入試に出る!!時事ネタ日記

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たまには世界史~ブルガリアの歴史~

2007-04-02 15:01:33 | 世界史

イギリスをブリタニア、フランスをガリア、ドイツをゲルマニアというように、ヨーグルトの国ブルガリアにも古名があります。大昔のブルガリアであるトラキアでは、四大文明に匹敵するほど古くからある遺跡が確認され、考古学者の間では第五の「文明」なのではないかと議論されています。

古代のトラキア地方は東ローマの支配下に入り、5世紀以降はスラヴ人が、そしてトルコ系の遊牧民族ブルガール人侵入します。このときスラヴ人を支配下に置き、建国したのが第1次ブルガリア帝国です。意外なことにアジア系なんですね。ただ、その後は混血も進んだことから現在のブルガリア人はスラブ化していると言えますが。

ブルガリア帝国は一旦は東ローマに滅ぼされますが、その後再興し、12世紀末に第二次ブルガリア帝国として復活を遂げました。しかし、それもつかの間、1242年にモンゴル人の攻撃によって衰退し、1393年にオスマン帝国に滅ぼされてしまいます。それ以降はずっとオスマン帝国の支配下に置かれました。

1878年、露土戦争に敗北したオスマン帝国がサン・ステファノ条約を受け入れ、ブルガリアは大ブルガリア自治公国となりましたが、事実上ロシアの保護国であったことがイギリス・オーストリアを刺激し、独露再保証条約でロシアと同盟を組んでいたドイツはイギリスとのトラブルを避ける目的で、ベルリン会議を開き、ブルガリアの領土を縮小することでロシアの南下政策を阻止したのでした。

1908年には「瀕死の重病人」と言われたオスマン帝国で、青年トルコ革命が勃発した混乱に乗じて、ブルガリアは独立を宣言します。ところが1912年からの二度にわたるバルカン戦争では同胞のはずのスラブ諸国との関係が険悪となったため、第一次世界大戦には同盟国=ゲルマン=ドイツ側に参戦することになりました。

戦後の苦境の中で右傾化したブルガリアは1941年、ナチス・ドイツと軍事同盟を締結し、枢軸国の一員となりますが、1944年にはソ連の侵攻を受けソ連の衛星国家となってしまいます。長い共産党支配が続きましたが、1989年には他の東欧諸国と同様、民主化が加速していきました。その後2007年1月1日に欧州連合(EU)に加盟し、現在に至るものの、なお、EU最貧国であり、若年労働者や知識層が西欧へ流出することが危惧されています。

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