キョロキョロ散歩の雑記帳

あちらこちらの里山や緑地公園・史跡を探訪しながらキョロキョロ歩き回って思いつくまま記します。

馬篭~中津川

2011-11-09 15:21:29 | 知識

9日中山道馬篭~中津川のウオーキング行ってきました。

先日足の具合が悪く心配でしたがインソール交換が正解。無事歩きとおせました。結局医者にはゆかず。

JR金山駅8時自合流。8時11分の中津川行き快速に乗車。運よく座席確保。約1時間電車の旅。

中津川駅前から馬篭行きバスに乗車。

30分ほどで馬篭着。

この写真の右へ行くと馬篭の宿場町へ出る。我々は左へ。すでに刈り入れが終わった田圃の向こうに恵那山が見える。直に集落に出るが人の気配なし。民家のに気には干し柿が整然と干してある。

集落の中ほどまで来ると右手に丸山城跡の説明板。

左前には諏訪神社。

この神社は長い杉並木(ヒノキ?)の参道の先に鎮座していた。いかにも鎮守の森というたたずまいだ。

参道入り口の脇に石碑あり。読めないが立て看板あり。島崎藤村の父島崎正樹の記念碑とあり小説夜明け前の主人公青山半蔵は正樹がモデル。記念碑が建てられた説明碑なのか。

家並がまばらとなってくるが、昔の佇まいの家に昔の看板。よく似合う。

この駕籠は馬篭という地名のいわれを説明する小道具。駕籠の隣に説明板。

この集落でも昔は宿をしていた家が結構あったようだ。

集落も途切れ開けた場所に出る。サンセットポイントと展望台。ここからは中津川を一望。山の稜線もはっきりとして気持ちいい。地元の方が植栽の手入れをしていた。声をかけると、ボランティアのようなものとのこと。きっといつも手入れしているのだろう。

この先に一里塚の碑、これより木曽路の碑、昔の木曽と美濃の国境の石などが一か所に集まっている。「これより北は木曽路」の文字は藤村書らしい。

   

中山道を歩いている気分十分味わう。これを過ぎるといよいよ石畳の道。TVドラマの舞台にもなったようだ。

 

石畳は歩きにくい。下から一人登ってくる。挨拶ついでに行き先尋ねると南木曽まで行くと。

中津川ー南木曽約22キロ。アップダウンを考えると脱帽。

石畳も終わりのんびりした集落に出る。無住の寺を覗いて落合宿に向かう。車道に出る手前に道祖神が道傍で見送ってくれる。

落合宿の公園で昼食休憩。

中津川から登ってきた旅人一人挨拶。滋賀の方で中山道を踏破するつもりといっていた。

中津川に向かう。またまた男女2人と女人1人とすれ違う。中津川から馬篭方向のほうが上りがきついのにみんな健脚。

すぐに壁のような急坂。喘ぎ喘ぎ、地面を見ながら上がってゆく。

ようやくのことで平地に出る。そこに案内で与坂立場とある。

立場とは以下参照。

http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%AB%8B%E5%A0%B4

立場からしばらく森の中。石垣に囲まれた一角に出る。

御嶽教の霊地のようで多くの石碑(霊神)が多く建立されている。だいぶ先に槙坂覚明霊地保存協会と書いた案内標識があった。

すぐ近くに神明神社があった。普通神明社だがここは神社だ。境内の領域も大きく石鳥居の先の石段を登ると小さな祠が鎮座。

  

祠にしては屋根には千木鰹木が乗っている。この神社はこの村にとって特別なもののようだ。鳥居前に社務所のような建物あり。悠仁様の誕生祝いの垂れ幕がかかっていた。

道草ばかりしている。少し急ごうと言うそばからまたまた子野の地蔵堂石仏群に出る。集落のそこだけが土盛りされたような一角に石仏が固まっていた。

いよいよ中津川宿真近になってきた。民家も多くなる。民家の間に尾州白木改番所跡の碑があった。

尾張藩の木曽材に対する厳しい状況が分かる。

赤い鳥居が見えてきた。稲荷神社と思いお参りだけしてと立ち寄ると、祭壇が囲いの中に鎮座しており立派な拝殿が治まっていた。

この稲荷神社の裏手にお寺があり臨済宗。

境内に千体地蔵堂があり、扉があいたので中をパチリ。

いよいよ中津川市中心へ。国道を渡り階段を下りると高札場。

隣に聞きなれない二十三夜塔という石碑。意味はネットで。

http://www.harasangyo.co.jp/reader/file12.html

街中を散策して駅に出る。なんと名古屋行き快速電車が出るところ。

今日もよく歩いた。約11キロ強。立ち寄箇所多数。

このところ天候にも恵まれ最高。約7時間旅でした。

 

 

 


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