こんばんは。
思い出したので記載しておきます。
実は、このところよく「ありえない」ものを視ることが多く、一方では「面白がっている自分」がいて、もう一方では、「とてつもなくめんどくさいと感じる自分」がいます。
・・・・・例えば、うちの周りに工事の資材置き場がよく多いんですが、とある資材置き場の横を通った時、
「ありえない場所にこれ見よがしに飾ってある不気味な人形」
がありました。工事の事務所(人影も無い)の窓に置いてある人形。
すごーく目が嫌。ってか、その目に気づいた自分も嫌でした。
で、同じ場所を通っても、主人は一回も見つけたことはないようです。
・・・・・例えば、交差点手前の左手にある工事用の事務所の窓に、
「弓なりで重なって立っている男二人と目が合う」
事がありました。
え?今の何?弓なり?ってもう一回ちょっと見て、交差点を曲がっちゃったんですが、とっても顔がくっきりで、立ち方が不自然でした。
なんで、そんなところで立っているんだろうって思います。気づいても、忙しいからついつい、
「うわぁ、なにやってんだ、あのお化けは」
「ってか、暇だよなぁ、この師走に何悠長にやってんだよ」
「立ってる暇があるなら、生きてる奴の手伝いしろよ」
って思っちゃったりします。心底羨ましかったりして。
この間は、眼鏡をかけても何もかもぼやけている日に、息子を迎えにいくとき、目に飛び込んできたのは、
「学校脇に供えられた花束」
でした。つい、しみじみそこで起きた事件を思い出し、運転に対する気持ちを引き締めたことがあります。
上げて欲しいとか上げて欲しくないとか、そんな気持ちまではわかりませんし、聞く気もないです。おったぬき様のように、自然と気持ちがイメージで流れ込んでくるならまだしも、わけわかんないそこら辺の所謂「行きずり」さんの面倒まで見ていられるほど暇ではありません。
見ても何か出来るわけではないし。例え上げてくれと言われても、「どこへ?」って聞いちゃうかもしれないし。
一回、じいさんがついてきた時があって、玄関先で、
「こっから先、うちだし」(だからごめん、上がりこむなよ)
「散らかってるし」(呼んでないんだよ、あんたは)
とそっけなく説得して、庭先で線香を焚いた事がありました。そのままじいさんを見ていると、ふらふら~と、うちのとこを通る霊道に入って、どこかに行ってしまいました。
霊道に乗せること自体、その人にいいことなのかどうかわかりません。事実、家の中を通り抜けていく人たちは、私たちに関心なく、ひたすら通り過ぎるごとく歩いていきます。(視える時は真面目に嫌になる)その先に何が待っているのかも知りません。寺へ行く途中の道でもなく、その地点から線を引いても先には、何の神社もありません。
たまに、なんとかしてやりたいなぁとも思いますが、一人なんとかしてやったら、次々に・・・ってなるのはとても嫌です。
でも、霊道の先がどうなっているのか知りたい気持ちもあります。
資材置き場の弓なりおっさんも含めて、ずっとそこにいるんでしょうね。誰かが気がついても気がつかなくても。
で、何をしたくてそこにいるんでしょうか。
あなたは知りたくありませんか?
この話はこの辺でよろしくお願いします。
tomo
思い出したので記載しておきます。
実は、このところよく「ありえない」ものを視ることが多く、一方では「面白がっている自分」がいて、もう一方では、「とてつもなくめんどくさいと感じる自分」がいます。
・・・・・例えば、うちの周りに工事の資材置き場がよく多いんですが、とある資材置き場の横を通った時、
「ありえない場所にこれ見よがしに飾ってある不気味な人形」
がありました。工事の事務所(人影も無い)の窓に置いてある人形。
すごーく目が嫌。ってか、その目に気づいた自分も嫌でした。
で、同じ場所を通っても、主人は一回も見つけたことはないようです。
・・・・・例えば、交差点手前の左手にある工事用の事務所の窓に、
「弓なりで重なって立っている男二人と目が合う」
事がありました。
え?今の何?弓なり?ってもう一回ちょっと見て、交差点を曲がっちゃったんですが、とっても顔がくっきりで、立ち方が不自然でした。
なんで、そんなところで立っているんだろうって思います。気づいても、忙しいからついつい、
「うわぁ、なにやってんだ、あのお化けは」
「ってか、暇だよなぁ、この師走に何悠長にやってんだよ」
「立ってる暇があるなら、生きてる奴の手伝いしろよ」
って思っちゃったりします。心底羨ましかったりして。
この間は、眼鏡をかけても何もかもぼやけている日に、息子を迎えにいくとき、目に飛び込んできたのは、
「学校脇に供えられた花束」
でした。つい、しみじみそこで起きた事件を思い出し、運転に対する気持ちを引き締めたことがあります。
上げて欲しいとか上げて欲しくないとか、そんな気持ちまではわかりませんし、聞く気もないです。おったぬき様のように、自然と気持ちがイメージで流れ込んでくるならまだしも、わけわかんないそこら辺の所謂「行きずり」さんの面倒まで見ていられるほど暇ではありません。
見ても何か出来るわけではないし。例え上げてくれと言われても、「どこへ?」って聞いちゃうかもしれないし。
一回、じいさんがついてきた時があって、玄関先で、
「こっから先、うちだし」(だからごめん、上がりこむなよ)
「散らかってるし」(呼んでないんだよ、あんたは)
とそっけなく説得して、庭先で線香を焚いた事がありました。そのままじいさんを見ていると、ふらふら~と、うちのとこを通る霊道に入って、どこかに行ってしまいました。
霊道に乗せること自体、その人にいいことなのかどうかわかりません。事実、家の中を通り抜けていく人たちは、私たちに関心なく、ひたすら通り過ぎるごとく歩いていきます。(視える時は真面目に嫌になる)その先に何が待っているのかも知りません。寺へ行く途中の道でもなく、その地点から線を引いても先には、何の神社もありません。
たまに、なんとかしてやりたいなぁとも思いますが、一人なんとかしてやったら、次々に・・・ってなるのはとても嫌です。
でも、霊道の先がどうなっているのか知りたい気持ちもあります。
資材置き場の弓なりおっさんも含めて、ずっとそこにいるんでしょうね。誰かが気がついても気がつかなくても。
で、何をしたくてそこにいるんでしょうか。
あなたは知りたくありませんか?
この話はこの辺でよろしくお願いします。
tomo
