こんばんは。
先日、声の音楽が最近聞きたいと書いておりました煩悩女王tomoです。
しまちゃんから送ってもらったCDを聞きながら、はたと思いました。私はフォーレのレクイエムが好きなのです。IPODで、TOP25にイントロダクションがエントリーされるくらい聞き込んでいます。
理由は、声だから。
ちょっと聞くとオペラのよう。そして、容易に場面が想像できます。パラディウムでは、天使の祝福を聞きます。また、色々な中に入る弦の音、ホルンの音・・・などに、悪寒・・・いえ強烈な戦慄が走るほど、ツボに入ります。
一時期は一晩中流していたこともありました。(消し忘れていたわけではなく)
でも、よく考えると、ハレルヤもそうだし、好きな曲は声物です。もちろんJPOPも好きです。声がいいですよね。でも、その裏の表現の哀しさも聞こえるので、痛し痒しかな。
でも対位法が本当に本当に大好き。死ぬ前に一度は、生のオーケストラで指揮棒振って、主旋律を各パートにふってみたい。対位法が体に染み付いています。
お経の倍音声明も好き。
生のオーケストラのよさは、同じ楽器がいくつも並んで弾くのですよね。そうして、微妙に音がズレルわけです。弦にしろ、管にしろ、パーカッションにせよ、微妙に同じ楽器でもチューンがずれるのです。管なら、吹く息の強さでみんなチューンが上がったり下がったりしちゃいます。管の接続部を少し調節して同じような音にあわせるのですが、そううまくは行きません。
弦はみな同じ場所を押さえているつもりですが、確実性の無い弾きですから音はずれます。パーカッションでは、マリンバなどありますが、詳しくはありません。
お経も同じです。みんな違う声で同じ倍音で唱えるはずなのに、厚みがでます。
なので、シンセサイザーで作る「沢山の音のぶつかり合いのない平坦な滑らかな音」とは違います。こちらは微妙な厚みがありません。
私が好きな音楽は、やはり音と音がぶつかるのです。で、微妙な不協和音がなんとも温かくて好きなんです。で、フォーレのレクイェム。
一種の私のテーマソングかと思います。
お経を聞くとほっといたします。そして、宗教音楽のパイプオルガンとコーラスを聴くとホットいたします。とても好きで、懐かしくて。子供の頃からよく聞いていました。(これをしまちゃんは過去世の影響だろうと申します、私の過去世イメージはほとんどが宗教オカルトがらみです_| ̄|○)
私は体を鳴らす音を出すと大音量なので、あまりしないのですが、あまりしないとスロートチャクラ(のど)にあからさまに変調がでます。吃音になるのです。ですから、吃音気味の時は、カラオケに行ったり、家で思いっきり歌ったり、車で歌ったりします。
父が亡くなった時、亡くなる半月前など、車で泣きながら歌ってたことがありました。で、過去の作品を整理すると、「愛して欲しかった」という曲しか作っていませんでした。「どうやったら愛してくれるのか」「結局愛してもらえない」ってのが、一種のテーマだった気がします。
ですが、今はわかるのです。
「愛に気づかなかっただけ」なのだと。常に隣にあったのだと。目の前の愛を見ないで、愛に飢えていたのは自分の責任なのだと。
本当の愛って、なんでしょうね。自分自身の心に問うとき、音楽はとてもいい朋になります。一緒に音をつむぎませんか。音楽を声で歌うことは、きっといいストレス解消と、あなたの今のカルマを清算するお手伝いができると思います。そして、ポジティブにもさせてくれます。
スロートチャクラ。大事にしましょう(謎)
tomo
先日、声の音楽が最近聞きたいと書いておりました煩悩女王tomoです。
しまちゃんから送ってもらったCDを聞きながら、はたと思いました。私はフォーレのレクイエムが好きなのです。IPODで、TOP25にイントロダクションがエントリーされるくらい聞き込んでいます。
理由は、声だから。
ちょっと聞くとオペラのよう。そして、容易に場面が想像できます。パラディウムでは、天使の祝福を聞きます。また、色々な中に入る弦の音、ホルンの音・・・などに、悪寒・・・いえ強烈な戦慄が走るほど、ツボに入ります。
一時期は一晩中流していたこともありました。(消し忘れていたわけではなく)
でも、よく考えると、ハレルヤもそうだし、好きな曲は声物です。もちろんJPOPも好きです。声がいいですよね。でも、その裏の表現の哀しさも聞こえるので、痛し痒しかな。
でも対位法が本当に本当に大好き。死ぬ前に一度は、生のオーケストラで指揮棒振って、主旋律を各パートにふってみたい。対位法が体に染み付いています。
お経の倍音声明も好き。
生のオーケストラのよさは、同じ楽器がいくつも並んで弾くのですよね。そうして、微妙に音がズレルわけです。弦にしろ、管にしろ、パーカッションにせよ、微妙に同じ楽器でもチューンがずれるのです。管なら、吹く息の強さでみんなチューンが上がったり下がったりしちゃいます。管の接続部を少し調節して同じような音にあわせるのですが、そううまくは行きません。
弦はみな同じ場所を押さえているつもりですが、確実性の無い弾きですから音はずれます。パーカッションでは、マリンバなどありますが、詳しくはありません。
お経も同じです。みんな違う声で同じ倍音で唱えるはずなのに、厚みがでます。
なので、シンセサイザーで作る「沢山の音のぶつかり合いのない平坦な滑らかな音」とは違います。こちらは微妙な厚みがありません。
私が好きな音楽は、やはり音と音がぶつかるのです。で、微妙な不協和音がなんとも温かくて好きなんです。で、フォーレのレクイェム。
一種の私のテーマソングかと思います。
お経を聞くとほっといたします。そして、宗教音楽のパイプオルガンとコーラスを聴くとホットいたします。とても好きで、懐かしくて。子供の頃からよく聞いていました。(これをしまちゃんは過去世の影響だろうと申します、私の過去世イメージはほとんどが宗教オカルトがらみです_| ̄|○)
私は体を鳴らす音を出すと大音量なので、あまりしないのですが、あまりしないとスロートチャクラ(のど)にあからさまに変調がでます。吃音になるのです。ですから、吃音気味の時は、カラオケに行ったり、家で思いっきり歌ったり、車で歌ったりします。
父が亡くなった時、亡くなる半月前など、車で泣きながら歌ってたことがありました。で、過去の作品を整理すると、「愛して欲しかった」という曲しか作っていませんでした。「どうやったら愛してくれるのか」「結局愛してもらえない」ってのが、一種のテーマだった気がします。
ですが、今はわかるのです。
「愛に気づかなかっただけ」なのだと。常に隣にあったのだと。目の前の愛を見ないで、愛に飢えていたのは自分の責任なのだと。
本当の愛って、なんでしょうね。自分自身の心に問うとき、音楽はとてもいい朋になります。一緒に音をつむぎませんか。音楽を声で歌うことは、きっといいストレス解消と、あなたの今のカルマを清算するお手伝いができると思います。そして、ポジティブにもさせてくれます。
スロートチャクラ。大事にしましょう(謎)
tomo