バギオ市はアメリカ植民地時代にアメリカによって1900年に作られたんですが、
当時はそこに行く為の道路が確立されていなかった為に「ケノン道路」というのが建設されました。(1903年に完成)
そしてその当時、フィリピンに移民していた多くの日系人が命を落としました。
なのでケノン道路を通ると、その凄まじい自然の驚異と、そこで働いて命を落とした日本人(また他の国籍の多くの移民労働者)のことを思わざるを得ません。

これは新しく出来た有料バイパス道路です(と言っても何年も前ですが私が結婚した21年前はなかったという意味)。
クラーク元米軍基地辺りからスービック元米空軍基地周辺を通ってターラック市まで伸びています。
マニラからバギオまで240kmくらいなんですがこのバイパス道のお陰で時間がぐっと縮まりました。

バイパス道路を下りて田舎道に入ると問題なのが「遅い車」です。
フィリピンの田舎は何処も同じですが、お気づきでしょうか、うちの車が対向車線から追い越しをかけていますね。
道路が一直線で向こうから車が来てない事を確認して追い越しをかけます。
これをしないと目的地になかなか着けません。
ニュースで目にする正面衝突はこれが原因です。

こんなスクーターに荷台の付いた仮面ライダーバイクもどきみたいのも走っています。

スペイン統治時代に建てられた典型的なフィリピンの家です。
二階の窓が白い四角になっているのは「カピス」という貝を平に伸ばしたものです。
昔はガラスが高級品で手に入らなかったのでカピスを使っていました。

だんだん山が近づいてきました。
トラックの荷台に大勢の人が乗るのはフィリピンでは普通に見られる光景。

ベンゲット州の入り口です。
バギオ市に登る3つの道路の中で一番最短距離、でも一番険しいのがこのケノン道路です。
カーネル(大佐)であったケノン陸軍大佐の名前を取って「ケノン・ロード」と名付けられたましたが、
道路建設で亡くなった日本人は700人とも、もっととも言われているそうで、
日本人の犠牲の上に建設された道路とも言われています。
1900年頃、多くの日本人が世界中に(アメリカ、ハワイ、ブラジルなどの南米も含めて)移民していきましたよね。
しかしフィリピンに移民した日本人は本当に悲惨な運命に遭いました。
そしてマニラには既に存在しない「北ルソン日系人会・アボン」がバギオにはあります。
それでは「ケノン道路」の行きと帰りに撮った写真を分けて載せておきますのでご覧下さい。
日本人がこんな険しい場所の開拓に命をかけ、祖国から離れたこんな異国の地で命を落とした無念さを思うと亡くなられた方達の魂に祈る気持ちで一杯になります。
車で通ってしまえば40分の道です。
渓谷沿いに道が通っています。
<行きに撮った写真>




前の車は豚を乗せたトラックを追い越して先に行ってしまいました。

でもこの橋は一台ずつしか通れません。










この場所は一車線通行なので車を交互に通す為に交通整理の人がこちら側と向こう側で旗を上げて合図して車を通していました。



この標識の間に細い滝が見えるんですが見ずらいですね~。




上の方に松の木が見えて来るともうすぐバギオです。


有名なライオンの像、でも顔はゴリラっぽいんですが。

さらに登ってライオン像を上から見たところ(ライオン像の頭部分)
<帰りに撮った写真>










ケノン道路の写真はここまでです。
動く車の中から撮ったので見づらい部分もあったと思います。
ケノン道路は大雨が降ると地滑りや土砂崩れで通行出来なくなる道路です。それだけ険しいってことですね。

そしてターラック州の田舎道を通って、

行きにも通ったバイパス道。
遠くに見える山の麓近くまで行きます。
資料は次のリンクから拝借しました。
バギオの北ルソン日本人会
http://janl.exblog.jp/7076729/
ウィキペディア「バギオ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/バギオ
当時はそこに行く為の道路が確立されていなかった為に「ケノン道路」というのが建設されました。(1903年に完成)
そしてその当時、フィリピンに移民していた多くの日系人が命を落としました。
なのでケノン道路を通ると、その凄まじい自然の驚異と、そこで働いて命を落とした日本人(また他の国籍の多くの移民労働者)のことを思わざるを得ません。

これは新しく出来た有料バイパス道路です(と言っても何年も前ですが私が結婚した21年前はなかったという意味)。
クラーク元米軍基地辺りからスービック元米空軍基地周辺を通ってターラック市まで伸びています。
マニラからバギオまで240kmくらいなんですがこのバイパス道のお陰で時間がぐっと縮まりました。

バイパス道路を下りて田舎道に入ると問題なのが「遅い車」です。
フィリピンの田舎は何処も同じですが、お気づきでしょうか、うちの車が対向車線から追い越しをかけていますね。
道路が一直線で向こうから車が来てない事を確認して追い越しをかけます。
これをしないと目的地になかなか着けません。
ニュースで目にする正面衝突はこれが原因です。

こんなスクーターに荷台の付いた仮面ライダーバイクもどきみたいのも走っています。

スペイン統治時代に建てられた典型的なフィリピンの家です。
二階の窓が白い四角になっているのは「カピス」という貝を平に伸ばしたものです。
昔はガラスが高級品で手に入らなかったのでカピスを使っていました。

だんだん山が近づいてきました。
トラックの荷台に大勢の人が乗るのはフィリピンでは普通に見られる光景。

ベンゲット州の入り口です。
バギオ市に登る3つの道路の中で一番最短距離、でも一番険しいのがこのケノン道路です。
カーネル(大佐)であったケノン陸軍大佐の名前を取って「ケノン・ロード」と名付けられたましたが、
道路建設で亡くなった日本人は700人とも、もっととも言われているそうで、
日本人の犠牲の上に建設された道路とも言われています。
1900年頃、多くの日本人が世界中に(アメリカ、ハワイ、ブラジルなどの南米も含めて)移民していきましたよね。
しかしフィリピンに移民した日本人は本当に悲惨な運命に遭いました。
そしてマニラには既に存在しない「北ルソン日系人会・アボン」がバギオにはあります。
それでは「ケノン道路」の行きと帰りに撮った写真を分けて載せておきますのでご覧下さい。
日本人がこんな険しい場所の開拓に命をかけ、祖国から離れたこんな異国の地で命を落とした無念さを思うと亡くなられた方達の魂に祈る気持ちで一杯になります。
車で通ってしまえば40分の道です。
渓谷沿いに道が通っています。
<行きに撮った写真>




前の車は豚を乗せたトラックを追い越して先に行ってしまいました。

でもこの橋は一台ずつしか通れません。










この場所は一車線通行なので車を交互に通す為に交通整理の人がこちら側と向こう側で旗を上げて合図して車を通していました。



この標識の間に細い滝が見えるんですが見ずらいですね~。




上の方に松の木が見えて来るともうすぐバギオです。


有名なライオンの像、でも顔はゴリラっぽいんですが。

さらに登ってライオン像を上から見たところ(ライオン像の頭部分)
<帰りに撮った写真>










ケノン道路の写真はここまでです。
動く車の中から撮ったので見づらい部分もあったと思います。
ケノン道路は大雨が降ると地滑りや土砂崩れで通行出来なくなる道路です。それだけ険しいってことですね。

そしてターラック州の田舎道を通って、

行きにも通ったバイパス道。
遠くに見える山の麓近くまで行きます。
資料は次のリンクから拝借しました。
バギオの北ルソン日本人会
http://janl.exblog.jp/7076729/
ウィキペディア「バギオ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/バギオ