いわき市の弁論大会において7名の入選作品に選ばれ、福島県に出展された意見感想文。
タイトルは『奇跡』
テーマは東日本大震災。
内容は、大震災や原発事故に翻弄されながらも、無事現在にいたるまでが綴られています。
それではご一読下さい。
『奇跡』
「生きる」とはどういうことだろう。
今、鏡で自分を見てみると、はっきりと自分の姿が映っている。
この時「自分は生きているんだ」と実感する。
東日本大震災で亡くなられた方、行方不明者をあわせると二万人以上とたくさんいる。
その中で自分は生き延びることができた。
これは本当に奇跡だ。
3月11日。
この日は卒業式だった。
空には雲一つなく、青い空がどこまでも広がる素晴らしい日だった。
しかし、それも午後2時45分までだった。
午後2時46分。
ラジオから鳴り響く緊急地震速報のチャイム。
東北地方太平洋沖地震が発生した。
非常に大きな揺れ。
2分以上続いたその大きな揺れに身動きもとれなかった。
すぐに母の元に行こうとしたが、家中の家具が倒れていて、部屋を移動するのも困難だった。
祖母も母も恐怖から震えていた。
避難の準備をしながらテレビをつけてみると、テレビはすぐに報道特別番組に切り替わった。
テレビの隅には大津波警報や津波警報の赤や黄色の点滅が全国に広がり、東日本各地の甚大な被害が映し出された。
地震の被害に加え、東北地方沿岸には津波が押しよせ、多くの建物や車、人間までもが波にのみ込まれていた。
短時間で東日本一帯が被害を受けていた。
現実とは思えない状況に衝撃を受け、声も出なかった。
その後も大きな余震が立て続けに起き、不安と恐怖からほとんど眠ることができなかった。
次の日、状況はさらに悪化した。
福島第一原発から通常の8倍の放射線量が検出され、楢葉町民全員が避難することになってしまった。
数日後には建屋が爆発。町は完全に放射能に汚染された。
それからは1度も自宅に戻っていない。
僕たち家族は会津に避難した。
避難所で友達と再会することができ、生きていられたことをうれしく思った。
それと同時に「生きる」とはどういうことかを考え始めた。
会津の避難所には雪が山のようにあり、ボランティアで雪かきを積極的に手伝った。
生きていることが大切に思えたからだ。
雪かきにはたくさんの人が必要で、僕を含めた中学生や高校生が役に立ちたいという一心で作業に取り組んだ。
慣れない作業に苦戦したが、多くの人に感謝され、互いに助け合って生きることの充実感を味わえた。
その後家族の事情でいわきの避難所に移り、いわきの中学校に転校した。
新しい学校の雰囲気には馴染めず、級友ともうまく話せない日が続いた。
体調もすぐれず、学校が楽しいとは思えなかった。
しかし、その学校には僕と同じように避難している人がたくさんいる。
みんなそれぞれ悩み、苦しみ、家に帰りたいと思いながらも新しい地で頑張って生活している。
その姿を見て、自分も頑張らなくてはと思うようになった。
なぜなら、自分は生きているから。
今回の大震災は地震、津波といくつもの災害が重なり、本当に多くの人が命を失った。
生きたくても生きたくても、突然その命は奪われてしまった。
それに、原発事故。
福島県は、放射線の被害に加え、風評被害に苦しめられた。
そのせいで、大きな災害からせっかく救われた命をあきらめる人もでてきてしまった。
大変な不幸が僕たちの身の上に起きた。
この数ヶ月、先が見えない絶望感、仲間と離れた孤独感、何もできない無力感を味わった。
苦しいことがある度に、僕は鏡に映る自分を確かめた。
「僕は生きている。」
生きることはあまりにも辛く悲しい現実がある。
しかし、僕は生きる。
今、確かにここにいることの責任をしっかり受けとめ、これからも生き続ける。
あの日のような雲一つない青空が僕を見守ってくれるかぎり、学び、努力し、夢を追い
これからも生きていく。
田中修斗(3年)
m.watanabe