人は急に変われず。
人それぞれに持って生まれた特性があり、個性があり、肉体的にも身体的にも人それぞれに異なっています。
能力の高いものと低いもの、体力のあるものとないもの、心の強いものと弱いもの、その他にも従順なものと反発心の強いもの、意欲が高いものと低いもの、生命力の強いものと弱いものなど、人それぞれ。
生まれ持ってきたものに加え、育成環境での影響や食べてきたものの違い、特に育った地域や親御さんの性格や関わり方なども、とても大きく影響するものです。
皆が一律に成長することはなく、幼き頃のドングリの背比べから始まり、育つ方向やスピードには徐々に大きな違いが表れてきます。
これはかなり以前の道場内での出来事ですが、
あるお子さんが幼年部に入って数か月したころ、家族の事情で少し遠方にお引越しをされました。
何とか通える距離だからと保護者が頑張って送り迎えをされておられましたが、転校先でちょっとしたイジメにあい、「意欲がなくなった」との事で道場を後にされました。
退会のご挨拶の際に「空手を習っていてもイジメにあうんですね・・・。」との一言を残して。
空手教室に入ったからと言って、いじめにあわなくなるわけではありません。
ましてや組手を行わない幼年部で数か月を過ごしたからと言って、いじめにあわなくなる・・・なんてことはありませんね。
幼年部で体を動かす楽しさを覚え、集中力を付けながら少しずつ体力を向上させ、体を鍛えていきます。
そして少年部で少しずつ本格的な技に入り、中学生の3年生頃に、子供クラスとして最終的な実力と精神力を付けられるように小さいころから少しずつ頑張っていきます。
さすがに、この頃に少年部の黒帯を取得するくらいになると、「学校でいじめにあう」という心配はほぼなくなると思います。
それまでに厳しい稽古をこなし、体力的にも精神的にも相当に逞しくなっているはずですが、幼年部で数か月を過ごしたからと言って、それほど強くなるわけではないのは、いうまでもないことです。
また話が変わりますが、審査前に頑張って型稽古に取り組んだからと言って、誰もが飛級をしたり、優秀賞をもらえるわけではありません。
頑張っているのは自分一人ではなく、皆も同じこと。
そして、選手クラスに入ったからと言って、いつも試合で勝てるわけではありません。
選手クラスに入っていない稽古生でも、強い子はたくさんおり、また選手クラスの子は稽古の量から考えて組手審査では有利になり、大会に出場するための実力を付けるためにも、審査会の組手審査では、経験を積ませるために、より厳しい相手と組み合わせることになります。
また、組手審査でいい組手ができていた子は、次の審査会ではより厳しい相手と対戦させることがあり、勝つことがあれば、負けることがあるのは当たり前の事。
人の三倍、稽古したからと言って、三倍強くなるわけでもありません。
一つ言えることは、努力した成果は、必ずついてきます。
人より強く、、、ではなく、
以前の自分よりも上達しており、強くなっている、、、
という事です。
相手と対戦する競技では必ず勝ち負けがついてきますので、目先の勝ち負けにのみに心を奪われがちですが、そのあたりは物事のわかる大人が、特に一番身近にいる保護者がフォローしていただけるのが一番です。
結果だけを見て、負けたことを責められたり、悲観的にとらえられるご家庭よりも、アドバイスを与えたり励まし元気づけるご家庭で育った子供の方が幸せであり、長期的にみてよりよい成長が見込めるような気がしています。
また話が変わりますが、大会に出場して勝敗がぎりぎりの際どい判定になり、最終判決が主審の判断に委ねられるようなとき、その主審はどうすべきでしょうか?
片方の選手が自分の生徒であった場合、自分の生徒に贔屓にすべきでしょうか?
私は自分自身のプライドにおいて、自身が感じる適切で正確な判定を下します。
自分の生徒を贔屓にしないのは、相手の選手も同じように一生懸命に試合に臨んでおり、審判員が判断を誤ると、適切な大会運営ができず、ひいては選手である子供たちを裏切ることになり、人としても、団体としての信頼をも裏切ることになるからです。
選手として大会に出場した時でも、審判員として大会に参加した場合でも、武道家の誇りとして、潔さを旨とし、その時の審判員の勝ち負けの判定を素直に受け入れる腹を決めて勝負に臨みます。
稽古生にもその姿勢を望んでいます。
日々の稽古の中で子供たちに懸命に指導を施し、必死に教え導きますが、快く卒業していく子ばかりではないかもしれません。
その子の心を汲み切れず、子供たちや保護者の方々の信頼を獲得できないまま道場を後にされる方があったとしたら、自分の反省すべき点として素直に受け入れます。
優勝を願って、自信を持って送り出した選手が大会途中で負けたとしても、試合結果は素直に受け入れ、負けた選手を励まし、また改善に向けて取り組んでいきます。
大会出場を願う選手たちに熱心に指導する中で、今回の新型コロナの影響や事故やケガなど、何らかの事情により試合に出場できなくなったり、大会が延期中止になったとしても、私の気持ちは折れることなく、前向きに継続して、今後もこれまで通りの努力を続けます。
子供が思うように成長しなくても、最後の最後まであきらめずに、信頼して応援し、最後まで見守る覚悟。
子供を見守る全ての大人たちに、、、
そうした覚悟を望んでいます。
人それぞれに持って生まれた特性があり、個性があり、肉体的にも身体的にも人それぞれに異なっています。
能力の高いものと低いもの、体力のあるものとないもの、心の強いものと弱いもの、その他にも従順なものと反発心の強いもの、意欲が高いものと低いもの、生命力の強いものと弱いものなど、人それぞれ。
生まれ持ってきたものに加え、育成環境での影響や食べてきたものの違い、特に育った地域や親御さんの性格や関わり方なども、とても大きく影響するものです。
皆が一律に成長することはなく、幼き頃のドングリの背比べから始まり、育つ方向やスピードには徐々に大きな違いが表れてきます。
これはかなり以前の道場内での出来事ですが、
あるお子さんが幼年部に入って数か月したころ、家族の事情で少し遠方にお引越しをされました。
何とか通える距離だからと保護者が頑張って送り迎えをされておられましたが、転校先でちょっとしたイジメにあい、「意欲がなくなった」との事で道場を後にされました。
退会のご挨拶の際に「空手を習っていてもイジメにあうんですね・・・。」との一言を残して。
空手教室に入ったからと言って、いじめにあわなくなるわけではありません。
ましてや組手を行わない幼年部で数か月を過ごしたからと言って、いじめにあわなくなる・・・なんてことはありませんね。
幼年部で体を動かす楽しさを覚え、集中力を付けながら少しずつ体力を向上させ、体を鍛えていきます。
そして少年部で少しずつ本格的な技に入り、中学生の3年生頃に、子供クラスとして最終的な実力と精神力を付けられるように小さいころから少しずつ頑張っていきます。
さすがに、この頃に少年部の黒帯を取得するくらいになると、「学校でいじめにあう」という心配はほぼなくなると思います。
それまでに厳しい稽古をこなし、体力的にも精神的にも相当に逞しくなっているはずですが、幼年部で数か月を過ごしたからと言って、それほど強くなるわけではないのは、いうまでもないことです。
また話が変わりますが、審査前に頑張って型稽古に取り組んだからと言って、誰もが飛級をしたり、優秀賞をもらえるわけではありません。
頑張っているのは自分一人ではなく、皆も同じこと。
そして、選手クラスに入ったからと言って、いつも試合で勝てるわけではありません。
選手クラスに入っていない稽古生でも、強い子はたくさんおり、また選手クラスの子は稽古の量から考えて組手審査では有利になり、大会に出場するための実力を付けるためにも、審査会の組手審査では、経験を積ませるために、より厳しい相手と組み合わせることになります。
また、組手審査でいい組手ができていた子は、次の審査会ではより厳しい相手と対戦させることがあり、勝つことがあれば、負けることがあるのは当たり前の事。
人の三倍、稽古したからと言って、三倍強くなるわけでもありません。
一つ言えることは、努力した成果は、必ずついてきます。
人より強く、、、ではなく、
以前の自分よりも上達しており、強くなっている、、、
という事です。
相手と対戦する競技では必ず勝ち負けがついてきますので、目先の勝ち負けにのみに心を奪われがちですが、そのあたりは物事のわかる大人が、特に一番身近にいる保護者がフォローしていただけるのが一番です。
結果だけを見て、負けたことを責められたり、悲観的にとらえられるご家庭よりも、アドバイスを与えたり励まし元気づけるご家庭で育った子供の方が幸せであり、長期的にみてよりよい成長が見込めるような気がしています。
また話が変わりますが、大会に出場して勝敗がぎりぎりの際どい判定になり、最終判決が主審の判断に委ねられるようなとき、その主審はどうすべきでしょうか?
片方の選手が自分の生徒であった場合、自分の生徒に贔屓にすべきでしょうか?
私は自分自身のプライドにおいて、自身が感じる適切で正確な判定を下します。
自分の生徒を贔屓にしないのは、相手の選手も同じように一生懸命に試合に臨んでおり、審判員が判断を誤ると、適切な大会運営ができず、ひいては選手である子供たちを裏切ることになり、人としても、団体としての信頼をも裏切ることになるからです。
選手として大会に出場した時でも、審判員として大会に参加した場合でも、武道家の誇りとして、潔さを旨とし、その時の審判員の勝ち負けの判定を素直に受け入れる腹を決めて勝負に臨みます。
稽古生にもその姿勢を望んでいます。
日々の稽古の中で子供たちに懸命に指導を施し、必死に教え導きますが、快く卒業していく子ばかりではないかもしれません。
その子の心を汲み切れず、子供たちや保護者の方々の信頼を獲得できないまま道場を後にされる方があったとしたら、自分の反省すべき点として素直に受け入れます。
優勝を願って、自信を持って送り出した選手が大会途中で負けたとしても、試合結果は素直に受け入れ、負けた選手を励まし、また改善に向けて取り組んでいきます。
大会出場を願う選手たちに熱心に指導する中で、今回の新型コロナの影響や事故やケガなど、何らかの事情により試合に出場できなくなったり、大会が延期中止になったとしても、私の気持ちは折れることなく、前向きに継続して、今後もこれまで通りの努力を続けます。
子供が思うように成長しなくても、最後の最後まであきらめずに、信頼して応援し、最後まで見守る覚悟。
子供を見守る全ての大人たちに、、、
そうした覚悟を望んでいます。
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