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事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

29年目の夏・・・21話

2012-08-08 16:40:55 | Weblog
2001年の夏。十日町高校が甲子園切符を手にした。優勝監督インタビューで若井聡監督は応援スタンドに向かって「十日町のみなさんおめでとうございます」と涙ながらに呼びかけた。十日町市民でなくとも、その呼びかけは涙を誘った。3~4メートルという豪雪地のハンディを乗り越え、見事優勝を勝ち取り、甲子園へと導いた。この「十日町のみなさん」との呼びかけは38歳という若さで旅立った土田浩資監督への呼びかけでもあった。十日町高校野球部土田浩資監督。この人を抜きにして新潟県の野球を語ることはできない。土田監督は甲子園の土を踏むことはできなかったが、今でも土田イズムは十日町の地に脈々と続いている。
 土田浩資氏は1980年早稲田大学を卒業し、十日町高校に赴任、豪雪地の弱小チームを鍛え上げた。1986年夏には決勝戦に進出惜しくも中越高校に敗れ、あと一歩のところで涙をのんだ。この時土田監督は野球部員とマネジャーに準優勝メダルを掛けた。ベンチに入れなかった選手やマネジャーには土田監督自ら注文してメダルをプレゼントしたという。「練習ではレギュラーも補欠もなかった。全員がもらったメダルだ」と称えた。(※2001年7月5日付け朝日新聞)豪雪というハンディを乗り越え、自分たちもやればできるという気持ちを野球部だけでなく、十日町市民に勇気と感動を与えた。十日町の「十」をトンボに見立て、十日町高校を「トンボ軍団」として強豪校に仕立てあげた。しかし1993年志半ばで病に倒れ、38歳という若さで旅立った。その後三条東高校から転任した若井聡監督が富樫信浩部長との二人三脚で甲子園の切符を勝ち取った。土田監督が亡くなって8年目の夏だった。土田監督の教え子たちは今では数多くの監督や部長らが後輩の指導にあたっている。明訓の波間一孝野球部部長もその一人だ。
 2001年に優勝した十日町は強かった。土田監督が後押ししているかのような粘り強さがあった。深い雪の中で育んだ気持ちと心の奥に秘めた精神の根が試合に現れた。
 初戦は長岡向陵を0対2から逆転で4対3。続く五泉にも中盤で逆転されるものの、最終回に2点を取って6対5。2試合を接戦でものにした十日町は糸魚川白嶺を5対2、準々決勝では柏崎を10対3の8回コールド勝ち、準決勝では明訓を0対5から大逆転して8対7で決勝にコマを進めた。そして決勝の相手は文理。9回文理が2点差を追いつき、6対6の同点とした。さらに10回表文理が1点を入れて7対6として、これで万事休すと思ったものの、ここからがこれまで育んできた「トンボ軍団」の力を見せつけた。スタンドでは「土田コール」が湧き上がった。10回2点を取ってサヨナラで文理を下した。十日町は明訓、文理を倒しての完全優勝で、甲子園行きを決めた。
 甲子園では高知県代表の明徳義塾と対戦、10対0で敗れたものの、アルプススタンドに陣取った大応援からは惜しみない拍手がナインに贈られた。
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Unknown (○○盛り森)
2012-08-09 21:58:02
はじめまして
いつも楽しく拝見させていただいております。

故 土田監督は、私の記憶が確かならば三条市出身。元高校球児で同じく三条市出身、そしてひと頃十日町で仕事をしていた私には、誠に勝手ながら縁を感じています(笑)

懐かしいお話をありがとうございました。

願わくは、
土田監督の手で三条の高校を甲子園に導いて欲しかった。。。

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「情熱 甲子園への道」 (前田啓二)
2013-08-17 19:27:39
本の題名はもう少し長いのですが、今手元に無いので確認できません。30年前に彼が初めて送り出した卒業生の手にあるからです。私は土田君と一緒に赴任した同僚です。彼の高校教師の始めの6年間をともに過ごした者です。この本は追悼文集で涙無しには読むことができません。そこには将に「教師の鑑」という彼の生き様が綴られています。このブログのちょっとした誤りを訂正させていただきます。彼が赴任したのは1979年4月です。出身は下田村で、現三条市です。彼の追悼文集は大変示唆に富むものなので、これから、あるHPで公開しようと計画しています。
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トンボの話 (前田啓二)
2013-08-17 19:31:19
これも誤解があるので訂正させてください。本人に「なぜトンボなのか?」と聞いたところ、「トンボは勝ち虫なんです。諸葛孔明の戦いに出てくるから。」と答えています。三国志を見れば分かると思います。
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ご指摘ありがとうございます (筆者)
2013-08-18 11:56:29
前田様
ご指摘ありがとうございました。もしよければ追悼文集がどこで公開されるのか、教えていただければありがたいです。
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土田浩資先生追悼文集 (前田啓二)
2013-08-19 22:29:57
これは彼を知るあらゆる立場の皆さんが、心の底から彼の死を悼んで寄稿した貴重な文集で、関係者しか持っていない本です。彼の初めての卒業生である昭和58年度組がその遺志を伝えるべく、9月にHPで公開する予定です。しばらくお待ちください。
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土田浩資追悼文集 (前田啓二)
2014-05-05 13:23:12
ついに卒業生の手によって追悼文集が発行から20年を経て、アップされました。「甲子園遺産」として世界遺産に登録したいほどの内容です。いろいろな人の言葉を通して彼の人柄が偲ばれます。本人の遺稿もあり、是非読んでいただきたいと思います。
http://tsuchida.4041s.info/
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拝読させていただきます (筆者)
2014-05-06 09:42:04
前田さま
投稿並びにご連絡、そして添付誠にありがとうございます。喜んで拝読させていただきます。ありがとうございます。久しぶりに土田先生のお顔を拝見しました。とても懐かしく、感慨深く拝見させていただきました。
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