チャレンジャー・ナオミの日常

小田原市議会議員の佐々木ナオミです。よろしくお願いします。

小田原の駅

2006-11-28 | バリアフリー
 JR小田原駅を降りて、改札を出ようとする。なんだかみんな並んでるなあ。
自動改札機が7個くらい並んでいるので、どれか一つの後ろにつく。
そうして、やっとこさ自動改札機に入ったとたんに、あれ?スイカ専用なの?と気づく。
私は、一枚お得な回数券。これでは出られない!
そこで、後ろの人に、「すみません!」と言って逆流し、隣の改札機に横入りをして出ることになる。本当に迷惑な人だと思いますが、これは私のせいでしょうか。
どうして、上にでも看板をつけて「スイカ専用」とか書いておいてくれないのでしょうか。
さらに、何で混ぜてあるのでしょうか。「右側はスイカ」と決まっていれば、左に行きますよ。
さらに聞きたいのですが、これは「便利になった」のでしょうか?

スイカさえ買えば、便利になるんでしょう。
でも、切符派の私には全く不便です。

さらに、どうしてスイカは割引しないんでしょうか?
ポイントのために、余計な買い物したくないよ。

こんな私は、イケてない(後れてる)のでしょうか。

だれか、教えて。

看板を作るよお!

2006-11-22 | Weblog
地元の看板屋さんに看板の注文をしに行きました。
ここは同級生が働いている所で、その同級生が、担当してくれました。

イメージカラーのピンクに、白抜きで名前を入れて、すごく素敵なのが出来上がりそうです。

それにしても、同級生が仕事をしている姿を見るのは、何か楽しい。ほんとに、大人になったんだなーと昔のイメージと重ねて、ちょっとした業界用語も、「あ、こんな言葉を使ってる」とか思って、ふふふとほくそえんでしまう。

帰り際には、「応援してるからね、からだに気をつけて、頑張ってね」と、とびきりの笑顔で、いつまでも手を振ってくれた。
こんなとき、心がふわっと温かくなって、思い切って、チャレンジを決めて、良かったなと思う。心を通い合わせたな、と思う瞬間。そんな喜びを知ったら、きっと生きることは楽しくなる。
若者達よ、未来はきっと明るいよ!と胸を張って言えるように、明日も頑張ろう。

温泉

2006-11-20 | Weblog
やっと一日休みが出来て、念願の箱根の温泉に行ってきました。
源泉でスゴーク熱いけれど、もう、体中の悪いものが、いっきに出て行くような感じがするのです。

はあ。

ビリーブ!

2006-11-18 | Weblog
今日は、「ビリーブ」という映画を見に行きました。
この映画は、知的障害のある方たちのオリンピック「スペシャルオリンピックス」の長野での世界大会に、若いダウン症の方のグループが、撮影クルーとして参加する様子を描いたドキュメンタリーです。「エイブル」「ホームタウン」という前2作に続いての3作目になります。
1作目を見ていないので、2作目と今回を見ての感想ですが、障害児/者の自立がテーマだと思いました。「障害のある方たちは、必ず人の助けを必要とする人たちで、その助けを本人達もありがたいと思っている」というふうに考えているひとが、多いように思います。しかしこの映画を見れば、私たちが思っている以上に彼らには力がある事がわかります。
以前にバリアフリーの街づくりを提案している方のお話を聞いて、それはとても面白かったのですが、健常者が考えるバリアフリーは、的外れなものが多いと言うお話でした。
ついつい余計なものをつくってしまう。わざわざ、お金をかけすぎる。そのうえ、操作が障害者自身が1人でできるように出来ていない。誰だって、人に迷惑をかけたくない。それは、障害があるなしにかかわらない。そんな当たり前のことが、私には想像も出来ていなかったのです。

それから、今回の映画で、いくつか印象的なシーンがありました。
1つは、彼らが、自分達で話し合いをするところ。意見を出し、それに対して、まじめに考えて、皆の意見を一つにまとめる。ついつい、答えを用意してあげがちですが、それはよけいなお世話というものです。
それから、障害をもつ小さな子ども達に関わっていたところ。なかなか日常では見れない光景だけれど。同じ病気をもつ子どものお母さんに、自分の子どものとき様子を話すシーンなんか、グッと来ました。
そして一番最後に、将来の夢を語るところ。仕事を持ちたい、カメラマンになりたい、結婚をして家庭を持ちたい。家を出て、家族とはなれて、一人暮らしをしたい。この若者達の当たり前の夢が当然かなえられるような社会が、本当にバリアフリーな社会だと思いました。
振り返って現実は、今年の熊本でのスペシャルオリンピックスへの出場を資金不足を理由に辞退した団体があったそうです(10月31日付朝日新聞)。障害者自立支援法が施行されて、障害者の生活はずいぶんと様変わりしたと聞いています。彼らは、ちょっとの工夫で、自立できる力を持っている。それを十分に発揮できないような仕組みを作ってはならないと思います。

それにしても、オリンピック自体にあまり興味がない私ですが、このオリンピックはホントに見ごたえがあるなと思いました。フィギアスケートとか、すごいです。そして、彼らは、すごく絵になる!言葉のひとつひとつ、しぐさのひとつひとつが光っている。この辺は、常識にまみれた健常者ではなかなか表現できない、すばらし才能だと感じました。





教育基本法改正案、衆議院可決!

2006-11-16 | Weblog
 教育基本法の改正について取り組みだしたのは2年ほど前のことです。わたしが主宰する「ち・おを読む会」でこのことをテーマに講師の先生をお呼びしての座談会を開きました。そのときも改正されてしまいそうだという事でしたが、ついにそのときが来てしまったのかという思いで、新聞記事を読みました。
 教育は誰のものかというと、少なくとも現教育基本法の下では、国民のものであり、それは為政者によって変わることのないものだ、ということが、私たち戦後生まれの常識であったと思います。しかし、この改正で、教育は国民の手から離れ、為政者が、国民に与えるものとなってしまいそうです。
 教育というと、教える者が教えられる者に与えるものという側面ばかりが強調されています。いま、教育について語られているのは、全てこの視点だと思われます。
 今の子どもがだめになった、それは戦後教育が悪かったからだ、だから教育基本法を変えよう、もっと大人が子どもをしっかり教え込めるように、国が目標を明確に立ててあげよう。ということでしょう。
 しかし、教育の主体は教えられる側にあると私は思うのです。たとえどんなに張り切られたって、こっちにだって、教えてもらいたいことと教えてもらいたくないことがあるし、いろいろ都合もある。教える人がヤな感じとか、今日はちょっと疲れてるとか、他にやりたいことがあるとか。あなたが大事だと思うことが、必ずしも、私が大事とは限らない。
たとえばこれが大人同士なら、当然通じる道理でしょう。「うんうん」とか聞いていながらも、「なんだか分けわかんない話だなー」とか「次の予定があるのに、まだ終わんないのかななー」とか思っていることもできる。話すほうだって、「ちょっと長すぎたかな」とか「今のは分かりにくかったか」とか「多分いっても分からないと思うけど一応」とか思いながら話しているわけです。
しかし、事が大人と子どもとなると、「聞く態度がなってない」とか「前を向きなさい」とかいうことになってしまうし、聞いてないからと大人はイライラしてしまう。その辺のヒステリックな子どもに対する怒りが、世の中に蔓延しているように感じます。また、その怒りの矛先が、なぜか子どもとその母親だけに向けられたりしている。
 今回の改正では、子どもに社会に対する貢献をちゃんとするように、ということと、親はしっかり子どもを教育しろ、それが親の義務だし、何かあったら、親の責任ですからね!というのをはっきりと打ち出しています。教育は、本人のためではなくて、社会のお役に立つため、さらに、国のお役に立つために国でやるんだ、そのために、まず国を大事にする心を育てるんだ、ということです。
 しかし、世の中にはいろんな人がいて、他人と理解しあうということは本当に難しいことだし、理解しあえなくてもまあ許そう、というのが「多様性を認める」ということだと思うのです。たとえ、なんだか気に食わない人でも、目をつぶれる範囲なら目をつぶった方がいいし、どうしても困るのなら、なんとか頑張って、説得していくしかない。または、どうしてもその人が出来ないのなら、自分が代わりにやってあげようとか、理解できない人同士でもなんとかうまくやっていくために知恵を出し合うのが、「民主主義」だと思うのです。だから、どんなに教育に目標を決めても、当然その通りにならない人はいるし、
たとえその目標からこぼれても、不利益を被らないように考えていくのが、政治の役割だと思います。
 それから、今回の改正で一番問題なのは、当事者である親や子どもが全く議論の場に加わっていないということです。たとえば、学校の保護者会やPTAの会合で、教育基本法の改正について話したところはあるのでしょうか。少なくとも、私の周りではありませんでした。私の友人達は、なんとかこれを知ってもらおうと頑張っていました。でも、よっぽど意識の高い人でなければ、「なにそれ?」という感じではないでしょうか。もっというと、現行法だって、分かっている人はごく一部の人でしょう。
 こんな状態で、思惑のある人たちで改正してしまっていいのでしょうか。
この問題は理解するのがとても難しい。パッと見は、何が変わるのか良くわからないからです。ニュースを目にしている保護者の人の大半は、「改正しても別に変わんないでしょ。」ということだと思います。何も変わらないなら、変える必要はないのです。変えようと思う人のなかに、何か現状を変えたいものがある、でもそれは、分かりやすいと困る、というものがあるのです。
 ぜひ身近な人と、教育基本法の改正について、話をして欲しい、何が、どう変わるのかを知って欲しい。そう思いながらいろいろと活動してきましたが、いま、途方にくれています。 



佐々木ナオミ後援会「チーム・ナオミ」設立総会

2006-11-13 | Weblog
 今日はわたしの後援会「チーム・ナオミ」の設立総会と後援会事務所の開所式でした。35名ほどのサポーター(後援会会員やボランティアの方)とサポーターの子ども達15名ほどが狭い事務所に集まって、ギュウギュウしながらたのしく、心温まる門出の会になりました。
呼びかけ人代表のうろこさん、「チーム・ナオミ」のキャプテン(後援会長)笹鳥さんはじめ、皆さんが一言ずつコメントをくれました。どの言葉にも重みがあって、皆さんまじめに、真剣に小田原の未来を考えている方たちばかりで、その方たちが議会に新しい空気を吹き込むためにわたしを応援してくださっていることは心強いことです。また、わたしのチャレンジを影で支えてくれている友人と家族にはほんとうに感謝です。
最初から最後まで、めったに泣かないわたしも、さすがに涙があふれて止まりませんでした。
それにしても、こんなすばらしい人たちが一堂に集まる機会ってなかなかないだろうから、すごいことですよ!これは!とよくよく考えたら思ったのでした。わたしは全然たいした人ではありませんが、なんか、すごい人になった気分だ!わーい!
というわけで、たくさん勇気をもらって異常にテンションの高いわたしでした。

それから、子ども達があっちへ行ったりこっちへ行ったり、わたしのひざに乗ってきたりして、ごちゃごちゃとしていましたが、そんな状態を皆さんが温かく見守ってくださっていたのも、ありがたかったです。こんなに子どもがワサワサしている後援会事務所も珍しいんじゃないかな。これも私ならではですよね!

よっしゃー!盛り上がってきましたよ!みんなで楽しくがんばりましょう!



手作りコスメ

2006-11-07 | Weblog
今日は、私が主宰している「手作りコスメの会」の日でした。これは、生活クラブの中の活動ですが、組合員以外の方も参加できます。
 3年位前から始めています。台所の中にあるものを使って、化粧品を作ります。化粧水、クリーム、石鹸などなど、ファンデーションを作ったこともあります。小幡有樹子さんの「キッチンでつくる自然化粧品」という本を参考にして作っています。

今日のメニューは秋冬向けのしっとりとした化粧水、ナイトオイル、米ぬかパックでした。化粧水とナイトオイルは材料を混ぜるだけなので、あっという間にできます。そのうえ、「は?」というくらい安い。手作りコスメを知ってしまうと、もう、市販の化粧品がばかばかしくて買えなくなりますよ!○千円する化粧水の半分くらいはアノ女優さんに払っているんでしょ!という気持ちになります。添加物がないので市販のもののように浸透はしませんが、ゆっくりと、手のひらの体温で温めるようになじませると、しっとりとします。材料は製精水とグリセリン、クエン酸、ウォッカです。
それから、ナイトオイルはグレープシードオイルとホホバオイルとアロマオイル数滴でつくります。アロマオイルはリラックスできるスイートオレンジ。これをマッサージするようにのばしてから寝ると、朝起きたときの突っ張り感が全然違うのです!

そしてメインは米ぬかパック。米ぬか、蜂蜜、コーンスターチ、牛乳でつくります。
みんなできゃあきゃあいいながらパックをして5分。洗い流すと一皮向けたような白い肌が現れます。すっきりすべすべとはまさにこのこと。私のお気に入りのパックです。

この活動の目的は自然のもののもつチカラを実感すること。それから、化学物質に頼らない生活を実践すること。美しくなることは女性にとっては心も嬉しくなることです。
忙しい日々の中で、この時間だけは、自分のために、のんびりとお茶を飲んで、気持ちよいことをしていたい。そしてそれが、環境のことにもつながっていく。環境を考えることは、自分が気持ちのいいことなんだと実感できます。

大義名分よりもまずはやってみること、誰もが気軽に楽しんで参加できること。そして自分も楽しめること。
何を活動するときにも、決して滅私奉公にはならず、このことを大事にしていきたいなと思います。

後援会事務所

2006-11-05 | Weblog
後援会の事務所開きを12日の日曜日、2時から行います。
ぜひ皆さん、私を励ましに来てくださいね!

事務所は半分は畳のコーナーにしました。やっぱり子どもは畳でごろごろしてふざけたいし、オムツを替えたり母乳をあげたりしたい人もいるかなーと思ったのです。
私の後援会事務所はやっぱり子連れで遊びに来れるようにしたいと思っていたので、すごく楽しみです。
場所は小田原市飯泉。巡礼街道沿いの靴流通センター飯泉店の隣です。
電話 0465-48-6970 fax 0465-48-9671です。

今日は友達たちといろいろなものを持ち寄りました。7人の子ども達(うちの子ども2人を含む)は早速事務所内をぐるぐると回りまくっていました。
何で回るんだろう。

学力テストで予算に差

2006-11-04 | Weblog
 今日の新聞に「足立区教委は、区立小中学校に配分する07年度予算で、都と区の教委がそれぞれ実施している学力テストの成績に応じて各校の予算枠に差をつける方針を固めた」との記事が1面に出た(2006年11月4日 朝日新聞)
 はっきりといいますが「それは絶対だめー!」である。
成績が悪いところに手厚くするならまだしも、どうなっているのでしょうか。
足立区は自由学区制だという。小田原市も、自由学区制を視野に入れているという。
自由学区制で自由に学校を選べるとなっても、おそらくほとんどの人は、今の学校に行くでしょう。でも、一部の人は、学校を選ぶようになるかもしれません。たとえば、「この学校は荒れているから」「この学校は、いい先生がいるから」「この学校は、学力が高いから」という理由で、学校を選び、そして送り迎えができるような人たちです。たとえ近くの学校が、荒れていようと、成績が悪かろうと、その学校に通うしかない人たち、つまり送り迎えが出来ない人たちは自由に学校を選ぶことなどはじめから出来ません。「自由学区制」というけれども、みんな平等に自由ではありません。また、みんなが好きな学校にいかれるわけではありません。たとえば、定員いっぱいの学校の近くに越してきたら、近くの学校なのに、遠くの学校へ入らなければなりません。人気のない学校は当然生徒数が減るでしょう。生徒が減れば、部活動も出来なくなる、学校での活動で支障が出てくることにもなりかねません。

それからこのことでとても心配なのは障害のある子ども達のことです。テストの成績が悪くなる、ということで、障害のある子ども達が排除されないだろうか、また勉強が出来ない子どもが障害児として、新たに分離されないだろうか。

公教育とはなにか、機会の平等とは何か。競争よりも、大事なことは循環型の共生社会だと思う。日本のどこに住んでいても、質の高い教育をどの子どもも受けることができる権利を守ることが、教育行政の仕事だと思います。

下府中祭

2006-11-03 | Weblog
学校で下府中祭がありました。
今年私はPTAの学年委員を務めています。このイベントが、学年委員の一番大きな仕事でもあります。
学年ごとにブースを出すのですが、今年は「手作り石鹸」を企画しました。
これは固形石鹸(生活クラブの無添加石鹸)をおろし金で削り、それにココアやジュース、紅茶などを入れて、粘土のようになったものを好きな形にして、オリジナル石鹸にする、というもの。もちろん手やからだを洗うことも出来ます。ココアは見た目がほとんどチョコレートだし、野菜ジュースはきれいな赤い色に、オレンジジュースはかわいい黄色になります。
娘が1年生のときには、手作りシャボン玉。これも、石鹸(合成洗剤でない)と台所にあるものだけでシャボン玉液を作ろうというもの。前回も今回も、「石鹸」に取り組めて、よかったなと思います。
楽しいのはもちろんですが、できれば、もう少し踏み込んで、石鹸と合成洗剤の違いや、さらに環境のことなども子ども達に伝えたいと思っています。今回の手作り石鹸で、そういうことも、子ども達が何か感じてくれたら嬉しいなと思います。
予想以上の大盛況で、お手伝いのお母さん達も忙しそうでした。お手伝いの時間を忘れて、石鹸作りに夢中になっている方もいました。いっしょに学年委員をやっている方、お手伝いに来てくれた方、ほんとうにお疲れ様でした。打ち上げでもやって、お互いの労をねぎらいたい気分でしたよ♪
 夫は夫で、読み聞かせのボランティアサークルに入っていて、客寄せのために、「食いだおれ人形」の扮装をして、ウクレレを弾きながら、学校中を練り歩いていました。
息子も一緒に太鼓をたたいていました。家族みんなで参加して、それぞれに楽しめたお祭りでした。よかったよかった。