2017年は5年に一度の「大祭」が執り行われる年でもある
その前哨戦!?ではないが、今年も吾妻橋2丁目町会の半纏を借りて神輿渡御に参加、
来年の予行練習を兼ねて牛嶋神社に「宮入」を果たしてきた
このブログでも度々登場する吾妻橋2丁目町会の「町会神輿」は、下町の神輿のなかでも
ベスト10入りするほど立派な神輿である。三社様の本社神輿にも劣らない、贅をつくした
素晴らしい作りであり、担げる“美術工芸品”と称しても、けして過言ではない
しかし、かれこれ20数年前のこと
地元の担ぎ手が足りず、当時の神輿総代(総責任者)から要請を受けた雷門「色川」の大将、
二つ返事で「よしわかった!!」と即答。すぐに「おい、打合せと段取りは任せる!」と、
オイラにその役目が回ってきたのである・・・
担ぎ手を集めるだけならそう難しいことじゃない
しかし、名門の町会であること。大将の親しい方が総代をされていること。など、
誰でもいいということにならない!まずは、肩が強いこと。持続力があること
さらに、礼儀作法を弁えていることなど・・・・
こうした条件を踏まえ、厳正に検討を重ねた結果、色川の関係筋を中心に50名を選抜!!
当日、かなり強面!見るからに屈強な連中ばかりを取り揃えて意気揚々と祭りに参加!
その結果は言うまでもない!!当時の宮司が大絶賛!!するほどの宮入を果たした
こうした縁で、いまもなお、吾妻橋2丁目町会と色川との交流は続いている
しかし、2年前に色川の大将が急逝!さらに、大将の葬儀で肩を落としていた神輿総代、
その盟友も今年の春、突然!!天に召されてしまった・・・
人一倍!寂しがり屋の大将だったんので、大将が総代を呼んだんじゃないか!?って
そう言う人も少なくなかったが、さらに、祭りの前々日、色川と長く親交がある某睦の
会長までが他界・・・「追善供養」今回は、3人分の遺影を懐に忍ばせて神輿を担いだ
果たして喜んでくれているんだろうか?
お世話になった人が次々に亡くなっていく・・ってーことは本当に淋しいことである
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