皆様に大変ご心配をおかけしましたが、
お陰様で我が家は、また元の普通の日常が戻りました。( 夫もこちらの仕事も一段落したので、東京に戻るそうです。)
ということで、
そろそろ3月11日、あの日、あの時のことをお話したいと思います。
前日の10日に、娘が旅行先の金沢から帰ってきました。( もし1日ずれていたら、仙台空港で大変なことに巻き込まれていたでしょう )
11日、その日の午前中に、娘の7716号に乗って、
いつもの病院に行った。
「 わしは こんなところに きとうは なかった 」
といつもと同じセリフを言い、
尿検査と7種混合接種と肛門腺しぼりをしてもらった。
尿検査の結果待ちをしている時のうすら笑い。
おかしくもないのに、うす笑い。
「 うすす 」
この後、注射をして、肛門腺をしぼってもらった時には、
「 おねげ~だ。だれか たすけて けろ 」
診察台の上で助けを叫ぶその顔は、
7歳老けていた。
「 やめて けろ 」
こうして七色にとって、試練の1日が幕を開けたのだった。
「 ななタン げきじょうの はじまりでしゅ。ハンケチの よういは いいでしゅか?? 」
ティッシュでもハンカチでもなく、ハンケチね。
病院の後、お昼を食べようとファミレスに行った。
車にいる七色には、グリニーズを1本あげて、「 待っててね 」 と言った。
お昼を食べて、
デザートを食べて、
梅のお紅茶を小指を立ててズズズ~っとすすりながら、
3月9日のボログ 「 足洗い場完成 」 にコメントをくれた方達へ返信をした。
ゆっこさん → 里ママさん → ストーカーさん → ボウズさん → ヌックママさん → ナビィママさん → マーヴ母さん → はなままさん → ウェリナママさん → hatorinさん
そして最後のすのうどろっぷさんに打っている最中に、
それは突然訪れた。
ファミレスの中で、一斉に、各自の携帯から 緊急地震を知らせるブーブーが鳴った。
鳴った後すぐに、大きな横揺れがきた。
「 うわ 地震だ! 」 あたりは騒然となり、娘はテーブルの下に隠れた。
「 まずは落ち着きなさい。大丈夫だから。 」 怯える娘に隊長は言った。
横揺れは長く続いた。 そして一旦揺れがおさまりかけ、
「 大丈夫だからここに居て。七色の所に行ってくるから 」 と立ちあがろうとしたら、
娘が泣きながら、「 私も行く~ 」 と言ったので、
「 ダメだよ。食い逃げだと思われるじゃん。」
と言った矢先、
また大きな横揺れがきて、バン! という音と共に電気が消えた。
店員さんが、「 危ないので動かないで下さい。机の下に隠れて下さい。」 と言った。
お客さん全員が机の下に身を置く中、隊長だけはいすに座り、右手でテーブルの角を押さえ、いつでも七色の元に駆けつける体勢でいた。
店内は大きく揺れ、ガタガタガタと全ての物が振動している音と何かが落ちて割れる音が響いた。
そして、この激しい揺れは、前にどこかで経験したことがあるけど、どこだったけ??と考えた。
そうだ。思い出した。地震体験車の揺れだ! まさに あの横揺れだった。
何かにつかまらないと立っていられないほどの揺れだった。
とにかく、長い揺れだったので、その間ずっと隊長は娘に、「 大丈夫だから。」 を繰り返した。
その大丈夫だ。の根拠は、昨日、どこだか大学の教授がこう言ったから。「 連動型の大地震が来る可能性はなくなったといっていいでしょう。 」
娘は、「 大地震今きてんじゃん・・・・全然 大丈夫じゃないし~ 」 と泣いた。
・・・・・・ 確かに。大地震がこないなんてウソっぱちだった。
「 ママはどうしてそんなに冷静にしていられるの!? 」 という娘に
隊長は、高校生の時に経験した、宮城県沖地震のことを語った。
友達とケーキを食べに行ったお店で地震に遭い、すごい揺れの後、停電になって、食い逃げして行く大人を見てた。
私達は、テーブルの下で小さくなって耐え、ちゃんとお金を払ってから自力で家に帰った。
あの時は本当に心細かった。もしかして家がつぶれて家族が死んでいるかも知れない・・・・気が気ではなかった。
でも、あの地震の時だってみんな大丈夫だったんだから、
「 大丈夫だから!」 を何度も何度も繰り返した。
こんな話ができるほど、
本当に長い揺れだった。
実際に、2分50秒に渡って、震度4から震度6までの揺れがずっと続いていたという今までに類がない大地震だった。
地震直後のお店の厨房。
まだ余震が続く中、
急いで、七色の元へ行った。
車の中をのぞくと、七色は後ろ座席の足元で、ふせていた。
「 ななちゃん!! 大丈夫だった?? 」 とドアを開けると、
ボ~っとしたウツロな顔で、
「 ここはどこでしゅか?? ななタンは だれでしゅか?? 」 的な顔をしていた。
恐らく七色は、車の揺れで、車酔いしていたのかもしれない。
狭い車の中で、1人で揺れていたかと思うと、かわいそうでかわいそうで涙が出そうになった。
神経質で超ビビリの七色のこと。こんな恐い思いをしたから、PTSDの症状が出るかも知れない。そう覚悟した。
でも、後になって考えると、私達も七色にとっても、1番安全な場所に居られて本当に運が良かったと思った。
七色の無事を喜び、
ラジオをかけると、「 10mの津波が来ます。大変危険なのですぐに避難して下さい 」 と何度も何度も言っていた。
余震の中、帰路につくと、
信号は止まり、車は大渋滞していた。
壊れた水道管から水が流れ、道路に溢れだしていた。
「 ななタン きょうふ げきじょうは あしたも つづきましゅ 」
地震後、帰り道での七色。
完結するつもりだったのですが、終わりませんでした。すみません。「 七色 恐怖劇場 」 は明日も続きます。
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お陰様で我が家は、また元の普通の日常が戻りました。( 夫もこちらの仕事も一段落したので、東京に戻るそうです。)
ということで、
そろそろ3月11日、あの日、あの時のことをお話したいと思います。
前日の10日に、娘が旅行先の金沢から帰ってきました。( もし1日ずれていたら、仙台空港で大変なことに巻き込まれていたでしょう )
11日、その日の午前中に、娘の7716号に乗って、
いつもの病院に行った。
「 わしは こんなところに きとうは なかった 」
といつもと同じセリフを言い、
尿検査と7種混合接種と肛門腺しぼりをしてもらった。
尿検査の結果待ちをしている時のうすら笑い。
おかしくもないのに、うす笑い。
「 うすす 」
この後、注射をして、肛門腺をしぼってもらった時には、
「 おねげ~だ。だれか たすけて けろ 」
診察台の上で助けを叫ぶその顔は、
7歳老けていた。
「 やめて けろ 」
こうして七色にとって、試練の1日が幕を開けたのだった。
「 ななタン げきじょうの はじまりでしゅ。ハンケチの よういは いいでしゅか?? 」
ティッシュでもハンカチでもなく、ハンケチね。
病院の後、お昼を食べようとファミレスに行った。
車にいる七色には、グリニーズを1本あげて、「 待っててね 」 と言った。
お昼を食べて、
デザートを食べて、
梅のお紅茶を小指を立ててズズズ~っとすすりながら、
3月9日のボログ 「 足洗い場完成 」 にコメントをくれた方達へ返信をした。
ゆっこさん → 里ママさん → ストーカーさん → ボウズさん → ヌックママさん → ナビィママさん → マーヴ母さん → はなままさん → ウェリナママさん → hatorinさん
そして最後のすのうどろっぷさんに打っている最中に、
それは突然訪れた。
ファミレスの中で、一斉に、各自の携帯から 緊急地震を知らせるブーブーが鳴った。
鳴った後すぐに、大きな横揺れがきた。
「 うわ 地震だ! 」 あたりは騒然となり、娘はテーブルの下に隠れた。
「 まずは落ち着きなさい。大丈夫だから。 」 怯える娘に隊長は言った。
横揺れは長く続いた。 そして一旦揺れがおさまりかけ、
「 大丈夫だからここに居て。七色の所に行ってくるから 」 と立ちあがろうとしたら、
娘が泣きながら、「 私も行く~ 」 と言ったので、
「 ダメだよ。食い逃げだと思われるじゃん。」
と言った矢先、
また大きな横揺れがきて、バン! という音と共に電気が消えた。
店員さんが、「 危ないので動かないで下さい。机の下に隠れて下さい。」 と言った。
お客さん全員が机の下に身を置く中、隊長だけはいすに座り、右手でテーブルの角を押さえ、いつでも七色の元に駆けつける体勢でいた。
店内は大きく揺れ、ガタガタガタと全ての物が振動している音と何かが落ちて割れる音が響いた。
そして、この激しい揺れは、前にどこかで経験したことがあるけど、どこだったけ??と考えた。
そうだ。思い出した。地震体験車の揺れだ! まさに あの横揺れだった。
何かにつかまらないと立っていられないほどの揺れだった。
とにかく、長い揺れだったので、その間ずっと隊長は娘に、「 大丈夫だから。」 を繰り返した。
その大丈夫だ。の根拠は、昨日、どこだか大学の教授がこう言ったから。「 連動型の大地震が来る可能性はなくなったといっていいでしょう。 」
娘は、「 大地震今きてんじゃん・・・・全然 大丈夫じゃないし~ 」 と泣いた。
・・・・・・ 確かに。大地震がこないなんてウソっぱちだった。
「 ママはどうしてそんなに冷静にしていられるの!? 」 という娘に
隊長は、高校生の時に経験した、宮城県沖地震のことを語った。
友達とケーキを食べに行ったお店で地震に遭い、すごい揺れの後、停電になって、食い逃げして行く大人を見てた。
私達は、テーブルの下で小さくなって耐え、ちゃんとお金を払ってから自力で家に帰った。
あの時は本当に心細かった。もしかして家がつぶれて家族が死んでいるかも知れない・・・・気が気ではなかった。
でも、あの地震の時だってみんな大丈夫だったんだから、
「 大丈夫だから!」 を何度も何度も繰り返した。
こんな話ができるほど、
本当に長い揺れだった。
実際に、2分50秒に渡って、震度4から震度6までの揺れがずっと続いていたという今までに類がない大地震だった。
地震直後のお店の厨房。
まだ余震が続く中、
急いで、七色の元へ行った。
車の中をのぞくと、七色は後ろ座席の足元で、ふせていた。
「 ななちゃん!! 大丈夫だった?? 」 とドアを開けると、
ボ~っとしたウツロな顔で、
「 ここはどこでしゅか?? ななタンは だれでしゅか?? 」 的な顔をしていた。
恐らく七色は、車の揺れで、車酔いしていたのかもしれない。
狭い車の中で、1人で揺れていたかと思うと、かわいそうでかわいそうで涙が出そうになった。
神経質で超ビビリの七色のこと。こんな恐い思いをしたから、PTSDの症状が出るかも知れない。そう覚悟した。
でも、後になって考えると、私達も七色にとっても、1番安全な場所に居られて本当に運が良かったと思った。
七色の無事を喜び、
ラジオをかけると、「 10mの津波が来ます。大変危険なのですぐに避難して下さい 」 と何度も何度も言っていた。
余震の中、帰路につくと、
信号は止まり、車は大渋滞していた。
壊れた水道管から水が流れ、道路に溢れだしていた。
「 ななタン きょうふ げきじょうは あしたも つづきましゅ 」
地震後、帰り道での七色。
完結するつもりだったのですが、終わりませんでした。すみません。「 七色 恐怖劇場 」 は明日も続きます。
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