五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事  其の弐拾弐

2005-06-22 06:18:51 | 玄奘さんのお仕事
其の二拾壱の続き

■玄奘さんは北に足を延ばして、釈尊の故郷カピラヴァストゥを訪ねます。晩年の釈尊が、若かりし頃の思い出話をしておられる御経が残っておりまして、宮殿や後宮の美女達の話が出て来ます。そこから王子様伝説が生まれるのですが、一説には当時のカピラヴァストゥは小国で、絶対的な権力を持つ支配者は持たずに、クシャトリア(武人)階級の集団合議制を採っていたとも言われています。釈尊の父上のシュッドダナ(浄飯)王も、集団指導体制の巨頭、或いは議長のような身分だったと考えられるようです。釈尊ご自身は、特殊な政治権力を持つ一族の出身であることは間違いないでしょうが、通常の王子様とは少し違う立場だったようです。

■玄奘さんが訪ねた時のカピラヴァストゥは、廃墟になって久しく、王宮の後と伝えられる場所に釈尊の御両親を象(かたど)った像が祀られていたそうです。その近くには寺が有って、3000人の僧侶が釈尊を生んだ徳を顕彰してか、この像を守っていたそうです。古い経典に残っている釈尊の若き日の思い出を辿りながら、玄奘さんは「諸行無常」を噛み締めていたのでしょう。出家までの出来事を記念した祠(ほこら)や像が几帳面に造られていたので、釈尊が「苦」を発見するまでの心の動きも確認出来たでしょう。

■釈尊が一種のレスリング競技で体を鍛えた場所には仏塔が建っており、七歳からバラモン学者のバドラニ師について学んだ場所には学業に励む幼い釈尊の姿の像が有ったそうですし、或る夜、白馬カンタカに跨(またが)り、従者チャンダカを連れて出家を断行した城の東南の門にも祠が有り、かつては四つの門が建っていた場所には、経典通りに、「老人」「病人」「死者」「出家者」の像が配されていたそうです。こうした遺跡は、宗教的な聖地にはつき物で、例えばイスラエルやパレスチナの地にはイエスの生涯を細部まで再現するような遺跡が、宗教用と商業用と混在していますし、特にエルサレム市内のヴィア・ドロローサ(悲しみの道)には、十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いたイエスの様子が執念深く記念する施設がびっしと並んでいます。

■釈尊は、故国の政治と軍事に責任を負う身分でしたが、それを全て放棄して出家を決意し、悟りを開いた後には故国を「不殺生」の国に変えてしまいます。最終的には、この改心がカピラヴァストゥを滅亡させてしまうのです。大唐帝国に戻ってからの玄奘さんは、自分が釈尊と同じような立場に置かれている事を痛感することになります。皇帝は、宗教者としての玄奘さんよりも、外務官僚としての玄奘さんを熱望したのでした。前者は「不殺生戒」を守る努力をする生き方で、後者は戦争の決断もしなければならない生き方をしなければなりません。玄奘さんは、見事なバランス感覚と説得術を駆使して、西域情報を提供することで宗教者としての生涯を保証して貰いますが、意地悪く解釈すれば、玄奘さんが提供した情報の多くが「軍事情報」として利用されたのですから、玄奘さんの選択は強(したた)かだったとも言えるのですが……。

■玄奘さんは、カピラヴァストゥ城跡の東北四十里に建っている塔を見ています。そこは、青年期の釈尊が木の下に座って農夫の仕事を眺めていた場所だそうです。一心に畑を耕す農夫が鋤(す)き返す地面には、地中の虫が蠢(うごめ)いていて、中には傷ついたり死んでいる虫もいます。土の上でのたうっている虫を狙って、鳥たちが舞い降りて次々に虫を啄(つい)ばんでいるのでした。「食物連鎖」と呼ばれる生命の姿ですが、釈尊はこの時に、大いなる宗教体験をしたと伝えられています。「不殺生戒」が生まれる原因となった物語です。

■鳥に関連する聖者伝説には、中世キリスト教の中興の祖となったアシジのフランチェスコが有名です。イタリアの織物商人の家に生まれたフランチェスコは、英雄願望の強い元気者で、繰り返される内戦に参加して捕虜になったりもします。悩みが生じてローマに巡礼して乞食信仰集団に感動します。彼が理想とした生き方が、僅かな水と餌だけで生きる小鳥たちでした。聖フランチェスコが憎み恐れたのは「富」でした。露命を繋(つな)ぐのに最低限度の水と餌だけで楽しげに舞い飛ぶ鳥は、蓄えもせず奪うこともせずに生きているとフランチェスコは考えました。彼が組織した修道会は、質素をモットーにして自給自足を旨(むね)として大発展して行きました。自らが労働しながら、信者からの寄進も受けるのですから、フランチェスコが憎んだ「富」が貯まり始めます。そして、とうとう高利貸し教団になってしまいます。キリスト教会の富を奪い合って欧州は凄まじい歴史を刻みました。今も、イタリアのアシジには、敬虔な修道士達がフランチェスコの遺骸を守りながら戒律を守って暮らしていますが、その修道院の威容は、石造りの要塞そのものです。

其の弐拾参に続く。

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