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アンベードカルの生涯

2008-12-20 11:01:52 | インドとその哲学・思想
アンベードカルの生涯 (光文社新書) 

一読、ぐいぐいと引き込まれる。アンベードカルが不可触民の間でもある程度恵まれた家庭に育ったことは知らなかった。それでも以前他で読んだ記憶のある少年時代の差別は、きわめて強い印象を残す。不可触民であるがゆえに共同井戸の水を飲めず、喉の渇きに耐えかねてこっそり飲んでいるところを見つかり、あざだらけになるほど殴られる。学校でも、誰かが水をのどに流しこんでくれるのを待つほかない。教師たちは、穢れをきらい、面と向かって教えることも、質問することも拒否する。彼が黒板に近づくと、他の生徒は弁当が穢れないように他へ移す等々。

アンベードカルは、藩主バローダに見込まれアメリカに留学し、ついでイギリスに留学する。再度留学したときの限られた時間と費用の中での猛勉強の様子。時間と費用を節約するために昼食も抜いて、大英博物館館内の図書館に通い詰める。同胞の不可触民のためにと超人的な克己奮励するその姿。不可触民を「奴隷状態」から解放しようとするその意志の強さと、政治的な実行力。それでも愛する息子を失ったときには、迫害に対してはあれほど忍耐強かった彼が、深い苦悩に沈潜し、ほとんど死んだように眠る日々が続いたという。

第10章「ガンジーとの戦い」とそれに続く章は圧倒的である。アンベードカルは、ガンジーに向かって「私には祖国がありません」という。「‥‥犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるのでしょう。自尊心のある不可触民なら誰一人といてこの国を誇りに思うものはありません。」

その圧倒的なガンジーとの対決場面。これまでのガンジーの印象が一変してしまうようなその一言一言のやりとり。挙げればきりがないが、インド独立運動の影で、不可触民解放のためのこのような必死の努力がなされていたことに強い感銘を受ける。これまで現代インド史を見る眼がいかに浅薄なものだったかを痛感する。

不可触民が政治の場に参加することを願うアンベードカルの要求に対するガンジーの敵意は、インド各地の不可触民に大きな衝撃を与えたという。そのようなガンジーにアンベードカルは仮借のない攻撃を向けた。それは、強固な意志力をもったガンジーに限りない憤怒の念を生じさせ、その怒りを抑制するのにたいへんな努力を要したほどだった。

しかし、1932年のイギリス政府のコミュナル裁定に反対して行われたガンジーの「死に到る断食」は、アンベードカルを譲歩させ、指定カーストの第三勢力が政治の土俵に上がることを防ぐ結果となった。

ここに書かれているのは、あくまでもアンベードカル側からの記述であるから、ガンジーがそのとき置かれた状況を私なりに確認しないと何とも言えない。それにしてもガンジーを単純に「聖者」とみなすのではなく、不可触民の解放運動との関係をもっと調べる必要があることは十分に分かった。

通読してアンベードカルの巨人たるゆえんが、いやというほど分かった。6000万指定カーストは、アメリカの黒人よりも悲惨だった。その「穢れ」によって同じ井戸の水を飲むことも食事をともにすることも、カーストヒンドゥーの影を踏むことさえも禁じられたのだから。黒人は少なくとも白人の召使いではありえた。インドの不可触民は、2500年にわたって、世界のどの被抑圧民民よりも過酷な状況を耐え忍んできた。その2500年の暗黒の扉をこじ開けたのがアンベードカルだった。彼によってはじめて「不可触民の心の中に人間的尊厳の念と、自尊心、不可触民制への激しい憎しみが湧き起こったのだ。」

アンベードカルの『ブッダとそのダンマ』を読むのはもう少しあとになるだろう。「私は何故仏教を選んだのか。それは、他の宗教には見られない三つの原理が一体となって仏教にはあるからである。即ちその三原理とは、理性(迷信や超自然を否定する知性)、慈悲、平等である。これこそ人々がより良き幸せな人生を送るために必要とするものである。」

アンベードカルの理解する仏教は、きわめて知性的であり、それは「単に宗教であるばかりでなく社会的教理」でもある。

アンベードカルは30万の不可触民とともに仏教に改宗したという。そして今インドには1億人の仏教徒がいるという。どのような仏教が1億人の心をつかんだのだろうか。アンベードカルが説いたような理知的な仏教がそのように多くの人をとらえたのだろうか。インドに「再生」した仏教がどのように人々の心をとらえていったのか、きわめて興味のあるところだ。


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