⑴ 年々、目覚めが早くなる。
時計は4時を過ぎたばかり。
その後、運よく2度寝できると爽快な気分で、
5時半の目覚まし時計の音を聞くことができる。
ところが、本当に珍しい。
グッスリ熟睡し、定刻に気持ちよく目が覚めた。
カーテンから漏れる光が快晴を伝えている。
急いで洗面を済ませ、散歩に出た。
4日続いた雨模様が昨日から一転。
今朝も風のない穏やかな大きな青空。
3年前に買った骨伝導式ヘッドホンで、
小椋佳のアルバムを聴きながら、
腰折れ屋根の牛舎がある道を進む。
『揺れるまなざし』も『めまい』も『眦』もいい。
いずれも作詞・作曲は小椋佳だ。
だが、今朝の私に響いた歌は『しおさいの詩』。
汐さいの浜の岩かげに立って
汐さいの砂に涙を捨てて
思いきり叫んでみたい 果てしない海へ
消えた僕の 若い力 呼んでみたい
つい先日、喜寿の誕生日を迎えたばかり。
晴れた早春の朝に、
柔らかな旋律に載せた小椋佳の澄んだ声が、
『消えた僕の 若い力 呼んでみたい』
と耳にささやく。
戦慄というのだろうか。
心が縮んでいくようなせつなさに囲まれた。
ところが、歩調を緩め、
深呼吸と一緒に見上げた当地の東山連山。
山頂まですっかり雪は消え、「冬の終わり」を告げていた。
「再び春が巡って来た!」。
少しだけ精気が戻った。
⑵ 数日前、『goo blog』のサービスが終了することを知った。
他へ移転し、ブログを継続することはできるようだが、
それにしても、突然の知らせ。
2014年7月から始めたブログが、
昨年10年の節目を迎えた。
それを機に、ここでの記事をもとに、
『教育エッセイ ジューンベリーに忘れ物 ~心豊かであれば』
を出版した。
つい2ヶ月前のことである。
サービス終了の画面を見ながら、
10余年もの間、ライフワークにしてきたことに、
「ピリオドを打つべきかも!」。
心が騒いだ。
出版に加え、ちょうど喜寿を迎えた。
「いいタイミングと言われているよう・・・」。
グルグルグルグルと迷う気持ちを止めることができなかった。
しかし、先日、出版社へ感想のメールで送ってくださた方がいた。
そのメールを転送してもらった。
* * * * *
『ジューンベリーに忘れ物 ~心豊かであれば~』を読みました。
著者と同時代に生きた者(そして生きている者)として共感する内容が多く、
至福のひと時を得ることができました。
心温まる箇所が多く、著者の人柄が表れているのだと思います。
著者のような人(教師、校長)こそ、
年齢に関係なく、
今日の教育現場は求めているのだと思います。
良質の教育エッセイ、ありがとうございました。
* * * * *
何度読み返したか、今一度噛みしめてみた。
『至福のひと時を得る』『良質の教育エッセイ』。
こんな賛辞を受けていいのだろうか。
「身に余ること!」。
胸が熱く熱くなる。
こんな喜びが、
ブログ継続に確かな力を与えてくれた。
懲りることなく、私を語り続ける!
⑶ 民生委員の任期が11月で切り替えになる。
私の自治会からは4名中2名が退任に決まった。
従って、民生委員を新たに2名、
自治会から推薦しなければならない。
様々な声を聞き、この方に是非お願いしようとご自宅を訪ねた。
2度目にお邪魔すると、ゆっくりお話を伺いたいと居間に案内された。
私の知る限りだが、民生委員の役割や活動内容をお話した。
聞きながらその重責を感じ迷っておられたが、突然尋ねられた。
「会長さんは、今のお役目のお話しがあった時、
どうしてお引き受けになられたのですか?」。
曖昧な返事をしてはいけないと思った。
「変な言い方かもしれません。
どんな頼まれごとでも、降りかかった火の粉は払わない。
火の粉は変ですね。
私でも頑張ればできそうなら、断らない。
そう決めて、今までずっと過ごして来ました。
そうやってここまできて、間違っていなかったと思ったので、
会長をお受けしたのが正直なところです」。
その後も、雑談を交えながら、
長い時間をかけ、説得を続けた。
そして、民生委員への推薦に応じてくださった。
その承諾書に押印しながら、
「私も、降りかかった火の粉を払わないことにしました。
よろしくお願いします」。
明るい表情だった。
帰宅の道々、
私は何かを確かめるように、同じ言葉を小さく声にした。
「降りかかった火の粉は払わない!」
自治会の総会が迫っていた。
会長の再任が提案され、選任される運びになっていた。
実のところ、精神的にも体力的にもこれからの2年間は、
厳しいと感じていた。
喜寿の本心は、ずっとさ迷っていた。
だから、もう一度、
「降りかかった火・・・・!」
と、想いを込めて私につぶやいた。

水辺の ミズバショウ
時計は4時を過ぎたばかり。
その後、運よく2度寝できると爽快な気分で、
5時半の目覚まし時計の音を聞くことができる。
ところが、本当に珍しい。
グッスリ熟睡し、定刻に気持ちよく目が覚めた。
カーテンから漏れる光が快晴を伝えている。
急いで洗面を済ませ、散歩に出た。
4日続いた雨模様が昨日から一転。
今朝も風のない穏やかな大きな青空。
3年前に買った骨伝導式ヘッドホンで、
小椋佳のアルバムを聴きながら、
腰折れ屋根の牛舎がある道を進む。
『揺れるまなざし』も『めまい』も『眦』もいい。
いずれも作詞・作曲は小椋佳だ。
だが、今朝の私に響いた歌は『しおさいの詩』。
汐さいの浜の岩かげに立って
汐さいの砂に涙を捨てて
思いきり叫んでみたい 果てしない海へ
消えた僕の 若い力 呼んでみたい
つい先日、喜寿の誕生日を迎えたばかり。
晴れた早春の朝に、
柔らかな旋律に載せた小椋佳の澄んだ声が、
『消えた僕の 若い力 呼んでみたい』
と耳にささやく。
戦慄というのだろうか。
心が縮んでいくようなせつなさに囲まれた。
ところが、歩調を緩め、
深呼吸と一緒に見上げた当地の東山連山。
山頂まですっかり雪は消え、「冬の終わり」を告げていた。
「再び春が巡って来た!」。
少しだけ精気が戻った。
⑵ 数日前、『goo blog』のサービスが終了することを知った。
他へ移転し、ブログを継続することはできるようだが、
それにしても、突然の知らせ。
2014年7月から始めたブログが、
昨年10年の節目を迎えた。
それを機に、ここでの記事をもとに、
『教育エッセイ ジューンベリーに忘れ物 ~心豊かであれば』
を出版した。
つい2ヶ月前のことである。
サービス終了の画面を見ながら、
10余年もの間、ライフワークにしてきたことに、
「ピリオドを打つべきかも!」。
心が騒いだ。
出版に加え、ちょうど喜寿を迎えた。
「いいタイミングと言われているよう・・・」。
グルグルグルグルと迷う気持ちを止めることができなかった。
しかし、先日、出版社へ感想のメールで送ってくださた方がいた。
そのメールを転送してもらった。
* * * * *
『ジューンベリーに忘れ物 ~心豊かであれば~』を読みました。
著者と同時代に生きた者(そして生きている者)として共感する内容が多く、
至福のひと時を得ることができました。
心温まる箇所が多く、著者の人柄が表れているのだと思います。
著者のような人(教師、校長)こそ、
年齢に関係なく、
今日の教育現場は求めているのだと思います。
良質の教育エッセイ、ありがとうございました。
* * * * *
何度読み返したか、今一度噛みしめてみた。
『至福のひと時を得る』『良質の教育エッセイ』。
こんな賛辞を受けていいのだろうか。
「身に余ること!」。
胸が熱く熱くなる。
こんな喜びが、
ブログ継続に確かな力を与えてくれた。
懲りることなく、私を語り続ける!
⑶ 民生委員の任期が11月で切り替えになる。
私の自治会からは4名中2名が退任に決まった。
従って、民生委員を新たに2名、
自治会から推薦しなければならない。
様々な声を聞き、この方に是非お願いしようとご自宅を訪ねた。
2度目にお邪魔すると、ゆっくりお話を伺いたいと居間に案内された。
私の知る限りだが、民生委員の役割や活動内容をお話した。
聞きながらその重責を感じ迷っておられたが、突然尋ねられた。
「会長さんは、今のお役目のお話しがあった時、
どうしてお引き受けになられたのですか?」。
曖昧な返事をしてはいけないと思った。
「変な言い方かもしれません。
どんな頼まれごとでも、降りかかった火の粉は払わない。
火の粉は変ですね。
私でも頑張ればできそうなら、断らない。
そう決めて、今までずっと過ごして来ました。
そうやってここまできて、間違っていなかったと思ったので、
会長をお受けしたのが正直なところです」。
その後も、雑談を交えながら、
長い時間をかけ、説得を続けた。
そして、民生委員への推薦に応じてくださった。
その承諾書に押印しながら、
「私も、降りかかった火の粉を払わないことにしました。
よろしくお願いします」。
明るい表情だった。
帰宅の道々、
私は何かを確かめるように、同じ言葉を小さく声にした。
「降りかかった火の粉は払わない!」
自治会の総会が迫っていた。
会長の再任が提案され、選任される運びになっていた。
実のところ、精神的にも体力的にもこれからの2年間は、
厳しいと感じていた。
喜寿の本心は、ずっとさ迷っていた。
だから、もう一度、
「降りかかった火・・・・!」
と、想いを込めて私につぶやいた。

水辺の ミズバショウ
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