会社の前です、空を眺めると昼から雨でしょうね。
今日は山畑に行ってインゲンを収穫してきます。
先日の日曜日に6年ぶりに飲み屋に行きました。
ビックリのママさんが『よくぞ、病気からお元気になられて…』と喜ばれました。
帰りにトマトを貰いましたので、話題に上がったインゲンを
今晩持って行き差し上げます。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『己を怠慢にすることなかりしか。説くに及ばずだが、
とにかく怠慢心は一切の成功を灰にする元である。勇猛の衆生成仏一念にあり。
懈怠の衆生涅槃三祇に亘る、と書いてあるのを見て、
「俺も同じ男だ。彼にできて俺にできぬ筈はない」と
勇猛心を起こして命がけの坐禅をし、
三日三晩でぶちぬいた男がいる。井原の平四郎である。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“目覚める”ために“やり抜くぞ!!!”と、決意を
持続して三日三晩でぶちぬいた方がいらっしゃるのです。
誰でも頭脳に打ち勝つ強力さを秘めているのが人間です。
しかし、それは「特別」な人よと比較するのが「思考自我」
で、出来ないものと確定させているのです。
この僅かな隙を見極めて“只なる実践”を持続していく
のです。
1年~2年~3年~~と持続していくうちに、頭の中で
勝手に妄想する「思考癖」が取れてきて、実に爽やかな
晴々とした“真心”となってきます。
残念ながら苦悩の在る人は、この“実践”をやらない
かぎり闇に入ったままです。
つまり「思考自我」から操られたままということに
なるのです。
ぜひとも井原の平四郎さんが“目覚める”ために
“やり抜くぞ!!!”と、された決意を持続するのです。
やれてもやれなくても、そんなのお構い無く
只、只、やっていくのです。
目覚める先には“真の自分”が、今か今かと
待っているのです。
ぜひともそこに還り着いてくださいね。
今日は山畑に行ってインゲンを収穫してきます。
先日の日曜日に6年ぶりに飲み屋に行きました。
ビックリのママさんが『よくぞ、病気からお元気になられて…』と喜ばれました。
帰りにトマトを貰いましたので、話題に上がったインゲンを
今晩持って行き差し上げます。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『己を怠慢にすることなかりしか。説くに及ばずだが、
とにかく怠慢心は一切の成功を灰にする元である。勇猛の衆生成仏一念にあり。
懈怠の衆生涅槃三祇に亘る、と書いてあるのを見て、
「俺も同じ男だ。彼にできて俺にできぬ筈はない」と
勇猛心を起こして命がけの坐禅をし、
三日三晩でぶちぬいた男がいる。井原の平四郎である。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“目覚める”ために“やり抜くぞ!!!”と、決意を
持続して三日三晩でぶちぬいた方がいらっしゃるのです。
誰でも頭脳に打ち勝つ強力さを秘めているのが人間です。
しかし、それは「特別」な人よと比較するのが「思考自我」
で、出来ないものと確定させているのです。
この僅かな隙を見極めて“只なる実践”を持続していく
のです。
1年~2年~3年~~と持続していくうちに、頭の中で
勝手に妄想する「思考癖」が取れてきて、実に爽やかな
晴々とした“真心”となってきます。
残念ながら苦悩の在る人は、この“実践”をやらない
かぎり闇に入ったままです。
つまり「思考自我」から操られたままということに
なるのです。
ぜひとも井原の平四郎さんが“目覚める”ために
“やり抜くぞ!!!”と、された決意を持続するのです。
やれてもやれなくても、そんなのお構い無く
只、只、やっていくのです。
目覚める先には“真の自分”が、今か今かと
待っているのです。
ぜひともそこに還り着いてくださいね。