チャレンジャー・ナオミの日常

小田原市議会議員の佐々木ナオミです。よろしくお願いします。

親ばかでない親はバカ!

2007-07-09 | Weblog
これはミュージシャンの布袋寅泰氏のお言葉です。
 基本的に私は、親子のあいだに教育なんてものはいらないと考えています。いらないというか、無理。自分の暮らし、考えの全てを子どもは見抜いている。どんなに言葉を尽くしたって、親自身の持っているもの以上を子どもに与えることは出来ない。その与えられたものをどんなふうに子ども自身が取り込むのか。それは子ども自身にゆだねられているし、決して侵すことは出来ない領域。同じモノでも、ある子どもはプラスに、ある子どもはマイナスに感じ、また表現もする。どの子にとっても良い方法などありはしない。素晴らしい子どもに育ったとしても、それは親のおかげではなく、その子が素晴らしいだけだ、と私は思う。たとえどんなに素晴らしい親であっても、こどもが素晴らしくない場合も大いにある。その素晴らしくない子どもでも、また別の人にとっては素晴らしい子どもだと思われる事だってある。
 素晴らしいか素晴らしくないか、お互い選ぶことなんて出来ない。そうした大前提の上で、日々の暮らしをやっていくしかない。時には怒り時には泣き、そして喜び愛し合う。人様には見せられないような醜態を、お互いに見せるしかない。情けなくも愛らしい日常をやっていくしかないのだ。テレビドラマではないのだ。
 それでも、他人がどう言おうとも、うちの子どもがこの世で一番素晴らしい子どもであるに決まっているのだ。そんな「恋は盲目」以上に盲目的な親子関係を、システム化できるはずがないし、システム化しようとするから、おかしなことになる。子どもを教育したいというのは、親にとっては麻薬のようなもので、ハマるとなかなか抜け出せない。それでも子どもは生きる力があるから、なんとかうまく育っていくものだなと思う。「生きる力がない」なんてのは、ナンセンス。こんな厳しい世の中で子ども達はたくましくずるがしこくしたたかに、時にはキレたり時にはサボったりしながら生き抜いている。

どの子もみんないとしくてかわいい、だからこそあるときは憎い、大事な誰かの我が子なのだ。どんな子どもだろうと、何よりも大事にされる存在であることが当たりまえ。
区別されたり差別されたりひどい目に合わされたりしないようにしっかりと社会の仕組みを作っていくことぐらいしか、子どものために大人ができることってないのかもしれないと思う。「いろいろあるけど、まあ、生きてて幸せだな。」とどの子も思うことができるように。そんなことさえも、いまの世の中は出来ていないのだから。