精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

自己喪失の体験(バーナデット・ロバーツ)

2010-05-03 10:05:51 | さとり・覚醒
◆『自己喪失の体験』バーナデット・ロバーツ(紀伊国屋書店)

バーナデット・ロバーツは、キリスト教徒だが、あきらかにここには、「自己」超越の体験が語られている。いっぱんに「自己」超越体験は、覚醒・至高体験の事例集からもわかるように、ほとんどは強烈な喜び、歓喜に満ちているが、 ロバーツの歩みは、歓喜と凍りつくような虚無、静寂、苦しみの体験が交差する。

自己を超えて覚醒へと至る道は、こんなにも大変なことなのか。 彼女は、自己を失ったあと「それ」に至るには虚無の通路を通らなければならなかったが、それは絶望も狂気も超えた通路だという。狂ったり絶望したりする自己はすでにないからである。

そんな虚無の通路を通って至りつくのは、

「自己がなくなれば事物を差別相において見る相対的な心も無くなって、『それ』だけが残るのです。それは時に非常に強烈にもなりますが、何か異常なものではなく、自然で平明なので、どこを見てもあるという意味でむしろ通常なのものなのです。」  

これは、何かしら禅者の心境に似ている。平常心!  

彼女の体験は、確かにこれまで読んできた覚醒体験の記録とは、かなり異質だ。が、その歩みの誠実な記録を読むと、体験のおどろくべき徹底性を感じる。根源的なところにたどり着いた人。  

ときに凍りつくような虚無を感じさせる歩みににもかかわらず、彼女の言葉には禅の根本に通底するもの、西田幾多郎や久松真一の言葉かと思うような表現が見られる。たとえば、

「旅が終わった後では、現在の瞬間に生きることしかできません。心はその瞬間に集中していて、過去や未来を顧慮することがないのです。そのために心はいつも一点の曇りなく晴れていて、既製の観念が何一つ入る余地もなく、観念が一瞬間から別の瞬間に持ち運ばれることも、他の観念と照合されることもないのです。要するに、考えるべきことはいつも目の前にあり、何を考えるか何を為すかに迷って停滞することがないのです。」  

これは、禅でいう即今即所、あるいは仏教思想の刹那滅そのものだ。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。