中国と略称する様になったのは何時からなのだろうか?。
普通に考えれば、中華民国の時代に、中華民国の事を略称して中国と呼ぶ様になったのではと思うのだが、私の記憶を紐解くと、私が子供の頃から現在に至る迄、回りに居る年配者の方々を見回せば、支那の事を中国とは言わず、支那とか中共と呼んでいたと思う。

勿論、私の回りに居る全ての年配者がそう呼んでいた訳では無いのだが、古ければ古い人、つまり御老人になればなる程、その傾向が強い様に思う。
それらの方々は、「中共が云々」と言ったり、「支那が云々」とか「支那そば」とか「支那竹(シナチク)」等と、支那と言う言葉を普通に使っていたね。
現在のマスコミ等は、支那そばは中華そばとかラーメンと言い、支那竹はメンマと言ったりしており、支那と言う言葉は余り使われていない。

戦前の文献を見てみると、やはり中華民国の事を中国とは略称せずに支那と表記している物が多い様だ。
戦前の文献で支那が付く言葉に「支那ポコペン」と言う文言を見付けたので少し調べてみると、ポコペンは兵隊支那語と呼ばれている言葉の一種であり、日清戦争の時代には既に使われていた言葉であると言う。

ポコペンの語源は、「元手が無い」とか「元値に足らない」とかを意味する支那の言葉だったが、転じて、日清戦争で支那に出兵していた日本兵が、支那人の事を「役立たず、頭が足りない」と言う意味で使っていたとされるが定かでは無い。
因みに、子供の遊戯でポコペンと言うのが有るそうで、屋外で行う「缶蹴り」遊びや、それに似た遊びをポコペンと呼ぶらしい。

私は、ポコペンと言う遊びは知らないが、ポコペンと言う言葉は子供の頃に使っていたと記憶している。
このポコペンだが、誰が最初に支那人の事を支那ポコペンと言ったのか不明だけど、支那ポコペンと言う言葉はセンスが有ると言うか何と言うか、つい笑ってしまう。
そんな面白い言葉の支那ポコペンだが、差別的な言葉として放送禁止用語になっている。

日本兵が支那人の事を「役立たず、頭が足りない」と言う意味で使っていたのが本当ならば、使用は控えた方が無難なのかも知れないが、その根拠が定かで無いのに放送禁止なのは合点が行かない。
しかも、ポコペンどころか歴史ある名称の「支那」と言う言葉も、何故か放送禁止用語になっているだから話にならない。

この放送禁止用語、正しくは「放送自粛用語」と呼んだ方が良いのだが、要はテレビやラジオの放送局にクレームが有る度、面倒臭いとして安易に自粛するから、使えない言葉が増えると言う悪しき用語集なのである。
言葉狩りとも言える放送自粛用語に付いては、当ブログのエントリ、放送禁止用語は大人の事情その1とか放送禁止用語は大人の事情その2にも書いているので、そちらの方も参照して下され。

さて、何故に「支那」と言う言葉が放送自粛用語になっているのかであるが、それに付いては「日中記者交換協定」が関係しているのではと思われる。
日中記者交換協定とは、1964年に日本と支那との間で結ばれた協定の事で、この協定は「中国を敵視し日中友好を妨げる報道をしない」とか「中国を批判する記事を書かない」やら「米国に追随して二つの中国を作る台湾の独立を支持しない」と言った取り決めがあり、これに違反したマスコミは支那から追い出すと言うもの。

よくもまぁ、こんな日中記者交換協定と言う「ふざけた」協定を締結したもんだと呆れてしまうが、この日中記者交換協定の為に、支那と言う国が悪さをしても、協定を結んでいる日本のマスコミは、批判的な記事を書けないと言う事になる。
先述した尖閣諸島と明王朝のニュースも私が確認した限りでは、1面で取り上げたのは産経新聞のみであり、産経新聞を除く殆んどの新聞社は大きなニュースとして扱っていない。

他にも同様のケースは多々あり、日本の国益になるニュースなのに何故、大きく扱わないのかと不思議に思う事もある。
それらが全て日中記者交換協定の所為とは言わないが、「中国を批判する記事を書かない」と言う文言が入った様な協定は、正気の沙汰とは思えない。
支那と言う言葉が、放送自粛用語になったのも、当然として支那からクレームが有ったものと推測出来る。

そもそも支那と言う言葉は、遠い昔に「チャイナ」が訛って支那と呼ばれた事が起因だった訳で、それ以来、英語圏ではチャイナと言い、アジア諸国は支那と言っていたのだから、こんな事にクレームを付ける事自体、可笑しいのではないか。
戦後の日本のマスコミも、「中国」と言えば「中国地方」を指し、「中華民国」の事は「台湾」と言い、「中華人民共和国」の事は「中共」と、各々表記する事が多かった。
その方が、いちいち注釈を付けずとも判り易いとして使用していた筈だが、日中記者交換協定を締結した1964年以降から少しずつ「中華人民共和国」の事を「中国」と表記する様になったから「ややこしく」なったのである。

「中国」と言えば「中国地方」、「中華民国」は「台湾」、「中華人民共和国」の事は「支那」若しくは「中共」と呼んだ方が判り易いでしょ?。
支那の事を支那と呼ぶなとは笑止千万、片腹痛い話なのだから、支那からクレームが来ても内政干渉だとして放置しておけば良いし、日中記者交換協定と言う犬の糞ほど役に立たない様な協定なんざ、破棄してしまえば良いのである。

今後は、中国地方は「中国地方」若しくは「中国」と、「中華民国」は「台湾」、「中華人民共和国」の事は「支那」若しくは「中共」と呼びましょう。
そして、日中記者交換協定と言う下らない物は、さっさと破棄してしまいましょう。
その方が判り易いし、他国からの干渉に与しない事は、日本の国益になると言うものだ。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】