ハイル禅師語録

ハイル禅師語録で奇跡の開運

聖徳太子の子孫が滅亡した理由

2017年02月19日 | 教え
質問者:ハイル禅師 聖徳太子の子孫は 
なぜ滅びたのですか?

私:聖徳太子は特定の家柄や貴族などによる
門閥政治を防ぐために自分の子孫が根絶やし
になるような墓相にしたからであります

聖徳太子は 釈迦の前世記を存じており 
釈迦が前世でトラに身を捧げた様に 
自分も血族支配の門閥政治から脱却するために
優秀な自分の子孫が絶えるように仕向けました
これは 厨子の中に描かれております

聖徳太子が亡きあと 蘇我入鹿が人望の厚い
太子の息子の山背大兄王に戦を仕掛けたが
山背大兄王は 戦えば数で勝てたのである
だが多くの血が流れることを防ぐために 
太子の血族二十人余りで自決したのです

山背大兄王も徳の高い人物で父である太子の考え
をよく理解していました

太子が豪族の独占的な門閥政治を防ぐために
「冠位十二階」制度をつくり 家柄に関係なく
有能な者を政治家や役人に取り立てようとした
ことをです

当時は「和を以って尊子と為す」と言わねば
ならぬほど門閥がひどく 太子は人望のある
自分の子孫が権力を独占することを阻み 
息子もよく理解していたのです

太子は 真に日本を思うあまり 子孫が絶える
ようにしたのは 赤誠を示す為でした