住まいの自治会か呼びかけて、
『もっと身近に伊達日赤!』と言う地域懇談会があった。
私も役員の1人として参加した。
伊達赤十字病院は、市内にある唯一の総合病院である。
この病院が、昨年度から市民の声を直接伺いたいと、
各自治会へ懇談会を呼びかけた。
懇談会のねらいや意義について、
役員の中で様々な憶測がとんだ。
その多くは、「病院の信頼回復」・「立て直し策」
ではなかろうかと言う。
確かに『伊達日赤病院』については、
ご近所からもいい評判が聞こえてこない。
つい先日、最近体調が優れないと言う方と立ち話をした。
通院先は、『日赤』だと言う。
何種類もの薬を処方され、
それを飲み続けても良くならない。
そこで、予約診察の時に、担当医に遠慮がちに尋ねた。
「このままの薬でいいんでしょうか。
何か別の薬の方がいいのではないでしょうか。」
すると、その医師からの返事がこうだった。
「貴方の症状を診て、これでいいと思って出した薬です。
病気を治すのは私ですよ。」
まさに、「医者の言う通りにしていろ。」
そんな言い方だったと言う。
それを聞いて、私は言った。
「何か、ひどくない?」。
「でもね、仕方ないよ。
何かあった時には、近くの病院の方がいいから・・。
だまって、薬を飲み続けるさ。」
「しょうがないか・・・。」
医師の対応は不快だったが、
小さな町の医療の現実を知った思いがした。
これに類似した声は、他にも時々聞こえてくる。
それは当然、病院関係者の耳にも入っているだろう。
だからこその地域懇談会だと私も理解した。
夜7時からだったが、病院関係者6名がやってきた。
こちらの参加者の少なさに、ちょっと赤面した。
挨拶や職員紹介の後、
約20分をかけてパワーポイントを使って、
病院の概要と医療活動について説明があった。
さすが日本赤十字社の病院である。
各地での大災害では、
いち早く救護班を編成して駆けつけていた。
そんなスタッフがいることに、
頼もしさと心強さを感じた。
しかしだ。
冒頭に報告されたのは、圧倒的な医師不足だった。
同程度の病床数を持つ室蘭市内の病院には、
63名の医師がいた。
それに対し『日赤』は、わずか26名しかいない。
報告では、「医師が定着しない原因」をいくつか羅列していた。
「地元ではないから」「家族の問題(子どもの進学、単身赴任)」
「自分の専門領域の研鑽のため」
「1人当たりの業務負担、責任の大きさ」
「当直が多い」「供与などの待遇面」
「田舎より都会が良い」「噂が広まりやすく、窮屈」。
聞きながら、病院の規模からすると、
倍の医師が必要なところで勤務する大変さを想像した。
上記の理由を挙げて、他地域の病院へ行くことを、
非難できないと感じた。
その上、『日赤』への否定的な声の色々も、
きっと医師にも聞こえているはずだ。
しかし、地元の総合病院に私たちは寄り添いたい。
いざという時に、頼れる病院であってほしい。
全てを信頼してベットに横になりたい。
『日赤』への期待感は、大きいのだ。
だがら、懇談会では1利用者として、
いくつかの意見・要望が参加者から述べられた。
その多くは、医師をはじめとした病院スタッフの対応への不満だった。
その声に対し、出席した職員から1つ1つに回答があった。
私は、しばしばその回答に首を傾げた。
若干正確性には欠けるが、そのおおよそを記す。
患者への対応の悪い医師がいた。
何度も上部から注意を促した。
でも、改善が見られなかった。
だから、「その先生には、辞めてもらいました。
医師は不足しますが、どうにもなりませんでした。」
診察室や病室のドアを音をたてて締める看護師がいて、
よく患者さんから苦情があった。
「なのでその都度、気をつけるように言うんです。
でも、言われたときだけで、また元にもどってしまうんです。」
「苦情や要望があると、
その都度、病院長や副院長、看護師長など上部へ報告し、
指示を頂くようにしています。」
抜かりなく1つ1つしっかりと対応していると言う。
「それでも、なかなか改善しない。」
そんな胸の内が垣間見えた。
同情と一緒にエールを送りたくなった。
医師、看護師等、職員総数460人越える総合病院と
教員と職員等、わずか50人余りの小学校では、
すべてにわたって大違いだ。
しかし、公的機関に寄せる期待感は同じだ。
私が着任したどの小学校も、
保護者や地域住民から不動の信頼を得ていたわけではない。
中には、苦情が絶えず、教員の転出入の多い学校もあった。
そんな学校の最大の相違点は、教職員が一枚岩かどうかだ。
平易な言い方すると、
「子どもを大切にした教育を、
全教職員が力を合わせて取り組んでいるかどうか。」
そのことが、大きな分岐点だった。
ある学校では、教員がいくつかのセクトに分かれていた。
一方のミスを大きく取り上げ、非難した。
その応酬をよくしていた。
私は、ほとほと呆れた。
またある学校では、
職員会でも朝会でも誰も発言などしなかった。
一人一人がバラバラ、勝手に1人で子どもと対応していた。
助け合ったり協力し合ったり、そんな気運などなかった。
そんな学校では、
どんな人でも自分を解放することなどできない。
私もどこか萎縮しながら過ごしていた。
ミスを恐れたり、
多くの思考が自己防衛に向けられたりするのみだった。
それに比べ、相手の考えに耳を傾け、意見の違いを認め合う。
そして、共通項を見つけ出す努力をする。
時には相手の言動を受容し、
不足部分を補い合いながら、共に進む。
そんな環境であれば、素直に自分を表し、
困難にも立ち向かおうとする。
支え合える関係なら、
いつも補ってもらうだけの自分から、自ら脱皮しようする。
長々と自論をくり返した。
排他的集団ではなく、親和的集団こそが、
みんなの力を集結できるのである。
そんな環境を作ることが、人を変え、学校を変えた。
病院とて同じではなかろうか。
上意下達や、注意喚起のくり返しでは、何も変わらない。
懇談会が終わりに近づいたころ、思い切って手を挙げた。
数年前の経験を話した。
「初診だったからか、随分と待たされました。
私が診察室に入ってまもなく、
正午を告げるチャイムがなりました。
すると、看護師さんが鞄を肩にかけ、黙って退室しました。
まだ、私は先生の診察を受けていたんです。
若い先生でしたが、1人でその後の診療予定や薬の処方など、
事細かに説明し、診察が終わりました。
後5分、どうして看護師さんはいないのだろう。
違和感を持ちました。
それ以上に、この若い先生が気の毒にと思いました。
だからかどうか、次の年、その先生はいませんでした。
1患者の推測です。
参考までにと思い、話しました。」
ついに スイセンの芽が ヤッター!
『もっと身近に伊達日赤!』と言う地域懇談会があった。
私も役員の1人として参加した。
伊達赤十字病院は、市内にある唯一の総合病院である。
この病院が、昨年度から市民の声を直接伺いたいと、
各自治会へ懇談会を呼びかけた。
懇談会のねらいや意義について、
役員の中で様々な憶測がとんだ。
その多くは、「病院の信頼回復」・「立て直し策」
ではなかろうかと言う。
確かに『伊達日赤病院』については、
ご近所からもいい評判が聞こえてこない。
つい先日、最近体調が優れないと言う方と立ち話をした。
通院先は、『日赤』だと言う。
何種類もの薬を処方され、
それを飲み続けても良くならない。
そこで、予約診察の時に、担当医に遠慮がちに尋ねた。
「このままの薬でいいんでしょうか。
何か別の薬の方がいいのではないでしょうか。」
すると、その医師からの返事がこうだった。
「貴方の症状を診て、これでいいと思って出した薬です。
病気を治すのは私ですよ。」
まさに、「医者の言う通りにしていろ。」
そんな言い方だったと言う。
それを聞いて、私は言った。
「何か、ひどくない?」。
「でもね、仕方ないよ。
何かあった時には、近くの病院の方がいいから・・。
だまって、薬を飲み続けるさ。」
「しょうがないか・・・。」
医師の対応は不快だったが、
小さな町の医療の現実を知った思いがした。
これに類似した声は、他にも時々聞こえてくる。
それは当然、病院関係者の耳にも入っているだろう。
だからこその地域懇談会だと私も理解した。
夜7時からだったが、病院関係者6名がやってきた。
こちらの参加者の少なさに、ちょっと赤面した。
挨拶や職員紹介の後、
約20分をかけてパワーポイントを使って、
病院の概要と医療活動について説明があった。
さすが日本赤十字社の病院である。
各地での大災害では、
いち早く救護班を編成して駆けつけていた。
そんなスタッフがいることに、
頼もしさと心強さを感じた。
しかしだ。
冒頭に報告されたのは、圧倒的な医師不足だった。
同程度の病床数を持つ室蘭市内の病院には、
63名の医師がいた。
それに対し『日赤』は、わずか26名しかいない。
報告では、「医師が定着しない原因」をいくつか羅列していた。
「地元ではないから」「家族の問題(子どもの進学、単身赴任)」
「自分の専門領域の研鑽のため」
「1人当たりの業務負担、責任の大きさ」
「当直が多い」「供与などの待遇面」
「田舎より都会が良い」「噂が広まりやすく、窮屈」。
聞きながら、病院の規模からすると、
倍の医師が必要なところで勤務する大変さを想像した。
上記の理由を挙げて、他地域の病院へ行くことを、
非難できないと感じた。
その上、『日赤』への否定的な声の色々も、
きっと医師にも聞こえているはずだ。
しかし、地元の総合病院に私たちは寄り添いたい。
いざという時に、頼れる病院であってほしい。
全てを信頼してベットに横になりたい。
『日赤』への期待感は、大きいのだ。
だがら、懇談会では1利用者として、
いくつかの意見・要望が参加者から述べられた。
その多くは、医師をはじめとした病院スタッフの対応への不満だった。
その声に対し、出席した職員から1つ1つに回答があった。
私は、しばしばその回答に首を傾げた。
若干正確性には欠けるが、そのおおよそを記す。
患者への対応の悪い医師がいた。
何度も上部から注意を促した。
でも、改善が見られなかった。
だから、「その先生には、辞めてもらいました。
医師は不足しますが、どうにもなりませんでした。」
診察室や病室のドアを音をたてて締める看護師がいて、
よく患者さんから苦情があった。
「なのでその都度、気をつけるように言うんです。
でも、言われたときだけで、また元にもどってしまうんです。」
「苦情や要望があると、
その都度、病院長や副院長、看護師長など上部へ報告し、
指示を頂くようにしています。」
抜かりなく1つ1つしっかりと対応していると言う。
「それでも、なかなか改善しない。」
そんな胸の内が垣間見えた。
同情と一緒にエールを送りたくなった。
医師、看護師等、職員総数460人越える総合病院と
教員と職員等、わずか50人余りの小学校では、
すべてにわたって大違いだ。
しかし、公的機関に寄せる期待感は同じだ。
私が着任したどの小学校も、
保護者や地域住民から不動の信頼を得ていたわけではない。
中には、苦情が絶えず、教員の転出入の多い学校もあった。
そんな学校の最大の相違点は、教職員が一枚岩かどうかだ。
平易な言い方すると、
「子どもを大切にした教育を、
全教職員が力を合わせて取り組んでいるかどうか。」
そのことが、大きな分岐点だった。
ある学校では、教員がいくつかのセクトに分かれていた。
一方のミスを大きく取り上げ、非難した。
その応酬をよくしていた。
私は、ほとほと呆れた。
またある学校では、
職員会でも朝会でも誰も発言などしなかった。
一人一人がバラバラ、勝手に1人で子どもと対応していた。
助け合ったり協力し合ったり、そんな気運などなかった。
そんな学校では、
どんな人でも自分を解放することなどできない。
私もどこか萎縮しながら過ごしていた。
ミスを恐れたり、
多くの思考が自己防衛に向けられたりするのみだった。
それに比べ、相手の考えに耳を傾け、意見の違いを認め合う。
そして、共通項を見つけ出す努力をする。
時には相手の言動を受容し、
不足部分を補い合いながら、共に進む。
そんな環境であれば、素直に自分を表し、
困難にも立ち向かおうとする。
支え合える関係なら、
いつも補ってもらうだけの自分から、自ら脱皮しようする。
長々と自論をくり返した。
排他的集団ではなく、親和的集団こそが、
みんなの力を集結できるのである。
そんな環境を作ることが、人を変え、学校を変えた。
病院とて同じではなかろうか。
上意下達や、注意喚起のくり返しでは、何も変わらない。
懇談会が終わりに近づいたころ、思い切って手を挙げた。
数年前の経験を話した。
「初診だったからか、随分と待たされました。
私が診察室に入ってまもなく、
正午を告げるチャイムがなりました。
すると、看護師さんが鞄を肩にかけ、黙って退室しました。
まだ、私は先生の診察を受けていたんです。
若い先生でしたが、1人でその後の診療予定や薬の処方など、
事細かに説明し、診察が終わりました。
後5分、どうして看護師さんはいないのだろう。
違和感を持ちました。
それ以上に、この若い先生が気の毒にと思いました。
だからかどうか、次の年、その先生はいませんでした。
1患者の推測です。
参考までにと思い、話しました。」
ついに スイセンの芽が ヤッター!
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