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NEOMAP Web Forum

総合地球環境学研究所プロジェクト4-4「東アジアの新石器化と現代化:景観の形成史」のwebフォーラム

琉球WGシンポジウムに参加して

2008-12-15 20:00:18 | 琉球WG
12月13日に沖縄県埋蔵文化財センターで開催された『琉球縄文時代の謎』に参加してまいりました。
琉球地域に人類が適応したのはいつからか?という問題について、高宮広土さんと伊藤慎二さんが発表を行いました。
 高宮さんは、縄文時代中期末から後期に人々が沖縄諸島に適応したという解釈を提示されました。高宮さんの適応とは人々がいるだけではなくその社会が再生産に成功している状態をさします。その観点からすれば、後期以降は遺跡数が大幅に増加する後期以降が該当する、それを可能にしたのが海洋資源と堅果類の利用システムの確立にあるという理解です。また、世界的に先史時代に植民された島々の地理的特徴をみると大型で大陸に近いという特徴があるが、その点では沖縄本島はどちらかといえば小型で大陸からも遠いという特徴を指摘されました。そのうえ、縄文早期・前期にあたる時期には陸上動物(イノシシ)という不安定な食料資源への依存度が高いと思われ、生業面からも断絶した可能性は低くないと述べられました。
 それに対し、伊藤さんは、土器の形態や文様が前代の特徴を何かしら受け継いでおり連続性があること、居住システムの変化にも段階を経て変化していることなどから、これらの連続的あるいは段階的変化は居住の歴史に断絶があったとは考えにくく、継続的な居住の開始期にあたる縄文時代早期末頃から適応したと理解する方が良いとしました。また、太平洋上にある人類の居住が断絶した島の考古資料を観察すると、交易の断絶により必要な生活物資が調達できなくなり、質の悪い現地産の資材で道具を作る場合がしばしばあることが分かるが、沖縄本島の考古資料には看取できないことも紹介されました。
 最後の飯田卓さんのコメントは興味深いものでした。縄文早期・前期は第1段階の適応(人口の比較的少ない社会として適応)、後期以降は生業の変化あるいは栽培の導入により人口増を伴う第2段階の適応というように異なるレベルの適応と理解することもできるのではないかとのことでした。
 私の雑感を1つ。これはスケールの問題でもあると思いました。高宮さんのように長い時間スケールでみると縄文後期とそれ以前の格差がより明瞭になる。伊藤さんのようにより細かな変遷を追いかけると各時期の特徴が相対的に強調されるのではないか?それが2つの異なる評価を生み出す一因でもあるように感じました。実は最近景観のほか考古資料の解釈を行う時に時間と空間のスケールを意識して使い分けることが必要なのではないかと考えており、またそうした視点はGISなどで定量的分析行うさいにも案外重要な視点になるのではないかと考えつつあります。
 半日でしたが、ほかの先生2名からも発表があり、大変勉強になったシンポジウムでした。開催にご尽力下さった皆様に厚く御礼申し上げます。
(おおき)