五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事  参拾六

2006-04-04 16:09:52 | 玄奘さんのお仕事
■お話は煬帝を離れて、再び道基さんに戻ります。道基さんは可愛い小僧さんだった玄奘さんの最初の先生でした。隋末の大動乱を逃れて国内を流浪した末に四川省に落ち着いて修行を続けた玄奘さんが慕ったのも、道基さんでした。道基さんには同学の兄弟弟子が4人おられました。智凝さん、法護さん、慧景さん、宝進(上に日が付きます)さんです。道基さん達の先生が靖嵩さんです。靖嵩さんは法泰さんの一番弟子としてとても有名な方で、この法泰さんは真諦さんの一番弟子です。ですから、真諦-法泰-靖嵩-道基-玄奘という学統が、若い玄奘さんを育てたのです。もしも、インドへの旅を思いつかなかったら、この系統樹の中で一際輝くお坊さんとして玄奘さんは『続名僧伝』に名を残したことでしょう。

■真諦さんには、法泰、僧宗、慧、法准、慧曠、曹毘、僧忍、道尼、智休、智激(サンズイは無し)という高弟がおりました。この名僧達が隋末の混乱期に全土に散らばって多くの弟子達を指導して法統を伝えていたので、洛陽で始まった玄奘さんの学問修行は、四川省への避難の日々でも、その後の国内旅行の時も、この真諦さんのネットワークの上を歩き回ったことになるようです。玄奘さんは洛陽から長安に移り、更に戦乱を避けて四川の成都で4年間を過ごしている間に、20歳になり具足戒も授かって一人前の僧侶となります。兄の長捷さんは儒教や道教の知識も豊富なので、成都の空慧寺での穏やかな交流の日々を楽しんでおりましたが、玄奘さんは成都に集まったお坊さん達の知識も、持ち込まれた仏典も全て頭に入ってしまったので退屈さに耐えられなくなりました。

■本当は滞在している寺院に大人しく住んでいなければならないのですが、若い玄奘さんは最初の法律違反を犯して成都を脱出してしまいます。間も無く水没する三峡を行き来する商人に頼み込んで、長江を船で下って行ったのだそうです。この小さな旅が前代未聞の大旅行の引き金となろうとは、兄の長捷さんも考えなかった事でしょう。『三国志』で劉備玄徳が身を寄せた長江の要衝であった荊州に上陸した玄奘さんは天皇寺にお世話になるのですが、既に有名になっていたので多くの僧俗が「玄奘来る」と聞いて続々と集まって来たので、『摂大乗論』と『毘婆沙論』の講義をしています。どんな些細な質問にも懇切丁寧に答える玄奘さんは大人気で、うっかり数箇月も滞在してしまいました。自分の学問を進める目的で旅立ったのですから、こんな事をやっていられない玄奘さんは北上します。黄河を渡って石家庄に近い趙州で道深さんから『成実論』を教えて貰い、今度は南下して相州では慧休さんを質問攻めにしています。

■国内の求法の旅は長安で終ります。洛陽からぐるりと一周して戻った長安では、大覚寺の道岳さんから『倶舎論』を学んでいます。これも「唯識三年倶舎八年」の実践です。玄奘さんは『倶舎論』を徹底的に習得しようとしていたと考えて良いでしょう。国内の旅を終えて教えを乞うた道岳さんは、真諦-道尼-道岳と連なる学統を継ぐ方です。真諦学派の長安グループで『倶舎論』に関する知識第一とされていたのは僧弁さんでしたから、玄奘さんは道岳さんから紹介を受けたのかも知れません。僧弁さんは、真諦-法泰-靖嵩-智凝-僧弁という学統を継承しています。当時の長安で評判を呼んでいたのは、僧弁さんの『倶舎論』と法常さんの『摂大乗論』の講義だったそうです。法常さんは、真諦-慧-法常という位置に居ます。

■玄奘さんはこの講義を聴講に出掛けて行きます。碩学名僧二人に対して若干23歳の玄奘さんが発した幾つかの質問は長安中を驚愕させるに十分な鋭さを持っていました。法常さんと僧弁さんが口を揃えて、「そなたは釈門千里の駒である。将来、釈尊の教えを輝かせるのは、将しく御身であろう」と言ったのは有名な話です。こういう訳で、玄奘さんは真諦さんのお弟子さん達のネットワークの中で学識を深めて行った事が分かると思いますが、漢訳仏教文化の歴史には「三大訳経者」と呼ばれる大学者が居ます。それが鳩摩羅什(344~413)、真諦(499~568)、玄奘(600~664)です。真諦はパラマールタとクラナータの二つの名前を持っていたそうですが、玄奘さんが出現するまでは彼の業績は絶対的な権威を保っていました。しかし、玄奘さんは若き日々に大変にお世話になった真諦の翻訳を含めて鳩摩羅什の翻訳と共に全て「旧訳(くやく)」と断定してしまったのでした。

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