精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

セアロの道

2010-04-09 12:36:05 | 仏教
◆『セアロの道―ガユーナ・セアロ 人の道の教え』(知玄舎、2007年)

セアロは日本人であり、ミャンマー上座部仏教の僧侶である。実に不思議な人物で、その風貌は、写真を見ているだけで体の力が抜けていくような魅力がある。この人物については、数年前に『セアロ108の言葉』(知玄舎)を読んで知っていただけである。書店でセアロの評伝のようなこの本を見つけ、なつかしい思いがし、読みたくなった。

この本ではじめて、セアロがミャンマーの僧侶になったいきさつを知り、その不思議な話から、さらに興味を駆り立てられた。

セアロは1947年生まれの団塊世代。僧侶になる前は一流の料理人だったらしい。40歳半ばに転機が来る。観光でミャンマーの都市ヤンゴンを訪れた彼は、そのホテルで不思議な体験をする。部屋の床の下から一人の僧侶が湧き上がるように現れて、次のように言ったというのだ。

「もう一度来なさい。お布施をしなさい。そうするとすごい力が付いて、人気者になるよ」

そう告げて僧侶は消えた。セアロは、幻覚でも見たのだろうと思った。そのすぐ後、彼は知人の誘いでインドの聖者に会いにいった。そこでも不思議な体験をした。

インドから帰国するとすぐ、またミャンマー行きの話が持ち上がり、再びかの国を訪れる。聖地チャイティオの山頂の寺へ行くと、その寺の高僧が彼が来ることをなぜか知っており、「よく来たね。待っていたよ」と迎えられる。そして促されるままに得度の儀式をしたというのだ。

僧服のまま下山すると、合う人誰もが、彼にひざまづいて礼拝した。足が悪くてひひざまづけない人がいた。セアロがその人のために祈ると、歩けるようになってしまった。

こうして何とも不思議な経緯から僧侶になってしまったセアロは、やがて日本でも支持者も増え、日本でのお布施が溜まるとミャンマーにわたり、僧侶修行とともに孤児院や学校、子供たちのために必要な物資をとどける活動をする。今では、その活動が世界に広がっているという。

セアロは「いちおう」ミャンマーの僧侶であるが、その語るところは、およそ上座部仏教らしくない。「真我」という言葉もさかんに使われ、戒についても厳しいことを言わない。むしろ大乗的、インド的といってもよい。上座部仏教から見ると、いかがわしいといわれそうである。

にもかかわらず、その生き方が徹底的に無私であることは、すぐに分かる。「私」を捨てて人道支援に徹している姿が、人びとの魂の深いところ揺さぶるのだと思う。今後も、この人への関心を持ち続けていきたいと思う。

ガユーナ・セアロ 個人サイト        


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