濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

コクリコ坂

2011年07月16日 | ひとりごと・・

予告編を見ていて、すぐに「これって横浜じゃん」と気付いた
しかし、横浜に「コクリコ坂」という坂は存在しない

そこで、予告編から僅かではあるが、次のような情報を得ることができた
① 坂の途中に、トンガリ屋根の洋館らしき住居がある
② 沖を通る船舶に、安全航行を促す“国際信号旗”を掲げており、海上から
これを確認できる場所
③ 旗を掲げている背景が、どことなくイタリア山庭園の雰囲気に似ている
④ コクリコ・・とはフランス語で「虞美人草・雛罌粟(ひなげし)」のこと

その結果、「コクリコ坂って山手しかないじゃん!」という結論に至った

山手とは、横浜市中区にあり、いわゆるハマの超!高級住宅街なのである
その東南側からは、東京湾と、その玄関口である三浦半島・千葉方面を、
北西側からは“みなとみらい”を含むハマの市街地、そして、丹沢の山々と
富士山を一望することができる!!

さて、横浜をはじめ、神戸や函館もそうだが、天然の入り江沿いで港が発展、
また、港湾都市は一般に地形的に海岸ぎりぎりまで山地が迫っていること多く、
結果的に「港町」には、「坂」が多く見られる

開国以降、駐留した外国人たちは、港を見下ろせる坂の途中や坂のうえに
住居を構えていった

いまでも横浜・山手には当時を偲ばせる多くの洋館が保存されており、また、
神戸や函館の異人館もその名残である

洋館や異人館は、港町情緒をより一層印象付けるに欠かすことができない
重要なアイテムなのだ

最後に、クコリコ=フランス語でひなげし・・・ここに坂のヒントが隠されて
いるとオイラ的には確信している

元町商店街を抜け、山手の「港が見える丘公園」へと通じる坂道がある
坂の名は「谷戸坂」
その谷戸坂の左手にフランス山公園がある

フランス山の歴史は、文久3年(1863)にフランス海兵隊が駐屯したことに始まる
フランス軍の駐屯は、明治8年(1875)に終わるが、その後明治27年(1894)、
ここにフランス領事館、領事官邸の建築が始まった

明治29年(1896)3月に領事館が、同12月に領事官邸が完成、しかし、大正12年の
関東大震災で、領事館・領事官邸ともに倒壊し、昭和5年(1930)に再建される

昭和46年(1971)、横浜市がフランスよりこの地(山手185、186番)を購入し、
翌47年(1972)に「海の見える丘公園フランス山地区」として整備され、現在に至る

あえて、クコリコというフランス語を取り入れている訳、それは、ハマのフランス山との
関連性で間違いない!!と確信できた次第である

そして、丘を登りきった小高い場所に咲くひなげしの花、きっと!庭園が整備されている
「港の見える丘公園」をイメージしているのであろう・・・

ちなみにオフコース(小田和正)の『秋の気配』の歌詞に出てくる“港が見下ろせる
こだかい公園”とは、この公園のことであり、B'zの『TIME』でも“港が見渡せる丘”
として歌われている。それぐらい港に近く、また、海上からも公園を見ることができる

結論
クコリコ坂は横浜山手の「谷戸坂」がモデルであり、少女が住む家は山手の「港が見える
丘公園」あたりの設定である

おまけ
今年5月、社命で横浜から北海道の道東(釧路・厚岸・根室地区)への出張を命ぜられ、
現在、道東のホテルを転々としている

せっかくの機会なので、道東の旬の味覚、そして雄大な大自然を満喫中!!!
そこで、今回は釧路の坂道から撮った画像をUPした

さて、道東の夕陽と言えば釧路、釧路と言えば夕日・・なんだそうだ
その釧路の「クコリコ坂」といえば大袈裟だが、ちょいと坂道を登った小高い丘のうえに
「米町(よねまち)公園」がある
天気のいい日は夕日を見よう!と、多くの観光客が詰めかける

港町には夕日がよく似合う

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