五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

オウムの謎は解けない 其の壱

2006-03-16 17:01:55 | 迷いのエッセイ
■『週刊朝日』3月24日号に「独占 三女アーチャリーが初めて語った」というインタヴュー記事が掲載されました。麻原裁判が東京高裁で精神鑑定を巡って紛糾している今になって、「アーチャリー」という名で顔を隠してのインタヴューです。娘の立場から父を気遣う痛々しい言葉が並ぶ、遅過ぎた記事でしかありませんが、4頁の記事を読み通すと何処かで読んだ事の有る、一種の既視感に襲われます。

「サティアンにいたころ、父はいつも優しく、ほかの人たちもみんなすごく私をかわいがってくれました。」

■この一言が既視感を最も強く与えます。これは、アウッシュビッツ収容所の所長を勤めたルドルフ・ヘスの手記や、関連する記録に残されている平穏で愛情に満ちた家庭生活が、あの地獄の収容所に隣接して設けられていた職員宿舎の中には確実に存在していた事を証明する証言に通じるものがあります。へスは収容所での生活を非常に気に入っており、ベルリンに召還される時にもその快適な生活を家族に続けさせようと、単身で戻っているくらいです。捜査と裁判によって明らかになった殺人や死体遺棄の惨劇に関して、アーチャリーは自分で語る言葉を持たないまま、ただ、父親は精神障害をおこしているから居る、治療を受けさせて欲しい、この一点を訴える目的でインタヴューに応じています。つまり、父親の健康を気遣う娘さんの言葉が並んでいるわけです。


父が本当に事件の指示をしたのか。もし指示をしたのなら、どうしてあんなことを起こそうと思ったのか、父がこのまま何も語らなければ、事件は解明できない。父の話を聞かなければ、私自身の心の整理もつかないのです。

■麻原彰晃には、何度も真相を語る機会が与えられたのですが、それを無駄にして裁判を愚弄したのは本人でした。アーチャリーはその事には触れず、記録を丹念に調べれば、1997年頃から「父の様子はおかしい」と言います。では、97年以前までは「正常」だったのか?と問い返される事を彼女は想定していないようです。彼女が「事件」「あんなこと」と言っているのは、どの事件を指しているのか不明です。地下鉄サリン事件の事を語っているのなら、サリンの製造と使用を切り離している節も有るようです。毒ガスや機関銃の製造を命じたのは麻原彰晃だと判明しているのですから、今更、彼が語るべき真相は、少なくとも死刑判決を覆すような物は残っていないのです。


「知らない人からアーチャリーと呼ばれることには抵抗を感じます。……正大師という高い位についていましたが、私は子供だったので、修行にも全然熱心ではなかったんです。」

素直な20歳の発言ではありますが、「阿闍梨」という密教での最高位を表わす名前を付けられて、幼い頃から特別扱いを受けていた事を無かった事にするのは不可能でしょう。教団組織を恣意的な階級を積み重ねる事で絶対的な支配を浸透させて信徒を完全に支配し、インドやチベットから引用した恥知らずの法名(芸名)を与えて主従関係を偽装して、精神的な呪縛を生み出していた象徴として、彼女の位と名前が有る事を、本人はまったく意識してはいません。


4、5年前に教団は有罪になった人間にはもう会わないという方針に転換しているようでした。私はそれは何か違う気がするんです。……教団との関係を疑われるのを懸念してか、アーレフの現代表の上祐史浩さんからも「接見に行ってるんだって?困るからやめてよ」と言われたことがあります。

■オウム教団が壊滅した後、生き残りを図って「アーレフ」に改称した人達の経営者としての苦労も知らない幼稚な発言です。自分が養われていた場所も食べ物も、何処から出て来ているのか、それは自分の与り知らぬ事だと言ってしまうには、事が重大過ぎます。自分の進学や就職についての苦労話を切々と語り、家族の事も語っていますが、長女の話は一切出て来ません。自分だけは大事件とは無関係だと言いたげなインタヴューは、麻原彰晃の人権を求めて裁判を長引かせる目的で企画された感が免れません。彼女自身が、自分が生まれ育った経緯を客観的に語れるほどの知力も知識も持ち合わせていない事だけは確かです。

■教団が解体された時に多くの子供達が救出されましたが、麻原の子供が連名で書いた嘆願書が公表された時、その文字と文章の酷さに驚いた人は多かったのではないでしょうか。生まれながらの超能力者のような、教団の宣伝に使われた子供達が実際には最低限の読み書き能力さえ与えられずに成長してしまったのは、松本夫妻の責任であり罪です。


オウム真理教の松本智津夫被告(51)の控訴審で、弁護側は15日、松本被告の訴訟能力を認めた西山詮(あきら)医師の精神鑑定に対し、訴訟能力を否定している医師6人の分析を基に、「西山鑑定には事実誤認や手法の誤りがあり、訴訟能力の判断の基礎とはできない」との反論書を東京高裁に提出した。同時に、公判手続きの停止も申し立てた。一方、検察側は14日、「詐病の程度が高い拘禁反応で、訴訟能力はある」とする精神科医2人の意見書を同高裁に提出している。3月16日 読売新聞

■実質的な審理は終了しており、「死刑判決」を下す合法的な儀式が残されているだけですから、黙って法廷に立てば良いだけなので、検察と弁護側との見解は完全に対立してしまっています。弁護側は引き出されたら終わりですし、検察はそれで仕事は完了します。

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