五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事 其の壱拾四

2005-05-20 00:00:00 | 玄奘さんのお仕事
■次はいよいよ「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」の祇園精舎(ジュータヴィナ・ヴィハーラ)があった舎衛城(シュラーヴァスティー)です。観光に熱心なインド政府が整備してくれて、日本からも多くの観光客?が訪れるようになりましたが、玄奘さんが訪れた時には荒れ果てていたようです。仏教寺院などぜんぜん見当たらずに、ヒンズー教の祠ばかりが沢山有ったと記録にあります。釈尊がここに滞在して弟子達と暮らしていた時代には、大国コーサラの首都でした。覇権を求めて大軍を動かそうとしたコーサラの王を説得して二度は祖国を救った釈尊でしたが、三度目の出陣は黙って見送ったと言われています。一説に、釈尊の出家の動機は、コーサラ国との和平交渉に失敗した体験に有るという話もあるようですが、それが本当かどうかは別にして、釈尊は祖国を滅ぼした国に説法の拠点を置いていたことは確かです。

■経典に残る釈尊の言葉に、政治や軍事に通暁しているようなものが散見されるので、東北インドの平和に尽くした後に俗世から離れたという話にも一理あるようにも思えますが、それは玄奘さんも同じでした。話を横道に入れますが、帰国してから唐の太祖が二度目の還俗を勧めに訪問した時の問答が残されているので、玄奘さんの国際情勢を見る目を確認しておきましょう。
時は貞観22(648)年の春でした。蒸し暑くなり始めた長安を避けて山上の玉華宮殿にいた太祖は、玄奘さんを呼びます。二度目の説得であろうと玄奘さんは知っていたに違いなく、一方の皇帝も頭脳明晰で弁舌爽やかな玄奘さんを二回目で説得して還俗させられるとは思っていなかったでしょう。「ここは涼しくて気持がよいであろう」などと時候の挨拶もそこそこに、太祖は還俗して内政外交の補佐をしてくれるように、ずばり要望します。
「周は10人の官吏、舜は5人の大臣、名君・聖王でも多くの賢人の助けが必要なのだ」と、歴史を引いて説得する太祖に対して、玄奘さんはインド人好みの箇条書き風に答えています。

■本当に即興でこんな大演説をしたのか、事前に原稿を作って覚えていたのかは分かりませんが、どこかの政治家に聴かせたいような傑作です。
①陛下が八紘を経略する計画、英雄・豪傑を駆使する才、禍乱を平定する功、明を崇め輝を擁する業、聡明にして機略ある徳、元を体して極に合する姿、それらは天の授けるもので他人の助力ではない。
②本を厚くして末を棄て、仁を尚び礼を尚び、軽薄な風俗を減らして税は薄く刑は軽くし、九州四海に生きる者はその恩に浴している。これも陛下の聖心・聖化のためで他人の助力ではない。
③唐の威は深仁で広く遠く、東は日域を越え、西はパミールを過ぎ、南は南洋を尽くし、北は漢北を究めている。蹄(ひづめ)を彫り、鼻で飲む人や草衣・左前の衣服の人まで、入朝して珍宝を貢ぎ領土すら委ねている。これも帝威の力で臣下の働きによるのではない。
④五帝も三王(夏の禹・殷の湯王・周の文王)も漠北の遊牧民を制し得ず、ついには河洛を外蛮の野として中国の山野に匈奴をはびこらせてしまった。匈奴は殷周以来、撃攘できず、漢の武帝が衛青・霍去病に命じて枝葉を収めたが本拠は残った。陛下は一度の遠征でこれを滅ぼし、バイカル湖、外蒙古を領土として北方遊牧民を臣下にしてしまった。この偉業は古代以来の賢臣達も実現できないものであるから、陛下の力である。
⑤小国の高麗は、前からわが国に失敬であった。隋の煬帝は三度遠征しても土塁を破れず空しく六軍を失ったが、陛下が数万騎を率いて往かれると禁衛の強陣を砕き、遼東の堅城を破って凱旋し、俘虜三十万であった。隋は高句麗遠征で滅び唐は大戦果を収めた。これも陛下一人の御力によるもの。

■見事な地理感覚と歴史の教養が満ちている返答です。玄奘さんが持っていた7世紀のアジアの姿がくっきりと浮かんで来ます。残念ながら日本の居場所が無いのは明らかですなあ。③の「日域を越え」あたりにちょこっと頭を出しているのでしょうか?663年の白村江の惨敗を思うと、ぞっとしますなあ。大和朝廷はアジアのヒヨッコでした。仏教文化でも、推古天皇の時代に寺院は46で、僧尼の総数は1385人だったそうですから、玄奘さんが二年間滞在したカシミール一国よりも少なかったことになります。軍事力も文化も大きく遅れていた日本は、必死になって遣唐使を送り続けて、唐の真似をして短期間に古代国家の体裁を整えようとしていたのでした。その壱拾五につづく。

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