資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡って、政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたとして、政治資金規正法違反罪で強制起訴された所謂「陸山会事件」で、民主党の元代表、オザワンこと小沢一郎被告の判決公判が4月26日に東京地裁で開かれ、大善文男裁判長は無罪を言い渡した。
裁判では、検察審査会の起訴議決に基づく起訴の適法性、虚偽記載の有無、元秘書との共謀の有無が争点となったのだが、一審で無罪判決と言う結論に至ったのは、ほぼ唯一の直接証拠である「オザワンに収支報告書の内容を報告し、了承を得た」とする元秘書らの供述調書が、取り調べに利益誘導や圧力が有ったとして東京地裁が大部分を退けた事が大きい。
そう言った意味ではオザワンが無罪を勝ち取ったと言うよりは、杜撰な「見立て捜査」による検察の失態と言うか自爆によってオザワンに無罪判決が出たと言っても過言では無い。
この件で問題なのは、大阪地検特捜部による改竄隠蔽事件に続き、東京地検特捜部までも捜査の信頼性を毀損させた事で、検察への不信感を増幅させた結果となった事だな。
さて、検察の失態は一先ず置いといて裁判に目を向けると、検察官役の指定弁護士側はオザワンが署名した融資書類等の間接証拠を積み重ね、オザワンの指示や了解無しに元秘書が独断で虚偽記載をする事は無いと主張しているのだが、これは親方と子分の関係を鑑みれば当然の話だな。
その筋、つまりヤクザの世界と永田町の世界、つまり政界は大変よく似ていて、ヤクザの世界では「親分の代わりに臭い飯を食うのが子分の役目」であり、永田町の世界では「政治家の代わりに臭い飯を食うのが秘書の役目」なのである。
その様な世界の仕来たりでは、いちいち口頭で指図しなくても暗黙の了解と言うか、親分が煙草を口に咥えたら子分は粛々と親分の煙草に火を付けるのは当たり前の話であり、親分の意向を忖度して行動する事は至極当然なのである。
カネに纏わる話なんかも同じ事で、親分の意向を忖度して行動する秘書としては、当然として親分の利益になる様に事を進める訳で、それらを行うプロセスに於いて、親分が知らずして子分が勝手に事を進めるのは考え難く、特にオザワンは「人を信用しない」とオザワン自身も語っている通り「猜疑心の塊」なのだから、オザワンが事の真相を知らずして秘書が勝手に億単位のカネを動かすなんざ有り得ない。
それらを踏まえて考えれば、今回の一件も親分のオザワンが知らぬ訳が無く、子分の秘書は親分の指示通りに動いたのだろう。
そして、親分子分の流儀に従い秘書連中に「因果を含めて詰め腹を切らせる」と言う遣り方で、この問題の解決を図ろうとするのである。
まぁ、こんな事は当たり前の話だから、検察役の指定弁護士もこの辺りを突くのは至極当然の事だな。
オザワンの無罪判決に付いて永田町の反応はと言えば、「小沢氏は国会で説明責任を果たすべきだ」と言う意見が相次ぎ、証人喚問を求める声が多い。
麻生元首相は「自らの資金管理団体の土地取引を巡り、元秘書が有罪判決を言い渡されているのに、小沢氏本人は『無罪だから関係無い』と言うのは通用しない。小沢氏は国会で堂々と説明責任を果たすべきだ」と述べている。
オザワンと「犬猿の仲」と言われる東京都の石原慎太郎知事は4月27日、無罪判決に付いて「彼に関する金銭のヤマはもっと大きなものが有るんじゃないか。インフラ整備の為の贈収賄なんて、(授受した)双方が同じ事を言わないと絶対に立証出来ない。だから彼に関する金銭の疑惑はもっとベラボーなものが有るんだろうが、これは埒外なものになっている」
「4億円と言ったって、我々にしたら大金だが、彼にしたらチャチな問題だったのではないか」と述べた。
永田町の反応は色々と有るが、今回の裁判は「大山鳴動して鼠一匹」だな、騒いだ割りには大した事が無いね。
まぁ、秘書が有罪になっているから「大山鳴動して秘書三匹」と言う事で「限り無く黒に近い灰色」なんだが、一審でオザワンに無罪判決が出た時の小沢一派、中でも小沢チルドレンやら小沢ガールズの喜色満面と言うか、観天喜地っぷりは半端無かったね(笑)。
「神輿は軽くてパーが良い」とはオザワンの言葉だが、喜色満面している小沢チルドレンや小沢ガールズの面子を見ていて、改めて思ったのだが、オザワンを「担ぐ奴等はパーばかり」と言う感じだな。
オザワンが後進の指導に関して真面目に取り組まなかった所為も有るのか判らないが、オザワンの取り巻き連中も碌な奴が居ないね(笑)。
まぁ、あれだ。観天喜地の小沢一派は、一審で無罪判決が出た事で永田町の風向きがガラッと変わるとして、小沢一派は色々と皮算用を弾いていた様で、民主党の主導権争いは激しくなる事が予想されたが、小沢一派の算段を狂わす想定外の出来事が起きた、まさかの「控訴」である。
しかも、この控訴の前日に民主党はオザワンの党員資格停止処分を解除したと言う間抜けっぷり(笑)。
オザワンの処分解除には、民主党内からも時期尚早だとして反対の声が大きかった訳だが、水気の無い「ボウフラ」みたいな顔の輿石東幹事長が党内の反対を押し切り解除したのである。
私は処分に付いて、控訴の有無を見極めてから解除するのが妥当だと思っていたが、ボウフラ輿石はオザワンの処分解除を決断してしまった。
拙速と言うか何と言うか勇み足としか言い様が無いが、ボウフラ輿石の先見性の無さを露呈しただけの結果になった訳だ。
ボウフラ輿石も間抜けだが、控訴に対する小沢一派の反応に付いて書くと、日本の司法制度は三審制だから、一審で無罪判決が出たからと言って無罪が確定した訳では無いのだが、どうもその辺を理解していない方々が多く見受けられる。
それに、自分達に都合の悪い結果になったからと言って、立法府に携わる人間が司法制度の批判に終始するのは如何なものか?。
今回の控訴は「政治弾圧」だと声高に叫んでいるのだが、その行為は政治家が司法に対して圧力を掛ける「政治的弾圧」にも見える。
自分達が支持する政治家に都合の悪い結果が出た事で、検察審査会による強制起訴のシステムを改正する動きが有る事も甚だ疑問である。
「政治とカネ」に対して疑心暗鬼な国民からすれば、今の「政治資金規正法」自体が政治家に甘い仕組みだと感じ、その甘い仕組みを厳しくするならいざ知らず、国民の権利行使とも言える検察審査会による強制起訴を、自分達に都合の悪い結果が出たから変更しますと言うのは虫が良すぎると思うけどね。
今回の件は、検察の杜撰な捜査が由々しき問題なのであって、検察審査会による強制起訴と言う制度自体は特に問題は無いのではないか?。
まぁ、検察審査会による強制起訴と言うシステムが可笑しいと、そんな阿呆な事を言っているのは一部の議員だから制度の変更には至らないとは思うが、自分達に都合の悪い結果が出たからと言って、ヒステリックになるのは感心しないな。
話を控訴に戻すが、オザワンは顔は強面だけどガラスのメンタルと言われる程、心は「うら若き乙女」の様にナイーブだから、控訴されたショックで枕を濡らして寝込んでしまった。
体調不良だとして国会も休んだ訳だが、刑事被告人としての立場を継続する事になったオザワンの姿を見ていると自業自得な側面は否めない。が、憐憫の情を覚える。
このエントリを書いている私も控訴は青天の霹靂、指定弁護士が控訴した事に大変驚いたから、当事者であるオザワンの落胆振りは判らなくも無い。
このエントリは一審で無罪判決が出た直後に書き始めており、控訴はしない事を前提として書いていたから、無罪判決が出た事で「心機一転」、オザワンは自身の政治生命の締め括りとして「粉骨砕身」し、日本の国益になる「政(まつりごと)」をして「汚名返上」したらどうか。とかね、書こうと思っていたんだよ(笑)。
折角だから、そこら辺りも書いてみると、オザワンが好きな言葉で多分、座右の銘にしている「百術不如一誠」と言う言葉が有って、これは「百術は一誠に如かず」と読み、「百の術策も一つの誠意には及ばない」と言う意味がある。
目的の為なら手段を選ばず、ありとあらゆる術策を為すオザワンのイメージとは異なる言葉の様に見えるのだが、この言葉通り誠意を持って政(まつりごと)を行って欲しいと思うね。
裁判でも「私の関心事は天下国家の話」と言い、中曽根康弘元首相曰く「妖怪的能力を秘めている」と言うオザワンなのだから、その妖怪的能力を駆使して政に取り組んで貰いたい。
支那のトウ小平の言葉で「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と言う所謂「白猫黒猫論」では無いが、閉塞感が覆い尽くしている日本を変えてくれるのなら、限り無く黒に近い議員だろうとも期待したい国民は多いと思う。
「清廉潔白」で何も出来ない政治家よりも、多少はダーティーなイメージが有ろうとも日本の国が良くなる方向に導いてくれるのなら、それはそれで結構な事だろう。
これは「清濁併せ呑む」って奴で、オザワンの師匠である田中角栄は「金権政治の代名詞」みたいな政治家だったのだが、未だに人気がある理由をオザワン自身はよく考えた方が良いな。
嘗ては「小沢待望論」なるものも有り、政治家・小沢一郎に期待する声も多かったのだが、それはポスト田中角栄の幻想をオザワンに追い求めていた節が有ったのではと思量する。
オザワンは田中角栄の弟子を自認するのなら、金権政治の部分だけでは無く、政もよく遣っていた。と、後世に語られる政治家を目指せば良い。
今のままでは、小沢一郎と言う政治家は金権政治だけしか無い、黒い政治家だったなと言う評価しか残らないよ。
オザワンに付いては、書きたい事が山ほど有るのだが、今日の所はこの辺で。では。
【ネッタイムス・東坊京門・作】
裁判では、検察審査会の起訴議決に基づく起訴の適法性、虚偽記載の有無、元秘書との共謀の有無が争点となったのだが、一審で無罪判決と言う結論に至ったのは、ほぼ唯一の直接証拠である「オザワンに収支報告書の内容を報告し、了承を得た」とする元秘書らの供述調書が、取り調べに利益誘導や圧力が有ったとして東京地裁が大部分を退けた事が大きい。
そう言った意味ではオザワンが無罪を勝ち取ったと言うよりは、杜撰な「見立て捜査」による検察の失態と言うか自爆によってオザワンに無罪判決が出たと言っても過言では無い。
この件で問題なのは、大阪地検特捜部による改竄隠蔽事件に続き、東京地検特捜部までも捜査の信頼性を毀損させた事で、検察への不信感を増幅させた結果となった事だな。
さて、検察の失態は一先ず置いといて裁判に目を向けると、検察官役の指定弁護士側はオザワンが署名した融資書類等の間接証拠を積み重ね、オザワンの指示や了解無しに元秘書が独断で虚偽記載をする事は無いと主張しているのだが、これは親方と子分の関係を鑑みれば当然の話だな。
その筋、つまりヤクザの世界と永田町の世界、つまり政界は大変よく似ていて、ヤクザの世界では「親分の代わりに臭い飯を食うのが子分の役目」であり、永田町の世界では「政治家の代わりに臭い飯を食うのが秘書の役目」なのである。
その様な世界の仕来たりでは、いちいち口頭で指図しなくても暗黙の了解と言うか、親分が煙草を口に咥えたら子分は粛々と親分の煙草に火を付けるのは当たり前の話であり、親分の意向を忖度して行動する事は至極当然なのである。
カネに纏わる話なんかも同じ事で、親分の意向を忖度して行動する秘書としては、当然として親分の利益になる様に事を進める訳で、それらを行うプロセスに於いて、親分が知らずして子分が勝手に事を進めるのは考え難く、特にオザワンは「人を信用しない」とオザワン自身も語っている通り「猜疑心の塊」なのだから、オザワンが事の真相を知らずして秘書が勝手に億単位のカネを動かすなんざ有り得ない。
それらを踏まえて考えれば、今回の一件も親分のオザワンが知らぬ訳が無く、子分の秘書は親分の指示通りに動いたのだろう。
そして、親分子分の流儀に従い秘書連中に「因果を含めて詰め腹を切らせる」と言う遣り方で、この問題の解決を図ろうとするのである。
まぁ、こんな事は当たり前の話だから、検察役の指定弁護士もこの辺りを突くのは至極当然の事だな。
オザワンの無罪判決に付いて永田町の反応はと言えば、「小沢氏は国会で説明責任を果たすべきだ」と言う意見が相次ぎ、証人喚問を求める声が多い。
麻生元首相は「自らの資金管理団体の土地取引を巡り、元秘書が有罪判決を言い渡されているのに、小沢氏本人は『無罪だから関係無い』と言うのは通用しない。小沢氏は国会で堂々と説明責任を果たすべきだ」と述べている。
オザワンと「犬猿の仲」と言われる東京都の石原慎太郎知事は4月27日、無罪判決に付いて「彼に関する金銭のヤマはもっと大きなものが有るんじゃないか。インフラ整備の為の贈収賄なんて、(授受した)双方が同じ事を言わないと絶対に立証出来ない。だから彼に関する金銭の疑惑はもっとベラボーなものが有るんだろうが、これは埒外なものになっている」
「4億円と言ったって、我々にしたら大金だが、彼にしたらチャチな問題だったのではないか」と述べた。
永田町の反応は色々と有るが、今回の裁判は「大山鳴動して鼠一匹」だな、騒いだ割りには大した事が無いね。
まぁ、秘書が有罪になっているから「大山鳴動して秘書三匹」と言う事で「限り無く黒に近い灰色」なんだが、一審でオザワンに無罪判決が出た時の小沢一派、中でも小沢チルドレンやら小沢ガールズの喜色満面と言うか、観天喜地っぷりは半端無かったね(笑)。
「神輿は軽くてパーが良い」とはオザワンの言葉だが、喜色満面している小沢チルドレンや小沢ガールズの面子を見ていて、改めて思ったのだが、オザワンを「担ぐ奴等はパーばかり」と言う感じだな。
オザワンが後進の指導に関して真面目に取り組まなかった所為も有るのか判らないが、オザワンの取り巻き連中も碌な奴が居ないね(笑)。
まぁ、あれだ。観天喜地の小沢一派は、一審で無罪判決が出た事で永田町の風向きがガラッと変わるとして、小沢一派は色々と皮算用を弾いていた様で、民主党の主導権争いは激しくなる事が予想されたが、小沢一派の算段を狂わす想定外の出来事が起きた、まさかの「控訴」である。
しかも、この控訴の前日に民主党はオザワンの党員資格停止処分を解除したと言う間抜けっぷり(笑)。
オザワンの処分解除には、民主党内からも時期尚早だとして反対の声が大きかった訳だが、水気の無い「ボウフラ」みたいな顔の輿石東幹事長が党内の反対を押し切り解除したのである。
私は処分に付いて、控訴の有無を見極めてから解除するのが妥当だと思っていたが、ボウフラ輿石はオザワンの処分解除を決断してしまった。
拙速と言うか何と言うか勇み足としか言い様が無いが、ボウフラ輿石の先見性の無さを露呈しただけの結果になった訳だ。
ボウフラ輿石も間抜けだが、控訴に対する小沢一派の反応に付いて書くと、日本の司法制度は三審制だから、一審で無罪判決が出たからと言って無罪が確定した訳では無いのだが、どうもその辺を理解していない方々が多く見受けられる。
それに、自分達に都合の悪い結果になったからと言って、立法府に携わる人間が司法制度の批判に終始するのは如何なものか?。
今回の控訴は「政治弾圧」だと声高に叫んでいるのだが、その行為は政治家が司法に対して圧力を掛ける「政治的弾圧」にも見える。
自分達が支持する政治家に都合の悪い結果が出た事で、検察審査会による強制起訴のシステムを改正する動きが有る事も甚だ疑問である。
「政治とカネ」に対して疑心暗鬼な国民からすれば、今の「政治資金規正法」自体が政治家に甘い仕組みだと感じ、その甘い仕組みを厳しくするならいざ知らず、国民の権利行使とも言える検察審査会による強制起訴を、自分達に都合の悪い結果が出たから変更しますと言うのは虫が良すぎると思うけどね。
今回の件は、検察の杜撰な捜査が由々しき問題なのであって、検察審査会による強制起訴と言う制度自体は特に問題は無いのではないか?。
まぁ、検察審査会による強制起訴と言うシステムが可笑しいと、そんな阿呆な事を言っているのは一部の議員だから制度の変更には至らないとは思うが、自分達に都合の悪い結果が出たからと言って、ヒステリックになるのは感心しないな。
話を控訴に戻すが、オザワンは顔は強面だけどガラスのメンタルと言われる程、心は「うら若き乙女」の様にナイーブだから、控訴されたショックで枕を濡らして寝込んでしまった。
体調不良だとして国会も休んだ訳だが、刑事被告人としての立場を継続する事になったオザワンの姿を見ていると自業自得な側面は否めない。が、憐憫の情を覚える。
このエントリを書いている私も控訴は青天の霹靂、指定弁護士が控訴した事に大変驚いたから、当事者であるオザワンの落胆振りは判らなくも無い。
このエントリは一審で無罪判決が出た直後に書き始めており、控訴はしない事を前提として書いていたから、無罪判決が出た事で「心機一転」、オザワンは自身の政治生命の締め括りとして「粉骨砕身」し、日本の国益になる「政(まつりごと)」をして「汚名返上」したらどうか。とかね、書こうと思っていたんだよ(笑)。
折角だから、そこら辺りも書いてみると、オザワンが好きな言葉で多分、座右の銘にしている「百術不如一誠」と言う言葉が有って、これは「百術は一誠に如かず」と読み、「百の術策も一つの誠意には及ばない」と言う意味がある。
目的の為なら手段を選ばず、ありとあらゆる術策を為すオザワンのイメージとは異なる言葉の様に見えるのだが、この言葉通り誠意を持って政(まつりごと)を行って欲しいと思うね。
裁判でも「私の関心事は天下国家の話」と言い、中曽根康弘元首相曰く「妖怪的能力を秘めている」と言うオザワンなのだから、その妖怪的能力を駆使して政に取り組んで貰いたい。
支那のトウ小平の言葉で「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と言う所謂「白猫黒猫論」では無いが、閉塞感が覆い尽くしている日本を変えてくれるのなら、限り無く黒に近い議員だろうとも期待したい国民は多いと思う。
「清廉潔白」で何も出来ない政治家よりも、多少はダーティーなイメージが有ろうとも日本の国が良くなる方向に導いてくれるのなら、それはそれで結構な事だろう。
これは「清濁併せ呑む」って奴で、オザワンの師匠である田中角栄は「金権政治の代名詞」みたいな政治家だったのだが、未だに人気がある理由をオザワン自身はよく考えた方が良いな。
嘗ては「小沢待望論」なるものも有り、政治家・小沢一郎に期待する声も多かったのだが、それはポスト田中角栄の幻想をオザワンに追い求めていた節が有ったのではと思量する。
オザワンは田中角栄の弟子を自認するのなら、金権政治の部分だけでは無く、政もよく遣っていた。と、後世に語られる政治家を目指せば良い。
今のままでは、小沢一郎と言う政治家は金権政治だけしか無い、黒い政治家だったなと言う評価しか残らないよ。
オザワンに付いては、書きたい事が山ほど有るのだが、今日の所はこの辺で。では。
【ネッタイムス・東坊京門・作】