[プログラム]
シューマン : クライスレリアーナ 作品16
バッハ : 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
シェーンベルク : 6つの小さなピアノ曲 作品19
ショパン : 幻想曲 ヘ短調 作品49
ラフマニノフ : ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品36 (1931年・改訂版)
12年で24回のリサイタルを行うシリーズは、今回初めて聴きに行った。各回はプログラムに沿った色のイメージとそのコンセプトが明示されていて、この度の第4回は【濃青紺 : 意思のある幻想~幻想と現実~】と銘打たれたもの。小山実稚恵は、その色の衣装を纏って舞台に現れた。
座ったのはS席であったが、やはりオーチャード・ホールは音響がいまいち良くない。“ クライスレリアーナ ” やラフマニノフのソナタにおいて、パッセージの早い箇所で幾度も音が濁って届いたのは演奏者の不遜ではないだろう。
“ クライスレリアーナ ” は15年前に発売されているCDと基本的な解釈は同じように感じたが、タッチの柔らかさや、シューマンのクララに対する想いを湧き上がらせる演奏者自身の深みが随分と増していた。特にオイゼビウス的性格を持つ楽曲ではその場の時が止まるかと思われる程に瞑想的で、『想いを織り込む』という事を丹念に体現していたように思う。唯一残念だったのは、第7曲の中間部の繰り返しを飛ばしてしまった事。
バッハとショパンでは、作曲者に対する敬意が溢れていた。淀みなく紡ぎながらも作品の規模を一切損なわなかった前者と、揺蕩いつつ次第に香り立たせていった後者。とりわけショパンの、情熱的な主題を余すところなく経た後の、最後の音の解き放ち方は感動的だった。舞台の暗闇から浮かんだピアノの、その空間にいつまでも想いを保っておきたいという彼女ならではの慈しみを感じた。
休憩を挟んでからの、シェーンベルク以降の曲では1度も舞台から下がらずに演奏していたのには少し驚いた。シェーンベルクは6曲合わせても5分前後にしかならない(小さなピアノ曲どころか、文学で例えれば掌編とでも言うべき)作品ではあるが、後半3演目を続けて演奏したのには彼女なりの意図があるのだろう。とはいえ、そのシェーンベルクの曲は作品自体がどうにも興味深いものとして捉えられなかった。最後の第6曲は、マーラーを追悼するものであるそうだが…。
ライヴならではという点で一等秀でていたのは、ラフマニノフのソナタ。2001年にサントリー・ホールで1913年版を聴いたが、その時よりも圧巻だったかもしれない(CDで発売されているのも1913年の初版)。第1楽章と第3楽章における音の大饗、第2楽章の美しく静かな佇まい。楽想が『鐘』であるという事を、遺憾無く発揮していたのではないだろうか。
改めて実感したのは、小山実稚恵は1つ1つの音を非常に大切にするピアニストだという事。それも、ただ掌に包むように大切にするというのではなく、音の意思を十二分に尊重しているのが伝わってくる。プロの演奏者なら誰でもそうだろうが、彼女の場合はそれが一味違う。作曲家によって刻まれた意思を彼女の手(意思)によって浮かび上がらせながらも、双方が歩み寄っている趣を感じさせる卓越さとでも言ったら良いだろうか。そうした点においても、『意思のある幻想』が2時間の時を巡ったリサイタルであったと思う。
[アンコール]
ラフマニノフ : 前奏曲 変ホ長調 作品23-6
ラフマニノフ : 前奏曲 嬰ト短調 作品32-12
ラフマニノフ : 前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2