只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

山畑の野菜の苗に雨が待ち遠しい私(自我)です。笑

2017-06-04 08:27:21 | 日記

何にか、思い考えると問題が出てくるように
なっているのです。

何も思考が出てこなければ“”しかありませんね。
ですから“今”は無思考ということです。

『無思考なんて到底むりだわ…』と言われるのですが、
本来が“今この瞬間・無思考”ですから、何ら難しいこと
ではないのですね。

難しいと言っているのは「思考自我」ですから、
本来には難しいも容易いも“無い”のです。

それがわからないのは幻想世界に入っているからです。

繰り返し述べていますが本来という真実には、
心配、迷い、不安、苦悩、恐れは“無い”のです。

「いや、在る!」というのが「思考自我」ですから、
幻想世界に入っているということです。

この真実世界は、すべてが在ってすべてが無いを
超越した“無の世界”ですから、「思考自我」が入る
ところではないのです。

ですから真実世界がどこか遠いところに在るのでは
なく、いつも目の前に宇宙的に広がっているのです。

それがあなたという“真の自分”です。





只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

一心を獲得するには、「今」何事も一心不乱にするしかない。
 やがて身心一如になってくるので、自ずから余念無くその事に没頭出来る。
 その外に手段を探したり、別なことをしないことだ。
 「只」その事に徹して余念無く在れば、全て道である。
 何者か、汝を汚さんや。黒鉄の的射し人もあるものを 貫き通せ大和魂


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“一心”“無心”“真心”を得るには“只なる実践”を、
一心不乱にするしかないと仰っています。

つべこべ言わず、只ひたすらに“実践”して行けば
自ずと道は開けて来るのです。

頭の中にゴチャゴチャしたものを持っていたら、
道を切り開くことは永遠に無理というものです。

それは頭の中が“空っぽ”でなければ、真実に
還りつかないからですね。

頭の中のゴチャゴチャしたものは、弛まぬ“只なる実践”の
持続で落ちてきます。

心配、迷い、不安、苦悩、恐れが全く無い、
人生を送れることは爽やかで美しい道を
歩いているのです。