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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ユルリ島に想う

2015-03-13 19:39:19 | 北の大地
 道東は根室半島のつけ根付近、太平洋沿岸に無人の小島がある。
ユルリ島と言う。
『ユルリ』とは、アイヌ語で「鵜の居る島」という意味らしい。

 その名の通りで、この島は、
絶滅危惧種のエトピリカをはじめ、国内有数の北方系海鳥の営巣地であり、
現在は、国指定の鳥獣保護区ならびに北海道指定の天然記念物となっている。
そのため、一般人の立ち入りは禁止されている。

 戦後のことになるが、周囲約8キロの断崖に囲まれた平坦な台地状のこの島には、
地元でもさほど注目されることのなかった歴史がある。

 この島の周辺海域では、昆布漁が盛んだった。
まだエンジン付きの船ではなかった終戦まもない頃、
漁業者たちは、ユルリ島の崖上の平地を昆布の干し場にした。
そして、昭和26,7年頃、昆布を引き上げる労力として、
この島に馬が運び込まれた。
 島には、多い時期には6軒の番屋ができ、夏だけ漁業者が定住していた。

 ところが、昭和40年代にエンジン付き船舶が出回り、
昆布の干し場としての島の役割は薄れていった。
当然、労力としての馬の必要性も無くなっていった。

 とうとう昭和46年、最後の漁業者が島を去った。
北海道本土に、馬を放牧する土地を持たなかった漁業者は、
そのまま島に馬を残すことにした。
 島には、馬のエサとなるミヤコザサなど豊富な食草が生い茂っており、
中央部には湿原もあった。いくつかの小川も流れていた。
 冬は、強い風で深い雪にはならなかったが、
それでも馬たちは前足で雪を掘り、草を食んだ。

 島はその後、馬の生産を目的とする自然放牧地へと用途を変えた。
近親交配による馬の絶滅を防ぐために、
雄馬を間引きし、種雄馬の交換なども行った。
 多いときには、約30頭がいたようだが、
一切人間がエサを与えることはなく、馬は野生化していった。

 そして、平成18年、かつて島に住んでいた漁業者が高齢となり、
馬の繁殖を断念した。
 その時、18頭が生息していたが、その内4頭の種雄馬が間引きされ、
14頭の雌馬だけが島に残されることになった。

 雄馬のいなくなったユルリ島で、
新しい子馬が産まれることは永遠になくなった。
 
 この事実に興味を持った新進気鋭の写真家・岡田敦さんが、
何度も断られながらも熱意が実り、
根室市から上陸許可を受け、島に上がった。

島には平成23年8月12頭、25年8月10頭、
そして、昨年2月には6頭の生存が確認された。
それから1年、今、何頭生き続けているのか、私に知る術はない。

 私が、ユルリ島のこんな歴史を知ったのは昨年4月のことだった。
地元のテレビと新聞でこの報道に接した。

 特に新聞記事の
『強風が吹き付ける北の小島に残され、
やがては消滅を運命づけられた雌馬たち。』
の一文に、胸をつまらせ、涙で文字がにじんだ。
切なさが、ずうっと心から離れなかった。

 しかし、この雌馬たちを撮り続ける岡田氏は、
「家畜であれば、人間に役割を与えられ、それぞれの価値が決まる。
ここの馬は自由に生きて幸せなのかなあ、と。
『生きる』ということを考えさせられる。」
と、言う。

 いつも人間の都合で振り回されたユルリ島の馬たち。
私は、その馬への扱いに異議を唱えるつもりなど毛頭ない。
 様々な時代の宿命の中で人々も馬たちも生きている。
そのことを淡々と受け止めたいと思う。

 そして、なによりも、あの日、14頭の雌馬を残し、
島を去った年老いた漁業者の後ろ姿を私は想像する。
 きっと、その背中はいつまでもいつまでも震えていたのではないだろうか。




少しずつ 伊達にも 春の足音が 
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滝越え

2014-09-09 22:41:40 | 北の大地
 知床半島の付け根付近を流れる斜里川に、
『さくらの滝』と呼ばれる名所がある。
 私はまだ行ったことがないが、
「熊が出没する恐れがあるので注意するように」
と、観光案内にはある。

 この滝は、平成14年に一般公募によって命名されたが、
春には桜が咲き、
6月から8月にかけてサクラマスが
3、4メートルの高さの滝を越えるため
ジャンプを見せてくれることからついた名だとか。

 サクラマスは、渓流の女王と言われるヤマメが海に下り、
30㎝から70㎝位に大きく成長して
生まれ故郷の川に戻ってくるもので、
『さくらの滝』のような大きな滝をジャンプするのは、
世界的にも珍しいのだそうだ。

 時々、家内と一緒にスーパーに出向くが、
その折りにサクラマスを半身にしたものが並んでおり、
地元の方はともかく、私には大変物珍しく、しばらく足を止めた程だったが、
日本海と北日本の河川でその遡上が見られるようだ。

 『さくらの滝』には例年約3000匹が遡上するのだが、
力強さとタイミング、それに運を味方につけ、
滝越えに成功するのはわずか1割程度だと聞いた。

 私は、この成功率に何よりもまず驚いた。
そして、遠慮なく流れ落ちる大滝に
果敢に挑戦し続けるサクラマスの生きざまに、
せつなさと共に、
なんとしても諦めずに生き抜こうとするその強さに惹かれた。

 よく夢は持ち続ければ叶うと言う。
しかし、『さくらの滝』に挑む多くのサクラマスにそれは通用しない。
それが、偽りのない自然界の姿なんだと思う。

 自然界の厳しい掟のようなもの、
それはこの地に移り住んで、たびたび教えられる。

 サクラマスのチャレンジ、私は、また励まされている。




伊達市内を流れる気門別川
 
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新しい刺激

2014-07-24 23:05:52 | 北の大地
 昨日の昼下がり、家内と一緒に花壇に立っていたところ、
ご近所の奥さんが仕事帰りのような出で立ちで通りかかった。
 雨上がりの天気だったので、
「いい天気になりましたね。」
と、声をかけた。
 「そうですね。」と明るい返事の後、
「きゅうりあるよ。いつもどうしてるの?買ってるの?少しあげるね。」
と、おもむろにエコバックのような袋から、
4,5本のきゅうりを取り出し渡してくれた。

 伊達に来てから、よく野菜や魚をご近所からいただくが、
それにしても私が驚いたのは、
「いつもどうしてる?買ってるの?」
の言葉である。
 今までの私の基準は、
食べ物は当然買う物であり、きゅうりだって買い求めるものである。
それが、いつも買うのか?の問いなのである。
私にとって驚きの一場面だった。

 40年の首都圏での生活に馴染んでいた私にとって、
北の大地での暮らしは、
時として、新鮮な驚きにめぐり合わせてくれる。
それは私にとって新しい刺激になっている。

 今年春先の出来事もその一つだった。

 今年5月12日、
JR北海道の江差線の木古内と江差の間42、1キロが廃線になった。
 長年、その線を利用してきた地元の人にとっては前日11日は、
最後の列車が通る日となった。
 その日、北海道のメディアは、
江差線との別れを惜しむ人々の様子を数多く報道した。

 その一場面を私は鮮明に覚えている。
 お別れ列車が通った後、マイクを向けられた地元の女性が、
 「蛍の光、流れたしょ。涙、出たわ。」
と、言ったのである。

 この声を聞いた当初、私は思わず苦笑していた。
 最後の列車が通り過ぎ、様々な思いが蘇り涙する。
それが一般的な感覚ではないのか。
それなのに『蛍の光』を聞いて、初めて涙が出る。
あまりにもデリカシーがないのでは・・・、
と、思い若干苦々しく思ったのである。

 しかし、私は何故かこのワンシーンが忘れられなかった。

 そして、最近気づいたのである。笑わないでほしい。

 廃線という事実をしっかりと受け止め、
変わっていくこれから暮らしを力強く歩もうとする人にとって、
この日、涙は不要だった。
なのに予期しなかった『蛍の光』だった。
悲しみがこみ上げ、涙がこぼれてしまった。
それが、あの言葉だったのだ。

 そこに、極寒の地で生き抜いている女性の逞しさを垣間見た。
 また一つ私はつぶやく、『かなわない!』と



伊達のビュースポット<有珠山と昭和新山>
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