ネイチャーサロン by こうちフィールドミュージアム協会

 自然をより深く知ることの楽しさを,お茶会のような雰囲気で語り合いましょう.

こういう研究はちょっと・・・

2011-05-29 17:35:12 | 日記
 自由研究の例として,こういうテーマはどうでしょうという提案をしたいところであるが,それでは話がそこで終わってしまう.ここでは逆に,「こういうテーマはちょっと・・・」というネガティヴな話をします.


 アゲハチョウの例をあげたけれど,一般に昆虫の羽化は,かなり好まれている自由研究である.中でもセミの羽化を記載した研究は多い.
 近所の公園などで,土から出て来たばかりのセミの幼虫を見つける.それを自宅に持ち帰り木の枝などに止まらせる.やがて羽化が始まる.その一部始終を写真に収めてハイ一丁あがり.

 じつは教師の側から言うと,こういう研究はあまり好まれない.その理由のひとつは,子供がどこまで自分でやったのかが見えないことである.この見事な一連の写真を撮影したのは誰だろう,という「疑念」が持ち上がる.レンズの後ろにいたのは子供なのだろうか.それとも?
 セミの羽化に限らず,ストーリーが写真を中心に進められる「研究」に共通する問題である.それに親が多少とも関与することは,一概に悪いことではない.しかしそれも程度の問題である.発表内容の中に子供の姿が見えるように工夫する必要がある.

 セミの羽化が好まれないもう1つの理由は,あまりにお手軽だということ.セミの幼虫を見つけるという幸運に恵まれたとはいえ,わずか数時間で「自由研究」が完成するというのは,どうも後味が悪い.


 同様にお手軽な自由研究としては,「アリはどんなものに集まるか?」というテーマがある.砂糖,塩,その他何でも食物をいろいろ取りそろえてアリの巣の近くに置く.あとは時間経過とともに,それぞれの食物に集まっているアリの数を記録する.それで自由研究の完成.
 この研究があまり評価されない理由は,あまりにお手軽であること.それと,もう1つの理由は,アリが何を好むかを調べる理由が見えないこと.どうしてアリの嗜好性?が問題になるのだろう.ぜひこれを知りたいという緊急性があるのだろうか.

 たとえばアリを多少とも長期にわたり飼育しようという時には,餌として何が適切であるかを知る必要がある.その餌単独で,他に何も与えなくても,アリを長期にわたり飼育できる,というような結果が得られたとしたら,それは価値のある研究といえる.しかし単に「何を好むか?」「何に集まるか?」だけの研究では,あまりに付け焼き刃的である.何も思いつかないから,いちおう「やってみた」だけ,という印象を与えてしまう.

自由研究とは?

2011-05-19 20:23:39 | 日記
 「理科の自由研究」では何をするか? 正式の定義のようなものがあるのかどうかは知らない.しかし言葉通りに理解すれば良いのでしょう.
 つまり「理科」に関係する題材を,「研究」するのである.題材の選定とか方法は「自由」である.この3つのキーワード,すなわち理科,研究,自由,のうち,最も誤解が多いのは「研究」だ.

 「研究」は「勉強」ではない.「理科の自由研究をしなさい」と指示された場合,求められている行為は「理科の勉強」ではない.理科(つまり自然科学)の研究をしなさい,ということだ.
 「研究」と言われたら,何か大変なことをせねば,などと考えてはいけない.アゲハチョウが羽化をするのを観察したら,それは立派な研究です.もちろんアゲハチョウの羽化の概要は図鑑やインターネットで知ることができる.しかし大切なのは,自分の目で見て,自分が見たことを,自分のコトバで記録することだ.その時の気温とか時間などを記録しておけば,もっと良い.本によく出ているモンシロチョウやアゲハチョウでなくて,何か別のチョウであれば,もっと面白いかもしれない.

 理科という課目の最大の特徴は,「観察された事実」が最重視される点だ.どんな理論があろうとも,どんな偉い先生でも,事実を前にしたら頭を下げるしかない.その観察をした人が大学教授であろうと,小学生であろうと,事実は事実である.そのように,「観察された事実こそが大切なのだ」というのが,理科の基本であり,理科教育の出発点である.
 本やインターネットから知識を得るのは「勉強」.自分で観察したり実験するのが「研究」.本やインターネットも大切だけど,それが中心なのではなく,あくまで補足である.中心に置くべきは観察や実験である.「研究」とは,そういう意味です.

 いささか語弊があるけれど,いっそ次のように言い切ってしまったら,わかり易いのでないだろうか:
 「理科」の「研究」とは,机の前に座って物を読んだりというのではなく,手や体を使って何かをしなさいという意味です.

自由研究

2011-05-17 05:35:24 | 日記
 夏休みの宿題に「理科の自由研究」というのがある.いや,昔はあった.手近な人に聞いてみると「今もある」そうだから,そのつもりで話を進める.

 高知市では,小中学校の理科の先生たちが中心になって,「高知市小中学生科学展覧会」(子ども科学展覧会)というのが開かれる.年1回,1月下旬から2月上旬にかけて,「高知市子ども科学図書館」の3階に,小中学生の研究発表(ポスターや標本)や科学工作の作品が展示される.冬の行事である.しかし実際の観察や実験や工作などの作業は,夏休みに行なわれたものらしい.いわば夏休みの「理科の自由研究」の研究発表の場が,この「子ども科学展覧会」となっているようだ.

 私は過去に何度か,この「子ども科学展覧会」の審査員をやったことがある.その際にいろいろ感じたことがある.そういう記憶の断片をここに書いてみたい.小学生の子供をもつ父兄の方たちに読んでほしいと思う.たぶん理科の自由研究について,さまざまなヒントが得られるのでないか.そのように私は期待している.

 ただし,ここに書こうと思っていることは,あくまで「断片」である.必要充分な情報を筋道立てて提示するというのではない.この点はとりあえずお断りしておかねばならない.

追記.
 夏休みの話をなぜ今頃からするのかと言うと,ふと思いついたことを今から書き貯めておけば,夏休みに間に合うのでないかと思うからです.