ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

先 日 桜 道 に て

2023-04-01 10:51:16 | 思い
 ▼ この地に居を構えたのは、2012年6月だ。
指を折って何度数えても、それから11回目の春になる。
 64才だった私は、とうとう75才になろうとしている。

 当初は、毎日欠かさなかったジョギングも、
膝のケガもあって、今は月2,3回止まり。
 マラソン大会へのエントリーなんて、
「夢のまた夢」になった。
 
 そして、家内との会話に至っては、
「あれ、どこに置いたっけ?」
 「あれって、なに?」
「あれさ、さっき使っていたあれ」
 「あっ、あれね。そのへんで見たけど」
「そのへんって、どのへん?」。
 リアルに老化が始まっている。
人ごとのように笑ってなんかいられない。

 ▼ それどころか、老け込んでいられないことが始まる。
まずは、移住を決めた時の長男とのやりとりから書き始める。

 「もともと北海道の人だから、
東京に執着心がないことは、僕ら2人(長男と二男)とは違う。
 でも、今更、わざわざと思うけど・・・」

 「そう思うのは 当然だよ。
だけどね、ここにいると退職した後の自分の先々が分かるんだ。
 きっとこんなことをして、こんなことがあって、
こんなことを思って、こんなことをするだろう。
 この先がだいたい想像できるんだ。
それを変えようとしても、さほど期待できない。
 つまらないんだよね」。

 「だから、ここを離れるっていうこと!?
別のところで暮らしたら、なにか違う先があるかもって!
 それを期待しているの?」。

 「そんな感じ。
知人も友人もいない土地で、
どんな生き方ができるのか、見当もつかない。
 何をしようとするのか、何に目が向くのか、
想像もできない。
 どんなプランも今は描けない。
先々どうなるか、何も分からない。
 だから、このままここで暮らすより、断然惹かれるんだ。
もしかしたら、とんだ期待外れになるかも知れないけれど、
でも・・・」。

 やや呆れ顔になっていたが、
長男は最後まで私の話に付き合ってくれた。

 ▼ それから11回目の春が来た。
先日、東京に1週間程滞在した時だ。
 早咲きの「高遠コヒガン桜」が満開を迎えた
世田谷区の蘆花恒春園まで、長男が案内してくれた。

 その桜道を歩きながら長男に、
機会をみて話そうと思っていたことを口にした。
 「4月から、地元の自治会長をやることになったんだ」。

 一瞬、間をおいて長男は、桜を見上げながら、
「10年が過ぎて、自治会長か。
 やはり、どこへ行っても変わらなかったのと違う?
こっちにいても同じようなことをしていたんじゃない!」。

 何かで後頭部を一撃されたような、強い衝撃だった。
思わず「そうかも!」と言いながら、
この10年が脳裏をかけ巡った。

 そして、
「自らの意思で、自治会長への階段を上った覚えはないけどなあ・・」
と言い、ゆっくりと歩を進めながら、この10年を語った。

 ▼ 高速道の有珠山サービスエリアからは、
伊達の市街地が一望できた。
 初めてその高台に立った時の景色は、
ここを終の棲家にしてもいいと思わせるものだった。
 それから2年をかけ、転居した。

 新しい環境は、刺激的だった。
四季の移ろいに、毎日心を奪われた。 
 人とのつながりも、少しずつ広がった

 そして、6年前の春、
私1人の午後に、インターホンが鳴った。
 私たちをパークゴルフの会へ仲間入りさせてくれた方だった。

 「自治会の総務をお願いできないか」と頭を下げられた。
急のことで、お断りする適当な理由が思いつかなかった。 
 2年間、総務の任を引き受けた。
 
 その仕事の合間に、
3・11の夜に校長として帰宅難民の避難所を、
切り盛りした経験を口にした。 
 そんな経験があるならと、防災の仕事が舞い込んできた。

 4年前、「自治会の防災リーダーに」と電話がきた。
「他に適任者がいないから」と言われ、拒めなかった。

 そして2年前、長年自治会副会長を務めた方が、
高齢のため退任することに・・・。
 私に「副会長を」と自宅までやってきた。
防災の仕事を理由にためらった。
 「私はもうできない。今後はあなたに」。
ついに押し切られた。

 そして、今春だ。
会長が、体調不安のため退くことになった。
 会長を続けることに家族が同意しなかったようだ。
「私の次は、あんたがやることに決まっているから」。
 それ一辺倒だった。

 ▼ 長い長い私の話だった。
それを聞き終えた長男は静かに言った。

 「そんな展開は、特別なことじゃないよ。
伊達でなくても、ありえたことでしょう。
 そう思って、やるしかないよね」。

 人により励まし方も様々だ。
我が子らしさが、じわりと染みた。

  
 

      麦畑だけは 青々 

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