
【ネタばれあります】
ある日吉祥寺のエスニック雑貨屋でみつけた
トルコ音楽映画「クロッシング・ザ・ブリッジ」のチラシ。
なんでもトルコ音楽の魅力を追ったドキュメンタリーで、
ブラジル音楽映画「モロ・ノ・ブラジル」のトルコ版だという。
何よりも、このチラシの人のグラサンは一体何なのだろう?
謎を解かねばならない。
・・というわけで訪れた渋谷のミニシアター。
映画の上映前に突然セクシーなお姉さんが登場し
ベリーダンスを踊りだしたのには驚いたが、
一緒に踊り続けて腰が痛くなった頃に映画が始まった。
映画は、トルコ音楽の奥深さに魅せられたドイツ人ベーシストが
トルコの様々なアーティストと共にセッションしてまわる、という内容。
クラブ、トルコ語ラップ(壮絶な早口!字幕の3倍は語ってるはず)、
ロックに路上パフォーマー、ジプシー音楽やクルド民謡に
往年の大スターなど、トルコを彩る様々な音楽のゴッタ煮状態だ。
東洋と西洋の交差点、の言葉どおり楽器もリズムもメロディも複雑で、
映画の中で誰かが言っていたように、東洋と西洋の境界線など
実際にはないのだ、と思える。
しかし正直なところ、中盤以降は自分にとってはかなり難しかった。
まず、顔の区別がつかない。画面の切り替えが早いのだ。
様々なアーティストの音楽がバックに流れては消える中、
バンド名もどういう立ち位置の人達なのかも、さっぱり分からない。
彼らのプロフィールやバックグラウンドの説明が殆どないからだ。
路上バンド(といっても、すごくウマイのですが)と
往年の大歌手を一直線上に並べるのも、いささか無理があるように思う。
映画に出てきたひとつひとつの音楽は確かに素晴らしいが、
トルコの音楽シーンをめぐる「点」と「点」は理解できても
それらが「線」として繋がらないもどかしさを感じる。
同じ趣向の映画でも「モロ・ノ・ブラジル」には
映画全体の統一感を感じられたが、2つの映画の違いは何だろう?
また、トルコ的な旋律の何たるかも分からないのに
「エジプト音楽を取り入れた大歌手」といわれても理解できないのが悲しい。
これはトルコ音楽上級者向きの映画なのだろうか?
トルコについて最低限の知識がないとついていけない気がする。
また、人々へのインタビューの撮り方にも疑問を感じた。
東西文化の交差点というわりに、インタビューに多様性が感じられない。
この映画を観ると、トルコ人は思想的にもかなりアツイ人達で
政府が西洋化を進める一方国民のスタンスはアジア寄りにみえるが、
果たして皆が皆本当にそう思っているのか?
どうも判断材料としてこのインタビューでは力不足だ。
監督はトルコ系ドイツ人だというから描き方は適切なのだろうが、
パンフレットを読まないとその辺りの事情もわからない。
この映画の切り口についていけない、己の知識のなさが情けない。
まずはトルコの最新ヒットチャートで固めて欲しい、などと
思ってしまった私は鑑賞者失格なのかもしれません。
オリエント・エクスプレッションズの「イスタンブール 1:26a.m.」
は気に入り、ちゃっかり彼らのCDも購入したものの
イスタンブールとグラサン(その意味はやっとわかりましたが)
の謎は深まるばかりである。