武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

学びの心得_その7

2021年11月24日 | 武道の心
学びの心得の続編です。

このコーナーでは、大道塾の横須賀湘南支部で学ぶ方、もしくは学んでみたいと考えている方への、指導者からのご案内をおこなっています。


さて今回で、7回目になりますが、このあたりからは、ある一定以上の稽古を重ねておられる方へのご案内になります。


ちなみに、こうした「心得」としてご説明しているいろいろな言葉は、何の説明がなくとも、そうした心がけを、当たり前に実践できる稽古生の方がいるものです。

また技術的な分野においても、細かく説明をしなくとも、見よう見まねで、もしくは自分の感性に従って動作することで、とても効率的でうまい体の使い方ができる方もいるもので、そういう方は「天性の才能がある」と評価されるものです。

しかし物事の考え方や、特定の技の中での体の使い方などは、一つが理解できて実践できれば良いわけではなく、実に多くの物事の考え方や体の使い方を身に付ける必要があり、特定の考え方や、特定の体の使い方を身に付けていたとしても、自分の知らない、体験していない分野に関しては、自分の考え方や体の使い方を上手く処理できるかどうかは、才能のある方でも未知数です。

ある特定のスポーツの分野で偉大な活躍をした人でも、現役を引退した後に身を持ち崩し、人生において失敗をする方がいるものです。

社会的に評価される実力をつけて地位を得た方でも、プライベートの部分で人の道を外れた行いをすることで、世の中から蔑みの目で見られる、という方もおられます。

大道塾の試合の場では、突き蹴りで実力をつけても、試合の場ではいきなり組まれて、得意の打撃技を全く使えずに負けてしまうことがあり、逆に投げ技や寝技のみっちりと練習して試合に臨んでも、まったく組ませてもらえず、相手に近づくたびに遠間からの打撃を受けて、得意な組技を何も行使できずに、一方的に突き蹴りで撃たれ続けて負けてしまうということがあるものです。

打撃は得意でも組技や寝技が苦手で嫌いな人の中には、相手の打撃の実力を馬鹿にする人がおり、逆に打撃が嫌いな人の中には、結局最終的に組み合ったら俺のほうが強いんだ、とばかりに、相手を評価しない人がいたりしますが、自分の苦手分野には謙虚に学ぶ姿勢を持ち、得意分野においては、無用に威張らずに、学ぶべき初級者や苦手な方への説明を施して、共に学びあっていくという姿勢を大切にすべきなのです。


稽古の中である程度の才能や実力があったとしても、自分の実力の自慢ばかりして、他の道場生に思いやりを示すことができなければ、他の稽古生の信頼を得ることができずに、道場の中で自分の居場所を失い、結局、道場を去ることになることでしょう。


また、最初は謙虚に話を聞いていた人でも、実力が付き、理解が深まることで、初歩的な話を聞く姿勢が怠慢で横柄になってくると、次のステップに上がるための、我慢強さが失われ、成長が止まることになります。

元々運動センスが高くはなくとも、体力がなく小柄でやせっぽちだったとしても、謙虚で地道な稽古姿勢は周りの評価を得ることができ、みなの応援を受けることができ、上級者や指導者の信頼を得て、心からサポートしてもらえることができ、人生の中での大きな財産を気付くことができるでしょう。


指導者が技の説明をしたときに、「ああ、その技はしっているよ!」、「簡単!簡単!」、「初心者向けの説明だね・・」とばかりに、細かい点に気を配ることなく、表の形ばかりにとらわれていては、その方が初級者へ指導説明してみると、とても大切な視点が欠けているという場合もあります。

技術は分解して細かく理解することが大切ですが、最終的に自分の持つ技としてのレベルに繋げられるように考えていくべきで、実践の攻防の中で使いこなせるようになることを目指して努力していくには、やはり謙虚な学ぶ姿勢が必要になります。


そこで、次の心得ですが、

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■ 稽古で受ける指導の言葉は、常に新しい気持ちで耳を傾けるべし。
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同じ説明でも、自分の技量が上がってくると、見える部分がとても大きく異なってきます。

「初級者はこういう動きから覚えていきましょう。でも上級者はこういう風に動いてみてください。」と説明した時に、その動作の違いがよくわからない、ということがあります。

「こういう動きはいいけれど、こうこう、こうしてはいけませんよ。」

と動きを見せながら説明しても、「どこが違うの??」といった雰囲気で、要領を得ない、といった方もおられます。


上級者になれば、少しずつ細かい部分に気を配っていく必要があるもので、技の出すときの初動の動き、フェイントや目配せの位置などに気を付け、相手からのどういう反撃やカウンターを想定できるか、といったことも、技術レベルに応じて異なってくるものです。

また体の動かし方にしても、相手の一定の攻撃の際の防御方法が一つしかない方や、フェイントを交えた攻撃を受けた場合は、その一つの防御姿勢も遅れてしまう場合があります。

防御は必ず複数の方法を学んでおくべきであり、打撃で返す方法に加え、組み崩す方法も並行的に学ぶべきであり、また防御に合わせてカウンターの取り方に関しても、いくつかの基礎的なパターンは学んで身に付けておくべきであり、それぞれの動きの中での反撃に対する心構えも持っておくべきです。

ほとんどの方は、攻防の中で感覚的に身に付けていく方が多いものですが、そうした部分を細かく分解して、手順を踏んで学んでいけると、もともとのセンスがそれほど高くない方でも、自分の苦手な分野でも、苦手意識を持っている方でも、少しずつ無理なく身に付けていけるものです。

指導者は、そうした部分にとても工夫を凝らして、指導方法に工夫を凝らしているものです。


自分が信頼できる指導者の下で、いつも新鮮な気持ちで、新しい気持ちで、また初めて聞くようなつもりで、その言葉に耳を傾けて取り組んでみるようにしましょう。


ある技の説明の時に、「そんなの俺には無理だよ!」という気持ちを持ちながら指導者の話を聞いている方は、その姿勢や目の色、そしてその時の内面から、そうした雰囲気がにじみ出ています。

基礎的な技術や精神面での話の時に、「そんな基礎的な話、いちいちめんどくせーなー、俺はもっとレベルが高いよ。」と思いながら話を聞いていると、ちょっともったいない気がします。

謙虚な姿勢は、稽古の中で磨き、向上させることができるもので、ひいては実生活の中でのとても大きな財産になってくるものです。


これまでの長い稽古指導の中で、実に多くの、子供たちと大人の稽古生の方々を見てきた中で、「謙虚な姿勢」や「初心に帰る」という心がけはとても大切な部分だと感じています。



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