昨日の続きです。
車の中から、すぐマンソンにいる母に電話した。
電話で両親の無事は確認したが、あまりの揺れで食器棚も仏壇も倒れ、大変な様子だった。
マンソンは、地震に強い免震よりも更に進化した揺れを軽減する静震構造とやらを売りにしていた。
でも、震度1でもかなり揺れていたので、静震なんて怪しいぞ。おい。とは思ってはいたが、やっぱりそんなのウソっぱちだった。
とりあえずその時は、
余震もくるし危ないからすぐに1階に避難するように伝えた。( 後日マンソンに行ってみると、1階ロビーがマンソン住民の避難所になっていた )
携帯から電話がつながったのは、これが最初で最後だった。
帰り道で目にしたものは、
窓ガラスが粉々になった車屋さんや、
( ↑ 後日撮影。当日は店の中に車がありました。 )
道路の亀裂。
( ↑ これも後日撮影したもの )
そして、ショックだったのは、
町内の公園の前を通った時、
公園にブルーシートが敷いてあって、毛布にくるまって避難している人達の姿を見た時。
・・・・・ ウソ~・・・・
にんじんハウスの運命やいかに・・・・・・心臓がバクバクした。
恐る恐る、玄関の鍵を開けた。
かごは全部 落下。 プリンターは転がり、2階に置いてあったはずの電話の子機が、飛んできていた。
カーテンは、レールごと落下しており、
壁のいたるところにヒビが入り、壁紙もはがれていた。
1番心配していた食器棚は・・・・・
立っていた!
ワイングラスとか食器とか、なな個ぐらいは割れていたけど、
食器棚は立っていた。・・・・・これには 「 クララが立った! 」 のハイジぐらい嬉しかった。
1番被害が大きかったのは、2階の娘の部屋。
ドアを開けると、入り口がタンスでふさがれていた。すごい勢いで動いたのがわかる。
机や棚にあったものは全部落下。ガラスが散乱していた。
2階の橋 ( 両側が吹き抜けになっている ) は、左に傾いていた。
そして、数分おきに、何度も何度も余震がきた。
家全体がミシミシミシ・・・・と大きくきしむ音が恐怖を誘い、その度に七色と娘はオロオロうろたえた。
やっぱこの家、欠陥住宅じゃNE?? 設計したヤツ前に出ろ! ・・・・・あ 私だ
阪神大震災の時にも実績があるように、やっぱパネル工法とかユニット工法とか2×6とかの家はほとんど被害がないみたいだし、震災には強いんだな~と思った。・・・・・ 津波には太刀打ちできないけど。
でも、設計ミスの我が家でも、被害はこんぐらいで正直ホッとした。・・・・・この時は外の電気温水器が壊れていようとは知る由もなかった。
2階は後にして、まずは、1階の割れ物を片付けた。小さな破片で七色の肉球が傷つかないように、掃除機で吸い取ろうとしたら・・・・・ あ 停電だった。 ← ほうきとちりとり大事です。
そうだ。停電ということは、懐中電灯がいる。
一応、我が家では、地震に備えて、各部屋に懐中電灯を1個ずつ置いてあった。← これ大事です。
その中でも1番でっかくて頼りがいのある赤い懐中電灯をつけてみた。
そしたら
「 かいちゅうでんとうも ななタンも ぐだぐだ だったのでしゅ 」
病院で疲労困憊した後の大地震。
七色はグダグダだった。
懐中電灯も電池が腐って使えなかった・・・・・腐るのか??
電池を取り替えよう!・・・・・・あ 充電式しかなかった。ウチの乾電池は全部 充電しないと使えないヤツだった。← 乾電池 大事です。
そうこうしているうちに、あっという間に暗くなった。
今度また震度6の地震がきたら、この家はつぶれるかもしれない。
いつでもすぐに逃げられるように、玄関にはすぐ履ける靴を置き、
七色にはリードをつけ、迷子になってもわかるように、名前入りの首輪と名札をつけて、七色用の懐中電灯も用意した。
「 ななたん とぶのも にげるのも とくいでしゅ 」
そして、女3人、川の字になって寝ることにした。
いつでも逃げられるように、枕元には、懐中電灯付きラジオと避難袋を置いた。
この懐中電灯付きラジオは、手で回して発電するもので、これはとても役に立った。
そして、洋服の上に、ひきずるぐらい長いダウンを着て、カイロを張って、ラジオを聞きながら眠れぬ夜を過ごした。
↓ 翌朝の撮影
「 ななタンは さむさにも まけず はだかで ねまちた 」・・・・・ いつもだろ
夜、サンルームで七色におしっこをさせた娘が、「 うわあ~星がきれい!」 と言った。全く灯りのない仙台の夜空に、星だけは輝いていた。私はこの日見た星を一生忘れることはないだろう。
七色は、夜中に大きな余震がきた時だけは、ゲージから出てウロウロしたが、あとは意外なほど普通だった。翌朝は、いつも6時に作動するはずのファンヒーターの前で待ってるのに、ウンともスンとも言わないと私に訴えにきた。そして、いつも通りに散歩に行き、いつも通りにご飯を食べ、一人でサンルームに行ってお昼寝をする姿が、私の冷えた心を温めた。
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車の中から、すぐマンソンにいる母に電話した。
電話で両親の無事は確認したが、あまりの揺れで食器棚も仏壇も倒れ、大変な様子だった。
マンソンは、地震に強い免震よりも更に進化した揺れを軽減する静震構造とやらを売りにしていた。
でも、震度1でもかなり揺れていたので、静震なんて怪しいぞ。おい。とは思ってはいたが、やっぱりそんなのウソっぱちだった。
とりあえずその時は、
余震もくるし危ないからすぐに1階に避難するように伝えた。( 後日マンソンに行ってみると、1階ロビーがマンソン住民の避難所になっていた )
携帯から電話がつながったのは、これが最初で最後だった。
帰り道で目にしたものは、
窓ガラスが粉々になった車屋さんや、
( ↑ 後日撮影。当日は店の中に車がありました。 )
道路の亀裂。
( ↑ これも後日撮影したもの )
そして、ショックだったのは、
町内の公園の前を通った時、
公園にブルーシートが敷いてあって、毛布にくるまって避難している人達の姿を見た時。
・・・・・ ウソ~・・・・
にんじんハウスの運命やいかに・・・・・・心臓がバクバクした。
恐る恐る、玄関の鍵を開けた。
かごは全部 落下。 プリンターは転がり、2階に置いてあったはずの電話の子機が、飛んできていた。
カーテンは、レールごと落下しており、
壁のいたるところにヒビが入り、壁紙もはがれていた。
1番心配していた食器棚は・・・・・
立っていた!
ワイングラスとか食器とか、なな個ぐらいは割れていたけど、
食器棚は立っていた。・・・・・これには 「 クララが立った! 」 のハイジぐらい嬉しかった。
1番被害が大きかったのは、2階の娘の部屋。
ドアを開けると、入り口がタンスでふさがれていた。すごい勢いで動いたのがわかる。
机や棚にあったものは全部落下。ガラスが散乱していた。
2階の橋 ( 両側が吹き抜けになっている ) は、左に傾いていた。
そして、数分おきに、何度も何度も余震がきた。
家全体がミシミシミシ・・・・と大きくきしむ音が恐怖を誘い、その度に七色と娘はオロオロうろたえた。
やっぱこの家、欠陥住宅じゃNE?? 設計したヤツ前に出ろ! ・・・・・あ 私だ
阪神大震災の時にも実績があるように、やっぱパネル工法とかユニット工法とか2×6とかの家はほとんど被害がないみたいだし、震災には強いんだな~と思った。・・・・・ 津波には太刀打ちできないけど。
でも、設計ミスの我が家でも、被害はこんぐらいで正直ホッとした。・・・・・この時は外の電気温水器が壊れていようとは知る由もなかった。
2階は後にして、まずは、1階の割れ物を片付けた。小さな破片で七色の肉球が傷つかないように、掃除機で吸い取ろうとしたら・・・・・ あ 停電だった。 ← ほうきとちりとり大事です。
そうだ。停電ということは、懐中電灯がいる。
一応、我が家では、地震に備えて、各部屋に懐中電灯を1個ずつ置いてあった。← これ大事です。
その中でも1番でっかくて頼りがいのある赤い懐中電灯をつけてみた。
そしたら
「 かいちゅうでんとうも ななタンも ぐだぐだ だったのでしゅ 」
病院で疲労困憊した後の大地震。
七色はグダグダだった。
懐中電灯も電池が腐って使えなかった・・・・・腐るのか??
電池を取り替えよう!・・・・・・あ 充電式しかなかった。ウチの乾電池は全部 充電しないと使えないヤツだった。← 乾電池 大事です。
そうこうしているうちに、あっという間に暗くなった。
今度また震度6の地震がきたら、この家はつぶれるかもしれない。
いつでもすぐに逃げられるように、玄関にはすぐ履ける靴を置き、
七色にはリードをつけ、迷子になってもわかるように、名前入りの首輪と名札をつけて、七色用の懐中電灯も用意した。
「 ななたん とぶのも にげるのも とくいでしゅ 」
そして、女3人、川の字になって寝ることにした。
いつでも逃げられるように、枕元には、懐中電灯付きラジオと避難袋を置いた。
この懐中電灯付きラジオは、手で回して発電するもので、これはとても役に立った。
そして、洋服の上に、ひきずるぐらい長いダウンを着て、カイロを張って、ラジオを聞きながら眠れぬ夜を過ごした。
↓ 翌朝の撮影
「 ななタンは さむさにも まけず はだかで ねまちた 」・・・・・ いつもだろ
夜、サンルームで七色におしっこをさせた娘が、「 うわあ~星がきれい!」 と言った。全く灯りのない仙台の夜空に、星だけは輝いていた。私はこの日見た星を一生忘れることはないだろう。
七色は、夜中に大きな余震がきた時だけは、ゲージから出てウロウロしたが、あとは意外なほど普通だった。翌朝は、いつも6時に作動するはずのファンヒーターの前で待ってるのに、ウンともスンとも言わないと私に訴えにきた。そして、いつも通りに散歩に行き、いつも通りにご飯を食べ、一人でサンルームに行ってお昼寝をする姿が、私の冷えた心を温めた。
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