辻井伸行のCDは2005年のショパン・コンクールでのライヴ音源が先に発売されているものの、これが公式としてのデビュー・アルバム。1枚目はクラシックの演目で、2枚目が自作曲を並べた構成になっている。
自作曲の中では “ ロックフェラーの天使の羽 ” が飛び抜けて素晴らしい(試聴はこちらで可能)。一昨年、NHKの『スタジオパークからこんにちは』に出演してこの曲を弾いた時は当アルバムよりも情熱を帯びていた気がするが、切々と歌い上げているこの収録版も哀感が胸に沁み渡る。ライナー・ノートに記載されている通り、深々と降り積もる雪の様子や天使の羽のオブジェに触れた彼の感動が直裁に伝わってきて、冬の夜に聴けば尚更感慨が深くなる事だろう。雪降る夜空一面に、あたかも私達1人1人が胸を泣かせながら両の手を仰いでいるかのように…。この曲を小学6年生で作曲したというのだから、彼の感性が如何に早くして人一倍豊かであったかが分かる。
3曲目の “ 花水木の咲く頃 ” は春特有の感傷さが匂っていて、別れと出会いの交錯、新たな始まりの中にあって幸福だけれどもちょっとした憂いも微香を差す、そうしたものが静々と流れている。レコーディングの前に彼が花水木に触れて香りを楽しんだ故に生まれた即興的な作品との事だが、こういうフレーズは嗅覚が鋭敏な者でないと湧き上って来ないだろう。
クラシックの曲目では “ スケルツォ第2番 ” や “ 英雄ポロネーズ ” 、“ メフィスト・ワルツ第1番 ” は淀みがない。一気呵成に最後まで聴かせる。盲目のピアニストという形容は、彼にはもはや不要だ。一方 “ 子守唄 ”や “ 亡き王女のためのパヴァーヌ ” & “ 水の戯れ ” では、もう少し弱いタッチを散りばめて弾いても良かったように思う。
総じて敢えて難を言えば、演奏が実直過ぎる。つまり、良い意味での遊びがないのだ。古今東西種々雑多なピアニストを聴いている者にとっては、その辺りの面白さが感じられないかもしれない。テクニックは圧倒的で申し分ないのだから、ファンとしてはそこから先をどう表現していくかに期待していきたいと思う(もしかしたら、彼にとってはライヴの方が実力を発揮できるのかもしれない)。
とかく音色が美しい。生演奏に触れたら、それがもっと伝わってくるだろう。演奏者の性格が演奏にそのまま反映されるという事が、十二分に再認識させられるデビュー・アルバムである。
クラシックの楽曲と自作曲、どちらも片手間にならないよう活動していくのはなかなか困難なのかもしれないが、彼の感性を余すところなく感受したい者としては今後もその両輪で活躍して欲しいと切に思う。
自作曲の中では “ ロックフェラーの天使の羽 ” が飛び抜けて素晴らしい(試聴はこちらで可能)。一昨年、NHKの『スタジオパークからこんにちは』に出演してこの曲を弾いた時は当アルバムよりも情熱を帯びていた気がするが、切々と歌い上げているこの収録版も哀感が胸に沁み渡る。ライナー・ノートに記載されている通り、深々と降り積もる雪の様子や天使の羽のオブジェに触れた彼の感動が直裁に伝わってきて、冬の夜に聴けば尚更感慨が深くなる事だろう。雪降る夜空一面に、あたかも私達1人1人が胸を泣かせながら両の手を仰いでいるかのように…。この曲を小学6年生で作曲したというのだから、彼の感性が如何に早くして人一倍豊かであったかが分かる。
3曲目の “ 花水木の咲く頃 ” は春特有の感傷さが匂っていて、別れと出会いの交錯、新たな始まりの中にあって幸福だけれどもちょっとした憂いも微香を差す、そうしたものが静々と流れている。レコーディングの前に彼が花水木に触れて香りを楽しんだ故に生まれた即興的な作品との事だが、こういうフレーズは嗅覚が鋭敏な者でないと湧き上って来ないだろう。
クラシックの曲目では “ スケルツォ第2番 ” や “ 英雄ポロネーズ ” 、“ メフィスト・ワルツ第1番 ” は淀みがない。一気呵成に最後まで聴かせる。盲目のピアニストという形容は、彼にはもはや不要だ。一方 “ 子守唄 ”や “ 亡き王女のためのパヴァーヌ ” & “ 水の戯れ ” では、もう少し弱いタッチを散りばめて弾いても良かったように思う。
総じて敢えて難を言えば、演奏が実直過ぎる。つまり、良い意味での遊びがないのだ。古今東西種々雑多なピアニストを聴いている者にとっては、その辺りの面白さが感じられないかもしれない。テクニックは圧倒的で申し分ないのだから、ファンとしてはそこから先をどう表現していくかに期待していきたいと思う(もしかしたら、彼にとってはライヴの方が実力を発揮できるのかもしれない)。
とかく音色が美しい。生演奏に触れたら、それがもっと伝わってくるだろう。演奏者の性格が演奏にそのまま反映されるという事が、十二分に再認識させられるデビュー・アルバムである。
クラシックの楽曲と自作曲、どちらも片手間にならないよう活動していくのはなかなか困難なのかもしれないが、彼の感性を余すところなく感受したい者としては今後もその両輪で活躍して欲しいと切に思う。