「『温暖化対策とリサイクルは地球を救う』ウソ?ホント?」と題したシンポジウムに行ってきました。メインパネラーは最近なにかとマスコミに登場する武田邦彦中部大学教授。「地球温暖化は日本にとってはプラスだ」「リサイクルはごみを増やす。ペットボトルをリサイクルすることで資源を7倍使っている」「ダイオキシンは安全な化合物だ」「日本は京都議定書から脱退すべき」などの発言が物議を呼んでいる。こうした発言に対し環境省、国立環境研究所、PETボトルのリサイクル業者の方、朝日新聞記者、などの錚々たるメンバーが討論をするという、かなりスリリングで面白い企画の第2回目。3時間では足りないくらいの白熱したバトルが展開されました。
テーマは地球温暖化とリサイクルに絞って、各人が意見を述べていく。武田氏は「2,006年の気温は3000年間の平均気温。平安時代はいまより暖かかった。温暖化すれば東北の雪かきはなくなる。脳梗塞で亡くなる人も減る。」などなど、「地球温暖化は問題だ」としてきた環境問題の専門家たちの神経を逆なでするような内容。環境省の方はかなり怒っている様子でした。やり取りを見ていると、専門家同士でも変わってしまう統計や調査結果、お互いがお互いをウソ呼ばわりしている状態に、いったい何が本当なのか訳が分からず、混乱するばかりです。
さて、私自身は基本的にはペットボトルは必要ないと考えています。リサイクルの面倒くささを考えると、どれだけの人がしっかりリサイクルしているのか疑問だし、かなりリサイクル率は低いのではないかと思います。武田氏は年間3万トン、リサイクル業者は19万トン、国や市民団体は把握できないと言っています。もちろん軽くて持ち運びに便利、蓋をして残しておけるなどの利点もあるけれども、自分の飲み物は水筒を持っていけばよいし、いくらなんでも自動販売機がありすぎる。便利も過剰になり過ぎて、無駄が多すぎ。自動販売機でどれほどの電力を使っているのかと思うと、ペットボトルに付随するいろいろな問題が実はあるのではと思います。リサイクルが大量生産、大量消費によるごみの大量排出に対する免罪符のようになっているのではないか、リサイクルも大事だが、まずごみを出さない、ゴミになるものをつくらない、リサイクルしやすい製品を作ることが必要だと思います。また地球温暖化にしても、すべての価値がCO2削減量だけになってしまっている感は否めません。たとえば先日見学してきた原子力発電所なども、CO2を排出しないということをかなり強調され、原子力の危険性を帳消しにしたかのような錯覚を受けます。CO2削減やリサイクルの推進は、現状では物事の本質を見えなくさせる側面があるというのは、私も感じます。
武田氏の論は確かにデーター的にずいぶんと大雑把であるし、話が飛躍しすぎている面も否めません。しかし、現状の環境政策が持つ思考停止した部分に揺さぶりをかけ、大事なことは、表層的な数字ではなく、私達の暮らし方そのものなのではないかという、シンプルな問いが見えてくるのではないでしょうか。
私が市民とともに取り組んでいる「地域のごみ市民会議」では、ごみ政策は民主主義だという視点で、暮らし方に根ざしたごみ政策の在り方を議論しています。そうした方向性をもう一度とらえなおすという意味で、武田氏の提言を意味あるものと受け止めました。
テーマは地球温暖化とリサイクルに絞って、各人が意見を述べていく。武田氏は「2,006年の気温は3000年間の平均気温。平安時代はいまより暖かかった。温暖化すれば東北の雪かきはなくなる。脳梗塞で亡くなる人も減る。」などなど、「地球温暖化は問題だ」としてきた環境問題の専門家たちの神経を逆なでするような内容。環境省の方はかなり怒っている様子でした。やり取りを見ていると、専門家同士でも変わってしまう統計や調査結果、お互いがお互いをウソ呼ばわりしている状態に、いったい何が本当なのか訳が分からず、混乱するばかりです。
さて、私自身は基本的にはペットボトルは必要ないと考えています。リサイクルの面倒くささを考えると、どれだけの人がしっかりリサイクルしているのか疑問だし、かなりリサイクル率は低いのではないかと思います。武田氏は年間3万トン、リサイクル業者は19万トン、国や市民団体は把握できないと言っています。もちろん軽くて持ち運びに便利、蓋をして残しておけるなどの利点もあるけれども、自分の飲み物は水筒を持っていけばよいし、いくらなんでも自動販売機がありすぎる。便利も過剰になり過ぎて、無駄が多すぎ。自動販売機でどれほどの電力を使っているのかと思うと、ペットボトルに付随するいろいろな問題が実はあるのではと思います。リサイクルが大量生産、大量消費によるごみの大量排出に対する免罪符のようになっているのではないか、リサイクルも大事だが、まずごみを出さない、ゴミになるものをつくらない、リサイクルしやすい製品を作ることが必要だと思います。また地球温暖化にしても、すべての価値がCO2削減量だけになってしまっている感は否めません。たとえば先日見学してきた原子力発電所なども、CO2を排出しないということをかなり強調され、原子力の危険性を帳消しにしたかのような錯覚を受けます。CO2削減やリサイクルの推進は、現状では物事の本質を見えなくさせる側面があるというのは、私も感じます。
武田氏の論は確かにデーター的にずいぶんと大雑把であるし、話が飛躍しすぎている面も否めません。しかし、現状の環境政策が持つ思考停止した部分に揺さぶりをかけ、大事なことは、表層的な数字ではなく、私達の暮らし方そのものなのではないかという、シンプルな問いが見えてくるのではないでしょうか。
私が市民とともに取り組んでいる「地域のごみ市民会議」では、ごみ政策は民主主義だという視点で、暮らし方に根ざしたごみ政策の在り方を議論しています。そうした方向性をもう一度とらえなおすという意味で、武田氏の提言を意味あるものと受け止めました。